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39.わんふぉー琴穂、おーるふぉー琴穂っ!

明仲八612 110 5=16

富士谷613 125=18

【明】後田、黒島、羽山―舞岡

【富】柏原、中橋、芳賀、柏原―近藤

 既に18時を過ぎた明治神宮野球場は、照明が点灯してナイターゲームの様相を呈していた。

 7回途中で18対16という馬鹿試合。未だ決着の気配は見えず、流れはビハインドの明八に傾いている。

 三塁側の大歓声、エンドレスで流れるハイパーユニオン、そして塁上で騒がしい羽山のモノマネが、前年王者の俺達を飲み込みつつあった。 


「ボール、フォア!」

「おおおおおおおおおおおお!!」

「同点の走者が出たぞ!」


 羽山に続き、3番の黒島にもフォアボール。

 狭いゾーンに加え、羽山が再現する琴穂のモノマネに集中力を削がれ、どうしてもボール先行になってしまう。

 もう一つ、黒島は露骨なカットで粘ってきた。チーム単位で四球を狙っているのだろう。


 無死一二塁、続く打者は初回にスリーランを放った舞岡。

 どうせ彼も四球狙い。ただ、カウント稼ぎの真ん中を打たれても癪なので、バックドアでボールからストライクに入れに行く。

 と、そう思いながら高速スライダーを放ると、舞岡は唐突にバントの構えを見せてきた。


 またセーフティか――と思ったのも束の間、舞岡はバットを引いてくる。

 俺は慌ててマウンドを降りるも、白球は近藤のミットに収まっていた。


「ットライーク!」


 舞岡は見逃してストライク。

 二塁走者のリードが大きかったのか、近藤は間髪入れずに二塁へ送球した。


「セーフ!」

「ふーっ、危なかったー」


 二塁は僅かに間に合わずセーフ。羽山は相変わらず琴穂のマネをしている。

 クソ、アウトに出来ないなら刺激するなよな。調子狂うんだよ畜生。


「ボール!」

「ボール!」

「ットライーク!」

「ファール!」

「ファール!」

「ボール!」


 その後、俺は何とか追い込むも、舞岡は粘りを見せてフルカウントまで持ち込まれた。

 カットなのか前に飛ばせないのかは分からない。ただ、結果的には粘られている。

 舞岡は更に5球も粘ると、遂に迎えた13球目――。


「デッドボォ!」

「よっしゃい!」


 内角を攻め過ぎた結果、白球は舞岡の腕を掠めた。

 デッドボールで無死満塁。逆転の走者まで許してしまった。


「タァイム!」


 と、ここでベンチから京田が飛び出してきた。

 守備のタイムである。ここまでピンチしかなかったが、2回以降は節約していたので、後1回だけ残っていたのだ。

 内野陣は一声にマウンドに集まる。グラブで口元を隠すと、京田は畦上監督からの指示を語り出した。


「まず監督から。打たれてもいいから楽に投げろって。点は幾らでも取れるんだから、とにかくアウトカウントを増やしていこう」


 どうやら畦上監督は二塁走者まで返す覚悟のようだ。

 徹底的にアウトの取り易さを優先。そして裏で取り返す、という算段なのだろう。

 

「うい~。じゃ、俺の小噺でも……」

「まーまー待てよ。柏原、金城からもあるぞ」


 例によって鈴木が猥談で締めようとすると、京田が待ったを掛けてきた。

 琴穂からの言葉か。俺の調子がおかしいと見て、励ましてくれるのだろうか。


「これ、皆の前で言っていいのか分かんねーんだけど……」


 京田は少しもったいぶっている。

 果たして、最愛の恋人から伝言とは、如何なる物なのだろうか――。


「膀胱さんが限界だから早く守備終わらせてって言ってたぞ」

「はぁ?」

「ッブ」


 その瞬間、戸田と津上は吹き出し、俺は顔を歪めてしまった。


「ほら、記録員だからイニング中は席外せないじゃん? んで、コールドで終わると思ってたから、6回裏が終わった後に行かなかったんだとよ」

「ああ……そういや6回裏も長かったもんな……」

「じゃ、彼女の名誉と尊厳を守る為にも後続はサクサク抑えないとっすね」

「ただでさえ前代未聞の試合だからな~。間に合わなかったら前代未聞が一つ増えちゃうぜ~」


 選手達はそんな言葉を交わしていく。

 尚「誰かが代わってあげればいいだろ」とは誰も言わなかった。

 これは琴穂なりの発破だ。恥を覚悟で自分をネタにした彼女の為にも、早く守備を終わらせよう。


「後続は3人で切ろうぜ~」

「っしゃい!」


 鈴木の掛け声で、選手達は守備に散っていく。

 俺はマウンドに上がると、プレートから外して琴穂と視線を合わせた。


 彼女からの言葉で目が覚めたな。

 琴穂は一塁側のベンチで俺を見守っている。塁上のパチモンは琴穂をマネしているだけの精神異常者だ。

 もう迷わない。俺は最愛の恋人の為に、この回を最短で終わらせる……!





「日頃の行いを逆手に取った嘘で発破をかけるとは……」

「それも自己犠牲の精神よ。とても年頃の女の子とは思えないぜ」


 一塁側ベンチでは、下級生達が琴穂を絶賛していた。

 守備を最短で終わらせる為に吐いた嘘。その自己犠牲の精神に、下級生達は先輩として惚れつつった。

 

「俺の姉ちゃんには絶対マネできねぇ。琴姉さん、流石っす!」

「あ、俺も琴姉さんって呼ばせて頂きます!」 

「琴姉! 琴姉!」 


 巻き起こる賞賛の嵐。

 今まで後輩(主に金野)にすら妹扱いされていた中で「お姉さん扱い」は非常に珍しい経験だった。

 

「あれ、琴姉さん……?」

「どうしました……?」


 しかし、琴穂は黙ったまま俯いている。

 恐る恐る顔を上げると、少し涙目になりながら目を泳がせた。

 そして――

 

「えっ……おといれ我慢してるのはホントだよ……?」


 体をプルプル震わせて、スカートをギュッと掴みながら言葉を溢した。

 その瞬間――下級生達は言葉を失ってしまう。やがて我に返ると、一斉にベンチの最前列に乗り出した。

  

「柏原さん、あれ冗談じゃないっす!!」

「あなたの彼女、今世紀最大のピンチっすよ!!」

「トリプルプレーしかない!!」」

 

 富士谷は今、かつてないくらいチーム一丸となっている。

 7回表を1秒でも早く終わらせなくては……と。

 この窮地を救えるかは、エースのピッチングに懸っていた。

明仲八612 110 5=16

富士谷613 125=18

【明】後田、黒島、羽山―舞岡

【富】柏原、中橋、芳賀、柏原―近藤

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