【閑話】彼が消えるまで(中)
ここは新宿区内にある工事現場。
エリア一帯を再開発する予定になっていて、スーツ姿の偉そうな人から、ダボッとしたツナギを着た職人まで、様々な人間が出入りしている。
そんな中、堂上剛士も現場監督として指揮を執っている所だった。
彼の職業は施工管理業。
大手会社に総合職として入っていて、それなりに上司からの信頼も得ている。
ちなみに余談だが、柏原竜也が過労死した件については、同業者なので堂上も存じ上げていた。
「ちーっす。堂上さん、久しぶりっすね~」
そう言って声を掛けてきたのは、下請け業者の鈴木という男だった。
ボサボサした金髪に耳には派手なピアス。いかにもチャラそうな身なりをしている。
「確か……丸原工業の鈴木といったか。新小岩の件以来となると3年ぶりだな」
「っすねー。堂上さん、全然仕事くれないんすもん」
「コロナで工事も滞っていたからな。あと、お宅の見積が高くて他所に回した案件も幾つかある」
「坂山さんすぐぼったくろうとしますからねぇ。あれ値引き交渉前提なんで、言えば下げてくれますよ」
「いや、出精値引き込みでもまだ高い。もう少し何とかならないのか?」
「そりゃ丸原さんとか坂山さんに言ってください。下っ端の俺には権限ねーっすよ」
彼らはそんな言葉を交わしていく。
堂上と鈴木は以前も一緒に仕事した仲。鈴木は下っ端だが、同じ歳という部分で意気投合するに至った。
「じゃ、一服失礼しゃ~っす」
「やめろ。俺の清潔な肺を汚染するな」
「え~、外だしいいじゃないっすかぁ」
「吸うなら喫煙スペースに行け。無論、俺は付き合わないが」
「っちぇ、我慢っすか~」
鈴木は煙草を取り出すが、堂上に制されてしまった。
現場はどうしても喫煙者が多い。下請け業者の職人となれば尚更だ。
「そ~いや、結婚指輪どーしたんっすか? 前はしてたっすよね?」
「外す理由なんて一つしかないだろう」
「っぱ離婚か~。まー、今の時代珍しくはないっすよねぇ」
ヘラヘラ笑う鈴木に対して、堂上は少しばかり不機嫌になっていた。
実の所、堂上はバツイチである。それも年子の子供がいる中で離婚するに至った。
つまるところ、彼は28歳という若さにして養育費も払っているのだ。
「で、なんで別れたんすか?」
「俺は性格の不一致だと思っているが……相手はそう思ってなかったみたいでな。モラハラで訴えられた」
「マジっすか!? で、結果は??」
「此方も弁護士を立てたが勝てなかった。正直、この部分に関しては今でも納得いっていない」
離婚の理由は、相手が堂上をモラハラで訴えたから。
ただ、堂上は納得いっておらず、今でも不満に思っていた。
実際、堂上は収入でマウントを取る事もなかったし、子供が出来るまでは良好な関係を築けていた。
関係に亀裂が入ったのは子供が出来てから。教育方針や家事育児の分担で揉めるようになったのだ。
その際、堂上は理論で語るように徹底していた。
口論が日を跨いだ際は、統計を元に資料を作って説明した事もある。
何が正しいか、誰が正しいかというのを、客観的に見ても納得できるように語っていた。
しかし、それは女性からしたら、感情に寄り添えない理屈っぽい男だったのかもしれない。
彼はモラハラで訴えられると、裁判に負けて慰謝料を支払った。そして離婚して今に至る……と。
「っかー、モラハラって言ったもん勝ちっすもんねぇ。お子さん居ましたっけ? どーなったんすか?」
「勿論、親権は向こう側だ。養育費も払っているが、教育に悪いからという理由で一度も会わせて貰っていない」
そして堂上が本当に不満に思っている部分はココである。
離婚までは仕方ないにせよ、慰謝料を払わされ、養育費も払っているのに、一度も子供に会えていない。
いくら堂上とはいえ28歳の青年に、この仕打ちは色んな意味で堪えたのだ。
「うへぇ。控えめに言ってもクソっすね。もう払わなくてもよくないっすか?」
「なにを言っている。養育費を支払うのは義務だ。それに子供に罪はないだろう」
「俺も子持ちバツイチっすけど1円も払ってないっすよ。ま、当時ヒモだったんで支払い能力なかったのもあるっすけど」
「見た目通り本当にしょうもない人間だな」
「いや~、照れるっすわぁ~」
「断じて褒めてはない」
鈴木は相変わらずヘラヘラ笑っているが……堂上は至って真面目だ。
彼は家族に見捨てらた過去がある。だからこそ、自分はそうならないように、養育費という形で力を貸すようにしていた。
「まー、堂上さんは稼いでるから簡単に払えるじゃないっすかね」
「正直、火の車と言った所だ。結婚まで早かったが故、個人の貯金は非常に少ない。その貯金も慰謝料で取られて、今は奨学金を返済するのでやっとだな」
「え、奨学金もっすか?」
「うむ。両親には高校卒業と同時に絶縁するよう宣告されてな。大学に行くには奨学金を借りるしかなかった」
「ぜっ、絶縁!?」
流石の鈴木も驚きを露わにしている。
堂上は高校時代から蔵暮らし……もとい一人暮らし。元から絶縁は時間の問題だったと言える。
その中で、両親の事業が少しだけ傾いた。そして早めの損切として堂上は完全に切り離されたのだ。
「あのー……今、彼女とかも居ないっすよね?」
「うむ。何なら今でも連絡を取っている友人も殆ど居ない」
「えぇ……。めっちゃ失礼な事言いますけど、生きてて楽しいっすか?」
「……」
デリカシーの欠片もない問い掛けに、堂上は思わず黙り込んでしまった。
現状、彼は会えもしない子供の養育費を稼ぐ為だけに生きている。正直な所、自分でも何が楽しいのか分かっていなかった。
家族には二度も見放された。
趣味も無ければ、今でも仲の良い友人は殆どいない。
果たして、そんな人生に未来はあるのだろうか――。
「って、冗談っすよ。そのうち楽しい事あるんじゃないっすかね」
「ふむ……果報は寝て待て、という事か」
「そーっすね。けど、もし待てないって言うなら――」
鈴木はそこまで語ると、珍しく険しい表情を見せる。
「自分で動くしかねーっすよ。人生1度きりですし、自分の為の人生っすから」
そして真剣な表情で訴えると、堂上は無表情のまま内心で感心してしまった。
チャラそうだが自分を持っている。それに比べて自分は、社会のルールや合理性に囚われ過ぎている……と。
「鈴木ー、何時まで遊んでんだー!」
「坂山さん激おこっすね。そろそろ失礼しゃ〜す」
鈴木は慌てて作業に戻っていく。
その背中を、堂上は呆然と眺めていた。
「自分の為に……か」
このまま一生、養育費の為に生きるくらいなら、いっそ全てをリセットして良いかもしれない。
そんな事を考えながら、堂上も仕事に戻るのだった。




