2.真夏の中央線
大会3日目の月曜日。
各地で熱闘が展開される中、俺は何時ものように中央線で登校していた。
富士谷はシード校なので出番が遅い。どうしても、大会序盤は蚊帳の外になってしまう。
ただ、そんな蚊帳の外にいる高校でも、夏を感じられる一幕は少なくない。
連日盛況の某掲示板の高校野球板。都度更新される東京高野連のHP。やたらと高校野球関連の記事が出てくるネットニュース。
そして――。
「今日勝てると思う?」
「無理無理。菅尾だぜ?」
「最初から諦めんなし」
電車内で度々見かける高校球児である。
俺が通学で使っている中央線は、八王子市民球場がある西八王子、昭島市民球場がある東中神に停車する他、府中市民球場や市営立川球場のアクセスにも多用されるので、この時期に見かける高校球児は非常に多い。
もっと言うなら、富士谷高校の最寄りは西八王子だし、地元の北府中は府中市民球場の最寄り駅。ここまで来ると、嫌でも選手権の真っ最中だと痛感させられる。
「けど正直、早く俺らの時代きて欲しいわ」
「わかる。どうせ試合出れないしな」
「おまえらはな。俺は出るかもしれねーから」
「うわ、でたよ。いいよなー、ピッチャーは交代する確率高いから」
俺の傍にいる高校球児達はそんな言葉を交わしている。
エナメルバックを見た感じ、彼らは都立武蔵境北高校の選手だ。
会話の内容からして、恐らく2年生なのだろう。
「いやーけど、一井だって早くエースになりた……」
「待て。隣の車両に角谷さんいるわ」
「聞こえないっしょ」
「気付かれたらダルい。もういっこ奥の車両いこう」
先輩を見つけたのか、彼らはコソコソと別の車両に移動していった。
角谷という人は怖い先輩なのだろうか。選手名簿を見た感じだとエースナンバーみたいだが……。
『次は西八王子、西八王子。お出口は左側です』
と、そんなことを考えている内に、電車は最寄り駅の西八王子に到着した。
富士谷高校と八王子市民球場は駅を挟んで逆側にある。彼らとはここでお別れだ。
せめて菅尾相手に善戦できるよう、密かに祈りを捧げるのだった。
※
「なにぃ、新球場だとぉ! そこで試合したかったわー!」
その日の練習前、京田は唐突に叫び出した。
理由は他でもない。どうやら、今年から運用が始まる町田市小野路球場が気になるようだ。
「新球場だけあって凄い綺麗らしいよ」
「ホームラン打つとバックスクリーンに演出あるんだって」
「まじかよ!! くっそー、こんなことならノーシードがよかったぜ!!」
おまえはホームラン打たねぇだろ、と出かかった言葉は何とか飲み込んだ。
シード校は基本的に八王子市民、市営立川、府中市民、昭島市民の4球場に割り振られる。
なので上柚木公園、多摩市一本杉、町田市小野路の3球場は、ノーシードでないと体験できないのだ。
「けど小野路ってクソ遠いぞ」
「上柚木や一本杉より遠いん?」
「全然遠い。鶴川からバスで山の中に入っていくからな」
この小野路球場だが、実のところ上柚木や一本杉よりアクセスが悪い。
最寄りの鶴川駅は各駅列車しか停まらず、そこからバスで暫く山道を進んだ先にある。
一応、小野路と一本杉は車なら10分で往復できるのだが、多摩センターから行ける一本杉の方が公共機関のアクセスはマシだった。
「柏原くんと堂上くんも球場コンプリート逃しちゃったね」
「球場コンプリート?」
「ほら、東京選抜も含めたら東京の球場制覇してなかったっけ」
ふと、野本はそう問い掛けてきた。
確かに、俺は偶然にも色々な球場を体験できたが、実のところ幾つか未経験の球場がある。
一応、サクッと説明していこう。
「西だけで見ても、小野路と入れ替わりで消えたあきる野市民球場ではやれてないよ」
「ああ、あきる野市民もあったね。殆ど使われないから忘れてた」
先ず、あきる野市民球場では正史も含めて1試合も行っていない。
この球場は、座席の収容人数が450人と非常に少なく、アクセスも秋川からバスなので非常に悪い。
その為、夏の序盤に少し使われる程度であり、小野路の出現と共にブロック予選用の球場に格下げされた。
「あと駒沢でもやってないな」
「そういえば駒沢もあったね」
「そんな都会にも球場があるのか……」
次に、世田谷区の球場で都営駒沢球場というものがある。
東東京ではメイン格の球場。今の世田谷区は西東京だが、球場は東東京として扱われている。
ちなにみ余談だが、都営駒沢はブラバン禁止。一応、都会の住宅街なので仕方がないのかもしれない。
「もう一個、明神大ボールパークでもやってねぇ」
「なんじゃそりゃ。明神大学のグラウンドでやってんの?」
「そう。東はそんだけ球場が足りてねーんだよ」
「僕達は球場がある西でよかったね」
そして最後に紹介するのが、恐怖のハズレ球場「明神大学ボールパーク」だ。
ここは名前の通り明神大学の野球場。グラウンドの質は非常に良いが、収容人数は僅か200人と恐ろしく少ない。
当然ながらブラスバンドも禁止で、ここで最後の夏を迎えるのは不憫に思えてしまう。
しかし、大学のグラウンドに頼らざるを得ないのが東東京の実情だ。
それどころか、雨天順延が絡めば西東京の球場にも浸食してくる。それだけ、23区内には硬式野球場が足りていなかった。
「そう考えると、八王子ってすげー良い球場だったんだな。富士谷から徒歩だし」
「ちょっと前に改装されたから綺麗だしね」
「今回は全部八王子だから楽だよな~」
尤も、色々と説明したけど、今年の富士谷は5回戦まで全て八王子市民球場である。
もう他の地方球場を使う機会はない。それは少しだけ寂しい気がするけど、此方としては有利な割り振りだった。
何せ学校から徒歩で行けるホーム球場だ。
応援を呼び易く、移動でも体力を温存できるという部分で、学校から近いのは非常に大きい。
もう一つ、ここには色々な思い出がつまっている。
東山大菅尾とのナイター決戦、人生初のノーヒットノーラン達成、伏兵福生との死闘など。
全て数えたらキリがないけど、俺達は幾度となく八王子市民球場で試合してきた。
ステージは富士谷の味方だ。
特に昨年まで東東京だった駒川大高は、八王子市民球場での試合経験に乏しい。
球場までの距離もあるので、もし駒川が勝ち上がってきたら優位を取れるだろう。
「いつまで喋ってんの〜、早く練習始めるよ〜」
「うぃ〜」
と、そんな話をしていたら、早く練習するよう恵に急かされてしまった。
無駄話に時間を使い過ぎたな。大会期間は一分一秒が貴重なので、少しでも有効に使わなくては。
「恵、その前にちょっとアイフォン貸してくれ」
「え〜。言っとくけど自撮りのエロ写メなんてないよ〜?」
「ちげえよ。高野連のHP見たいの」
「はいはい」
練習に行く前に一つだけ。
どうしても気になることがあったので、俺は東京高野連のHPを覗いてみた。
武蔵境北10=1
東山菅尾3=3
投手【武】角谷、一井【東】藤井
捕手【武】山原 【東】福原
本塁打【武】 【東】
三塁打【武】 【東】成瀬
二塁打【武】 【東】勝野、本橋、成瀬
うん、早くもワンサイドの様相が呈しているな。
東京高野連HPは継投や長打こそリアルタイム更新だが、ランニングスコアは攻撃が終了するまで更新されない。
つまるところ、成瀬の名前が2つある時点で、2回裏の攻撃中に打順が二巡目に入っているのだ。
まあ……武蔵境北は並レベルなので仕方がない。
それに電車内で会った球児達は2年生。今日は悔しがると思うが、明日には自分達の時代が来て喜ぶだろう。
そんなことを思いながら、俺も調整に励むのだった。




