38.町田の主から見た世界
ここは東京都町田市にある、都東大学第三高校の野球部用グラウンド。
辺りは程よく自然に囲まれていて、照明設備や立派な客席もついている。
東京一、そして全国屈指の名門なだけあって、その環境は素晴らしい。
俺の名前は木更津 健太。
都大三高の1年生で、Aチームにも帯同した経験があるキャッチャーだ。
千葉の名門・南房総シニア出身で、U-15日本代表でも正捕手を務めていた。
そんな俺は今、グラウンドのトンボ掛けに勤しんでいる。
なんのことはない、俺はベンチ枠の20人から漏れてしまい、今大会では裏方に徹しているのだ。
ああ、あまりにもクソい。
肩書きは所詮飾りとは言え、実力すらも評価されていないなんて。
まあ……仕方がないか。
俺の長所は数字には現れないからな。
理解されるのには時間も掛かるだろう。
「木更津先生、ここにおったんやな。監督が呼んどったで」
ふと、背の高い関西弁の男が声を掛けてきた。
彼の名前は宇治原 繁。滋賀からやって来た世代最速とも名高い豪腕投手だ。
そして、俺を差し置いてベンチ入りした1年生でもある。
「宇治原、そのクソい呼び方やめろ。ぶっ殺すぞ」
「先生は先生や。先輩達やって皆そう呼んどるしええやろ」
睨み付ける俺に、宇治原はヘラヘラと言葉を返した。
大変クソい事に、俺のアダ名は「木更津先生」ですっかり定着している。
その理由は他でもなく、試合の度に他人のリードを批判をしているからだろう。
アダ名に加え、付けられた二つ名は空前絶後のリード厨。
と言っても、リード自体に拘りはなく、基本的には定石と呼ばれる組み立てしか行わない。
外中心、それか内外角を交互。投手の調子や打者の特徴によって多少の融通は効かすけど、根拠の無い奇策は一切使わない。
それなのに、先輩達は俺をリード厨呼ばわりするのだから、あまりにもクソいと思う。
俺は宇治原と共にミーティングルームへと訪れた。
次に控えた5回戦、富士谷高校との試合について、軽く擦り合わせを行うのだろう。
「お、木更津先生は捕まったか。木田はどうした?」
「天才くんはおらへんかったです。また鳥でも捕まえとるんちゃいますか?」
「全くアイツは……まあ仕方がない。先に始めてようか」
到着するなり、宇治原と主将の崎山さんはそんな言葉を交わす。
「で、木更津先生。偵察した感じどうだった?」
続けて、崎山さんがそう尋ねてきた。
実のところ、俺は偵察班を任されていて、東山大菅尾をマークしていた。
しかし、その東山大菅尾は富士谷に負けて、結果的に富士谷をマークする事となった。
「エースは府中本町シニアの柏原竜也ですね。右サイドから130キロ超を投げるって触れ込みですけど……俺が観た感じでは、MAXは140キロ以上出てる気がしました」
「なるほど。木更津先生が言うんならそうなんだろうな」
先ずは柏原竜也の名前を挙げる。
彼は中学時代、右サイドから130キロ台中盤の速球を投げると噂されていた。
それが今大会では、目測ではあるが140キロ以上の球を投げている。高校に入って急成長したのだろうか。
「変化球は速いスライダーとスプリットっぽい球、それからツーシーム。ストレートは基本的には縦回転ですけど、稀にシュート回転する事もありますね」
「なんでそこまでわかるんだよ。まさか、バックネット裏に行ったんじゃないだろうな……?」
「いいえ、三塁側の内野スタンドから見分けられましたよ」
「まじか。よく見えるなぁ、さす先だわ」
なんだよ「さす先」って。さすが先生の略か?
まあいい……続けよう。
「スプリットは若い回ではあまり使わないです。後半になるにつれて増えていくんで、前半のほうが的を絞りやすいとは思いますよ」
「へー、よく見てるな。他には?」
「ツーシームは付け焼刃っすね。動揺せずにしっかりと振りきれば内野は抜けます。菅尾戦こそノーエラーでしたが、二遊間の守備は割りとクソいので、狙い目っすよ」
俺はそこまで語ると、先輩達は「なるほど」と言葉を漏らした。
「二番手は堂上剛士。右の本格派で、チェンジアップと何か速いカーブを投げます」
「ああ……菅尾に打ち込まれてた子だっけ」
「あ、その情報は捨てたほうがいいですよ。あれはリリースで球種がわかったんですけど、大平西戦は改善されてましたから。それと――」
俺は一瞬、もう一人だけ名前を挙げようとしたが、
「……いや、何でもないです。忘れてください」
グッと言葉を飲み込んで、無かった事にした。
金城孝太。恐らく、富士谷に秘密兵器がいるとしたらこの選手だ。
先輩達は「投手としては終わった選手」と言っていたけど、菅尾戦では渾身のレーザービームを披露していた。
全く投げられない、という訳ではないだろう。
ただ、俺はその情報を敢えて伏せた。
何故なら、これは俺の憶測であり、あまりにも根拠に乏しいからだ。
ここまで1回も投げていないと考えたら、登板しない可能性のほうが遥かに高い。
その中で、投手金城孝太の存在をチラつかせるのは、ただの妄言といえるだろう。
そしてもう一つ。万が一、秘密兵器に完封されたとしても、俺は痛くも痒くもないからだ。
俺は試合に出れない。それでもって、順当に行けば秋からは正捕手になれる。
とっとと新チームになって欲しい、というのが俺の本音だった。
「うーん、素晴らしい……流石は天才の僕の見込んだ男だね!」
そんな事を思っていると、明らかにイキッてる銀髪の男が、手を叩きながらそう言った。
木田 哲人。俺を差し置いてベンチ入りした、もう一人の1年生だ。
「お前、どこで何してた?」
「外野の奥に雑木林あるんじゃん?」
「ああ、あるな」
「あそこのライト側にさ、鳥さんのおうちがあったじゃん?」
「鳥の巣か。安田さんがよく様子を見てたな」
「あれをレフト側に移設してた」
木田は無邪気な笑顔でそう言うと、俺は顔に手を当てた。
本当に何やってんだコイツ。頭おかしいんじゃないか?
「あー、楽しみだなぁ。帰ってきた凡人……いや凡鳥は、自分のおうちに気付くのかな? うふふっ……あはははははははは!!」
木田はそう言って高笑いをあげた。
ライトを守る安田さんは「ああ、何て事を……」と呟きながら、相当なショックを受けている。
うん、控え目に言っても頭がおかしい。
ただ実力のほうは紛れもなく本物で、彼の奇行には監督すらも目を瞑っている。
U-15日本代表で2年連続の4番打者、名門・都大三高でも既に4番打者。
そして――俺の捕手人生の中で、絶対に抑えられないと思った唯一の打者でもある。
苦手なコースや球種はなく、何を考えているかもわからない。
それでいて、ポンポン柵越えを放つ長打力に加え、ボール球すらもヒットにする好打力も兼ね備えている。
この男は理屈じゃない。
だからこそ、俺は同じチームを選んだ。
コイツを味方に付ける事こそが――この世代で生き残る、ただ一つの最適解だから。
「さーってと、僕は真面目だからね! 素振りでもしてこよーっと!」
木田は嵐のように去っていった。
気付けば、大倉監督は鬼の形相で睨んでいる。
うん、クソい。真面目な奴はミーティング中に素振りなんてしないからな。
「木更津先生」
「あ、次は打者ですよね」
崎山さんに名前を呼ばれて、俺は再び語り始めた。
富士谷打線で注意すべきは3番から6番。東山大菅尾はこの並びだけで6点くらい取られている。
特徴としては、堂上はシフトに関係なく遠くに飛ばしたがる。なので外野後退で安定だ。
柏原は狙い球を絞るタイプ。考えてる事はわかりやすい……が、たぶん俺にしか読み取れてない。
鈴木、金城さんは狙い球を決めず、コースに逆らわない打撃を意識している。
こういう打者には、対角線と緩急を使って残像を意識させたい。
他には、1番は意外と空振りが多く、ボール球に手を出しやすい。
2番は丁寧に芯で捉えてくるが、センター返しの意識が強いので、二遊間を狭めれば優位を取れる。
7番以降と控えは無視して問題ない。一言で言えばクソい。
「……と、まあこんな感じですね」
その内容を、俺は正直に語り尽くした。
とっとと負けて欲しいとは言ったが、わざと嘘を吐いて敗北に導く程、俺の性格は腐っちゃいない。
それに――富士谷、もとい柏原に負けるのは癪だしな。
サイドスローからスプリット。それに加えて、わざわざ弱小校を選ぶ逆張りっぷり。
こういう、定石を理解していない逆張り野郎は痛い目を見ればいい。
「よし、こんなもんか。じゃあ木更津先生、大変申し訳ないんだけど……こっそり鳥の巣を戻しておいてくれ」
「えぇ……何で自分が……」
ああ、クソい。
やっぱ早く負けてくれ。
▼木更津 健太(都大三高)
175cm 68kg 右投両打 捕手 1年生
定石をこよなく愛する捕手。実力は未知数。
自分は素直な性格だと信じて疑わないが、誰よりも捻くれている。
趣味はリード批判、口癖は「クソい」
▼宇治原 繁(都大三高)
183cm75kg 右投右打 投手/外野手 1年生
滋賀からやってきた豪腕投手。
既にMAX148キロを記録しているが、現段階では制球が破綻している。
▼木田 哲人(都大三高)
180cm74kg 右投左打 三塁手 1年生
人としても選手としても常識が通じない天才打者。
頭がおかしいのは才能の代償……という訳ではない。
▼崎山 文也(都大三高)
180cm81kg 左投左打 一塁手/投手 3年生
春までは4番でエースで主将だった男。
不調と後輩達の台頭により今は野手に専念している。
正直、台詞はあるけど覚えなくてもいい人。
今後、台詞がある選手については、簡易的な紹介を付けるようにします。
東山大菅尾、及び富士谷の選手に関しても、余裕があったら過去作の後書きに追加しておきます。
また1章完結後に、その時点での主な登場人物一覧も作成予定です。