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11.目を背けていた現実

 ここは東京都小金井市。

 閑静な住宅街にある一軒家では、瀬川恵が身支度をしていた。


「スカートは琴ちゃんと同じ紺にして〜、下着は可愛いの着ていこ~っと」

「アンタ水色しかないでしょ」

「柄とか素材とかあるじゃん!」


 下着を選ぶ恵に対し、次女の瞳は珍しく呆れた表情を見せている。

 ちなみに余談だが、瀬川家の子は男女別で同じ部屋をシェアしていた。


「……本当に告白するの? 絶対無理だと思うんだけど」

「瞳姉だったらするでしょ?」

「するね!! そしてワンナイトに持ち込んでワンチャン既成事実作る!!」

「そんなんだから何時まで経っても結婚できないんだよ……」

「うるさいよ」


 彼女達はそんな言葉を交わすと、恵は小さく笑み浮かべる。


「ふふっ。まぁ私も人のこと言えないけどね。私は望姉より瞳姉に似ちゃったからさ、瞳姉と同じようにタダで引けないの」


 そして得意げな表情を見せると、瞳は再び呆れた表情を見せた。


「アンタ、まさか本当に既成事実を……」

「どうだろうね~。じゃ、いってきまーす」

「あ、待って! 高校生でそれは流石にシャレにならないから後1年まっ……行っちゃった」


 恵は逃げるように家を出ると、フリーなライターの瞳だけが部屋に残された。

 本日は富士谷野球部で練習の無い月曜日。つまるところ、瀬川恵が告白する日だった。





 2012年5月14日。 

 本日は練習の無い月曜日だったが、俺は恵と共に下校していた。

 理由は他でもない。恵が「今日は一緒に遊ぼう」と言って聞かなかったので、仕方がなく付き合うに至ったのだ。


「で、どこ行きたいんだよ」

「え~。そこは男らしくかっしーが決めてよ~」

「誘っといてそれ言う??」

「いいじゃん別に~! リードされたいお年頃なんだって~!」

「なんだそれ。じゃ、カラオケで」


 行先を委ねられたので、恵の得意なカラオケをチョイスした。

 しかし、一体どういう風の吹きまわし何だろうな。打ち合わせなら何時もの喫茶店に行くだろうし。


 と、疑り深くなっても仕方がないので、今はカラオケを楽しむ事にした。

 恵とは転生仲間である前に友達だ。恐らく、彼女も息抜きがしたかったのだろう。


「じゃあ私から~」

「おまえ、それ好きだよなぁ」

「だって私にピッタリなんだもん!」


 恵の一曲目はお得意のCHE.R.RY。

 自分の恋心に気付かぬ異性に、メールで想いを託す女の子の心情が歌われている。

 相変わらずクソ上手い。俺は音楽は全然なので、上手さを言葉で伝えるのは難しいのだけれど。


「かっしーも何か歌って!」


 恵は歌い終えると、そう言って俺にマイクを回してきた。

 自分で選んどいてアレだが、実のところ人前で歌うのは苦手だ。実際、2年前の祝勝会では夏美と共に抜け出している。

 ただ、本日は恵しかいないので、そこまで億劫ではないのも事実だった。


「しゃーねーな。さくらんぼ歌ってやるよ」

「だーめ! もっとカッコいいの歌ってよ~」

「はぁ? じゃぁ粉雪で」

「季節感なさすぎでしょ……」


 恵が男性アーティストを所望してきたので、俺は仕方がなく粉雪を歌った。

 ちなみに余談だが、関越一高では一時期「一番エラーした奴がグラウンドの中心で粉雪を歌う(1番のサビだけで可)」という罰ゲームがあった。

 それで何度か歌わされたことがあり、少しだけ慣れている曲だった。


「へ~。けっこう上手いじゃん!」

「そりゃどうも」

「じゃ、次はかっしーの好きな波乗りかき氷歌ったげる!」

「別に好きな訳じゃないからな??」


 続いて恵のターン、チョイスされたのは琴穂の十八番らしい波乗りかき氷だ。

 サーフィンとかき氷に夢中の彼氏に、海辺で放置された女の子の心情が歌われている

 もう一つ「せめて3番目には自分を見て欲しい」という願いが込められた曲だった。


 恵の歌声は相変わらず美しく、それ以上に感情が篭っていて迫力が感じられる。

 やがて歌い終えると、小さく息を吐いてから肩を落とした。


「はぁ。3番目じゃダメなんだよなぁ」

「どうした急に」


 そして一言だけ呟くと、俺は思わず顔を歪めてしまった。





 西八王子駅前のカラオケを出る頃には、辺りはだいぶ暗くなっていた。

 時刻は既に18時半。所謂「夕食時」という時間帯であり、帰宅にはちょうど良い頃合いである。

 ただ、恵はそう思っていなかったみたいで、俺達は駅前の肉屋で買ったメンチを片手に、富士森公園へと向かうことになった。


「あー楽しかった~。かっしーの貴重な歌声も聴けたし!」

「マジで激レアだぞ感謝しろよ。なんてったって口ラッパの経験も殆ど無いからな」

「はい自慢! 去年はスコアブック書けない自慢もしてたよね~」

「事実だから仕方ねぇだろ」


 そんな感じで、いつも通り雑談しながら、西八王子の夜道を歩いていく。

 やがて富士森公園に辿り着くと、見慣れた八王子市民球場の脇から遊歩道に入った。


 実のところ、八王子市民球場は富士森公園の一部である。

 この遊歩道は一塁側スタンドの裏側にあり、金網を挟んでグラウンド一帯を見下ろせる。

 その為、大会期間はチケット代を払いたくない客で賑わうらしい。


「……」


 先程まで騒がしかった恵は、いつの間にか静かになっていた。

 夜の八王子市民球場は1回目の菅尾戦以来。静かに思い出に耽っているのだろうか。

 それとも、何らかの理由で言葉に詰まっていて、なかなか言い出せないのか。


「……そーいや、こうやって恵と遊ぶの初めてだな」


 気まずい雰囲気を壊したくて、俺は言葉を振り絞った。

 話題の選択に深い意味はない。学校行事と喫茶店以外で二人きりになるのが新鮮だと思っただけ。

 文化祭や修学旅行で行動を共にしたことはあったが、プライベートで遊ぶのは初めてだった。


「あはは、今更~?」

「なんだ気付いてたのか」

「……」


 恵は小さく笑みを溢すと、再び沈黙してしまった。

 その表情はどこか寂し気で、しおらしくも見える。


「そりゃ気付くよ。なっちゃんや琴ちゃんとはデートするのに、いっつも私はお留守番なんだもん。私はこんなに好きなのに……ほんと凹んじゃうよね」

「恵……?」


 そして――唐突にそんなことを言うものだから、俺は言葉に詰まってしまった。


「急でごめんね。けど、今日は絶対に伝えようって決めてたんだ」


 恵はしおらしい表情で言葉を続ける。

 一方、俺は目を丸めたまま、言葉を発せずにいた。


 流石の俺でも、ここまで言われたら分かってしまう。

 恵に好意を向けられているという事実と、彼女から次に告げられる宣告が。


 いや……俺は遥かに前から、恵の好意に気付いていたのかもしれない。

 ただ、それが気のせいだと思いたくて、いつか傷付ける日が来るのが怖くて、ずっと彼女から目を背けていた。


「ねねっ、かっしー」


 恵は両手の指を絡めながら、もじもじとした仕草で少しだけ恥じらいを見せている。

 これ以上はダメだ。聞いたら引き返せなくなる。頭では分かっているけど、彼女を止めることは出来ない。

 そう内心で焦る俺を他所に、恵はニコッと小さく笑みを見せていた。


「ずっと前から好きでした。もし良かったら、私で妥協しませんか?」

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