32.西東京の夏が始まる(後)
「20番、松井」
「うっす!」
2012年6月某日。富士谷高校の部室前では、選手達の背番号が配布されていた。
この瞬間は主力選手でも緊張する。それだけ、高校球児にとっては特別なイベントだ。
尚、選ばれたメンバーは下記の通りである。
①柏原 ⑪吉岡
②近藤 ⑫駒崎
③鈴木 ⑬中道
④渡辺 ⑭大川
⑤京田 ⑮戸田
⑥津上 ⑯卯月(弟)
⑦中橋 ⑰上野原
⑧野本 ⑱垣越
⑨堂上 ⑲高松
⑩芳賀 ⑳松井
ほぼ予想通りで特筆することのない選考。
強いて言うなら、梅津が怪我で外れて、1年生左腕の垣越が採用されたくらいだ。
「(1番か……)」
俺は貰った背番号を眺め続ける。
一見、何時もと変わらない見慣れたエースナンバー。
ただ、最後の夏に1番を貰えたという事実は、少しばかり嬉しい出来事でもあった。
というのも――この背番号だが、大半の高校では最後の夏以外は返却する決まりになっている。
正史の俺は最後の夏だけ3番だった。つまるところ、エースナンバーを持ち帰るのは今回が最初で最後なのだ。
「竜也っ!」
「おう、どうした」
感傷に浸っていると、俺の天使こと琴穂が話し掛けてきた。
ちなみに余談だが、最近の琴穂は「竜也」と呼ぶようになっている。
当然と言えば当然か。将来的には彼女も柏原になる訳だからな。
「はい、これあげるっ」
「お、今年は作ったのか。ありがと」
琴穂が手渡してきたのは、ユニフォーム型に縫われたお守りだった。
背面にはKASHIHARAという文字と、背番号の1が貼り付けられている。
これを貰うと夏が来たと実感するな。
「ねねっ、竜也っ。ちょっと屈んでっ」
「こう?」
ふと、琴穂は俺に屈むよう要求してきた。
俺は言われるがままに屈んでみる。すると次の瞬間――彼女は俺の顔に迫ってくると、そっと頬に口付けしてきた。
「えへへ、頑張ってねっ!」
「あ、ああ。唐突すぎてビビったわ……」
琴穂は少し恥じらいながらも、ニコニコと笑みを浮かべていた。
相変わらずクソ可愛い。この笑顔を守る為にも、この夏は絶対に負けられないな。
「ひゅ~、熱いね~!」
「公衆の面前で見せつけてんじゃねーよ爆発しろ!!」
見られていたのか、鈴木や京田に揶揄われてしまった。
そういえば、富士谷には他にも恋人持ちがいるが……彼らも大会前に景気付けとかするのだろうか。
と、そんなことを考えながら、暫くは京田にネチネチと弄られるのだった。
【渡辺の場合】
「かーずや! 私もお守り作ったよ!」
「ありがと姫子。ははっ、これは負けられないな」
「その為に作ってるからね! 負けたらバツとして標本にして部屋に飾るから!」
「俺を!?」
「勿論」
「こわっ……」
とある日の渡辺家では、舞原姫子(渡辺の彼女)が渡辺に手作りのお守りを渡していた。
選手を支えているのはマネージャーだけではない。他校の恋人だって、最愛の人の勝利を願っているのだ。
【津上の場合】
「プレーの方は心配してないけど、遅刻とか怪我はやめてよね」
「しねぇって。俺を舐めるなよ」
「ブロック予選のとき寝坊したでしょ! ギリギリで間に合ったけどさー、もう少し遅れてたらベンチ入れなかったんだからね?」
「まぁ雑魚が相手だったし俺がいなくても勝てたろ」
「そういう問題じゃないの! とにかく、大会中は日付け跨ぐ前に寝ること! あと怪我はほんとに気を付けてよね」
「おまえ真面目スイッチ入ると糞ダルいよなぁ。言われなくても夏はガチるから任せろって」
「(勇人は意外と頑張り過ぎる部分あるからそれが心配なんだって……)」
一方、練習後の八王子市内では、金野が津上に釘を刺していた。
問題児の津上を面倒見の良い金野が支える。この構図は、今のところ成功を収めていた。
【京田と近藤の場合】
「まさかこんなガチで野球やるとは思わなかったよなー」
「そうだな。柏原に怒られたのが懐かしいわ」
「あった! お前と野球するの息苦しいよ状態だったやつ! なっつかしーなー、当時は甲子園に行けるなんて思ってもいなかったぜ」
恋人のいない京田と近藤は、2年前の夏を思い返していた。
当時はスタメンで出場できれば満足だと語っていた彼らも、今では甲子園に行けないと物足りない体になっている。
それだけ、富士谷というチームが高い所まで来たと言えるだろう。
【鈴木の場合】
「お姉さん、ちょっと道聞いていいっすか? 最寄りの防空壕まで案内して欲しいんだけど(暫く野球モードになっからな~。最後に一発やっとくか~)」
軟派な自由人は、相変わらず道行く女性に声を掛けていた。
ただ、彼も野球に対しては真剣な男。このワンナイトを最後に、暫くは自粛する決意を固めている。
進学にせよ就職にせよ、常に赤点ギリギリの鈴木は野球を武器にするしかない。
だからこそ――この夏は、今後の人生を賭けた分岐点なのだ。
【野本と夏美と堂上の場合】
「ほら、これやるよ。ぜってー負けんじゃねぇぞ」
「ありがとう。試合に出られない夏美の分まで頑張るよ」
夏美は野本にお守りを手渡していた。
余談だが、彼女は野本と堂上の担当。琴穂は柏原と近藤に配布して、残りの3年生には恵が配っている。
「堂上も受け取ってくれ」
「ふむ、願掛けということか。頂こう」
続けて夏美は堂上に手渡すと、彼は二つ返事で受け取った。
その姿を見て、夏美は少しだけ驚きを露にする。そして次の瞬間――。
「……珍しいな。正直、くだらないって言われて返却されるかと思った」
安堵の息を漏らしながら、そう言葉を溢した。
堂上は非常に理屈的な男である。故に、非科学的な縁起物であるお守りは、突き返されるかもしれないと心配していたのだ。
「心外だな。そんなに俺が冷酷な人間に見えるか?」
「見えるわ!!」
「(夏美……堂上くんのこと好きなんだろうなぁ。乙女ゲーなら間違いなく攻略最難関の彼氏だと思うけど頑張ってね……)」
最後は何時も通りな2人を眺めながら、野本は呆れた表情を浮かべていた。
結局、夏美と堂上の恋路は夏までに決まらなかった。恐らく、その結末は卒業式あたりまで縺れるのだろう……。
※
From:瀬川 恵 22:48
件名:今年の目標は!?
本文:かっしー、やっぱこれだけは聞かせて(`・ω・´)
とある日の就寝前、恵から1件のメールが届いていた。
内容は御覧の通り。毎年語っていた大会の目標である。
全く、恵も知っているだろうに、これ語る意味あるのだろうか。
と、そんなことを思いながら、俺は文字を打っていく。
「(これでよし、っと……)」
10秒も掛けずに入力を済ませると、そのまま携帯を放り投げた。
今年の目標は最初から決まっている。最初からコレ以外は考えられなかった。
To:瀬川 恵 22:49
件名:今年の目標は!?
本文:全国制覇
【都東大学第三高校(町田市)】
「……って感じで、都立やなんちゃって強豪私学のクソ共は、なんか青春っぽいことしてる訳よ」
「なんやそれ。先生の偏見やろ」
ここは町田市にある選手寮のロビー。
まだ完全消灯まで少し時間がある中、俺は宇治原と言葉を交わしていた。
「いいや間違いなくやってるな。今年は勝負年だからとか言って、無駄に友情ゴッコしたり彼女とイチャついたりしてんだよ奴らは」
「捻くれとるなぁ。ま、どこもええ選手揃っとるみたいやし、気合入るのはしゃーないんちゃう?」
「わかってねぇな。それがクソいんだよ。浅はか過ぎて反吐が出るわ」
「(今日の先生は一段と荒れとるなぁ)」
本日の話題は他でもない、昨今の他校の動向である。
一応、今年の西東京は補強や育成に成功した高校が多い。
きっと「今年こそは!」と意気込んでいる人間は多いだろう。
ただ、高校野球の戦力というのは常に相対的なものだ。
いくら戦力が整っていても、他がもっと強ければ勝てないし、その逆も然りである。
他校の事情次第では「勝負世代は敗退、翌年の谷間世代で甲子園」なんてこともありえるのだ。
その中で――今年こそ行けると思っている奴は、救いようがないくらい頭が足りていない。
何故なら今年は俺達がいる。高校野球史上最強とも名高いチームが存在する時点で、他校は相対的に見たら捨て世代なのだ。
もし……俺が他校の監督なら、今年は下級生中心の起用で新チームに備える。
それだけ今年の西東京はレベルが高く、特に都大三高の戦力は突き抜けている。
一方、新チームの三高はド谷間世代。他校が甲子園を狙うなら秋以降なのだ。
尤も、それを実践できる指導者は東京には居ないだろう。
例年より強いご自慢の世代に感情移入して、3年生ばかり使って中途半端に勝ち上がる。
そして俺達に大敗して夏を終えて、抜け殻みたいなチームで秋に臨むのだ。
と、そんな感じの内容を、宇治原にも語り尽くした。
色々と話したけれど、俺が言いたい結論は一つ。これ以外に何もない。
「ま、何が言いたいかというとさ。他校の連中は指導者も含めて、青春や勉強のついでに野球してる訳よ。だから考えが甘いし、根性論や希望的観測に縋り付く。そんなクソい連中に負けらんねーよなって話し」
「せやな。俺らは野球取ったら何も残らへんってくらい、高校では野球しかしとらんもん。遊び半分の甘ちゃんには負けられへんわ」
俺達は24時間監視される寮で暮らし、授業も午前中に切り上げて、高校生活の全てを野球に捧げてきた。
いや、正確に言うなら人生の全てを野球に捧げてきている。ゲームや映画にも無縁だったし、流行りの菓子やジュースの味も知らないし、当然ながら恋人もいない。
そんな俺達が、半端な覚悟で野球してる連中に負ける訳にはいかないのだ。
「現実を教えてやろうぜ。青春のついでに野球してる二流共にな」
「せやせや。今まで以上にボコボコにしてトラウマにしたるで~」
俺達はそんな言葉を交わして、今夏の決意を固めた。
もはや全国制覇は大前提、全試合コールドスコアも通過点だ。
俺達は過去にない打率と得点を記録して、高校野球の歴史に名を刻む。
9章はここまでです。
予定より少し長くなりましたが、お付き合い頂きありがとうございました。
10章は7月23日からスタートです。
ただ今ストック0なので少々お待ちください……!