16.好きだよ
「その……野球部に入ったの、ちょっとだけ後悔してるんだ」
「え?」
その瞬間――あまりにも意外な一言に、俺は思わず言葉を失ってしまった。
琴穂の口から出たのは、野球部へ入った事への後悔。期待とは真逆だっただけに、体から力が抜けてしまう。
「あっ、あれだよっ。マネージャーするのは楽しかったし、皆とも仲良くなれて本当に良かったよっ。けど……ほんのちょっとだけ……」
琴穂は戸惑いながらも言葉を続けた。
思わず安堵の息が漏れる。野球部を辞めたいとか、そういう話ではなさそうで安心した。
しかし、謎は深まるばかりだ。何故、彼女はそんなことを……。
「じゃあなんで……」
「最近ね、春ちゃんと昴くんを見てて思うんだ。すっごく羨ましいなって」
琴穂はそう言って、少し寂しげな表情を見せた。
確かに、この前も羨ましそうに見ていたけど、何か関係があるのだろうか。
「と言うと?」
「一生懸命練習して、いっぱい汗を流して、クタクタになりながら一緒に帰って、次の大会のこととか話して……そーいうのが、すっごく輝いて見えるの。素敵だなぁーって」
琴穂はそこまで語ると、俺は言葉に詰まってしまった。
それは――まだ琴穂が野球部に入る前、俺が思い描いていた構図だった。
野球部の俺とバスケ部の琴穂が、部活終わりに一緒に帰る。当時はそんな青春を夢見ていた。
「だからね……その……」
ふと、琴穂は頬を赤くしながら視線を逸らしてきた。
少し言葉に詰まっている。やがて何かを決意すると、再び俺を見つめてきた。
そして――。
「そんな青春を、かっしーと送りたかったなって。かっしーと選手同士で向き合たかったなって。ちょっとだけ思っちゃった」
琴穂はニコッと笑顔を見せて、そう言い放ってきた。
俺は小さく笑みを溢してしまう。回りくどいだけで、考えてることは一緒だった訳だ。
琴穂は恐らく、この後に仕掛ける予定だったのだろう。
ただ、お膳立てをした彼女には申し訳ないが、ここから先は主導権を握らせて頂く。
こちとら約20年くらい片思いしている身だ。やはり「好き」は自分から伝えたい。
「それ、今からでも遅くはねーと思うな」
「え?」
俺はそう言葉を溢すと、彼女の近くに寄り添ってみる。
富士谷高校のグラウンドでは、ナイター用の照明が2人だけを照らしていた。
「確かに、マネージャーはサポート側の人間かもしれないけど、一生懸命お手伝いして、いっぱい汗を流して、クタクタになりながら帰ってる訳じゃん。
次の大会の話も出来るし、一番近い場所で応援も出来る。それに選手達はマネージャーのお陰で頑張れる訳だから、立場だって対等だと思うよ」
かつて恵にも似たようなことを語ったけど、決してマネージャーが「下」という訳では無い。
彼女達は自分なりの方法で野球部に貢献している。ありきたりな表現にはなるけど、マネージャーは10人目の選手なのだ。
「実際、琴穂はこの2年間、一生懸命頑張ってたじゃん。本当はバスケがやりたかったのに野球部に転部して、ルールやスコアブックの書き方も覚えて、こんな遅くまで練習に付き合ってさ。
スポドリ濃いめに作って怒られたり、便所の場所がわからなくて半泣きになったり……お茶目な所もあったけど、琴穂が頑張ってくれたから、俺も今日まで頑張れたんだよ」
俺はそこまで語ると、少しだけ間を置いた、
長々と前置きを語ってきたけど、そろそろ伝えなきゃいけない。
ずっと抱え込んできた、精一杯の「好き」という気持ちを。
思えば――最初は「可愛いから」という安直過ぎる動機だった。
小柄で小動物みたいな雰囲気も、童顔で可愛らしい顔も、それらを引き立てるボブカットも、シンプルに自分の好みだった。
無邪気で天然っぽくて、けどちょっとあざとくて、内面は物凄く臆病なのも、男として庇護欲をそそられた気がする。
一言でいえば、俺は本能的に琴穂が好きだった。
それは今でも変わらない。ただ、実際に仲良くなって、今まで以上に好きになれた。
どこが……と言われても言葉にはできない。
恋愛とは理屈では語れないもの。きっと、これが「人を好きになる」ということなのだろう。
「俺はさ、俺は……」
俺は重い口を開くと、意を決して琴穂を見つめた。
彼女も既に察しているのか、少し恥ずかしそうに頬を赤らめている。
棚橋唯、柏谷伊織、そして瀬川恵。
俺がダラダラ片思いを続けたせいで、色々な人を傷つけてしまった。
その罪滅ぼしはできないけど、せめて次の犠牲者を出さないように、そして自分の幸福の為に――この恋に決着をつけよう。
「そんな何事にも一生懸命な琴穂が好きだよ」
俺はそう言い放つと、そのまま言葉を続ける。
「琴穂、俺と付き合おう。俺達も昴と苗場みたいな青春を送ろうぜ」
そして言い直すと、少しだけ笑みを浮かべた。
言ってしまった。後戻りは出来ない。けど、そこに動揺や不安はなかった。
きっと琴穂も、同じことを思っていると信じているから。
「うんっ!」
琴穂は一言だけ返すと、俺に抱き着いて顔を埋めてきた。
恥ずかしいのだろうか。やがて顔を上げると、抱き着いたまま俺を見上げる。
「えへへっ。私も好きだよ、かっしー」
琴穂はニコッと笑顔を見せると、俺は彼女の頭を撫でた。
長かった。本当に長った。とんでもない時間を使ってしまったけど……俺は本当に好きな人と結ばれた。
もう遠回りはしない。責任を持って彼女を幸せにして、これを最後の恋にしようと思う。
「やっと終わったかな? これで一件落着だね~」
「中道~。俺ら先帰るから延長解除頼んどけよ~」
「えー! 肉おじ絶対怒ってますよ! 行きたくねええええええ!」
尚、この一部始終は何人かの部員に見られていたらしいが、それはまた別の話である。
やたら照明が持ってくれたのも、彼らが延長依頼してくれたお陰だったらしい。
 




