37.たった一度の秘密兵器
4回戦の相手は都立大平西高校となった。
舞台は引き続き府中市民球場で、大平西の先発は背番号20の左腕・遠藤さん。
背番号1の大型右腕・大関さんは故障明けという事もあり、一貫して4回以降の起用となっている。
富士谷打線は、先発した遠藤さんを攻め立てた。
3回途中までに4得点を挙げた所で、大平西は大関さんを投入。犠牲フライで更に1点を追加すると、4回以降は140キロの速球に苦戦しながらも、計3得点を追加した。
一方で、投手陣はそれなりの苦戦を強いられた。
大平西は、八玉学園や八玉実践といった実力校を撃破しているだけあって、どの打者もバットを振れている。
ただ、長打があるのは大関さんと4番の大浜さんくらいで、先発した堂上は要所を最小失点で切り抜ける投球を披露。6回を2失点で抑えると、7回から登板した俺も3回を1失点で抑えて計3失点。
都立の実力校を8対3で下し、5回戦へと駒を進めた。
大平西との試合後、恵と共に喫茶店を訪れた。
「で、次は都大三高か……」
俺はそう溢して、アイスコーヒーを啜った。
5回戦の相手は、西東京2強の一角・都東大学第三高校。
今年の選抜ではベスト4。その疲れもあって、春季大会ではベスト16止まり――つまり下位シードとなったが、今大会の優勝候補に違いはない。
そして、この高校は2年後に甲子園春夏連覇を果たす。
つまるところ、都大三高は俺達の世代における、絶対的なラスボスだった。
「もう次の話するの? 先ずはベスト16を祝おうよ~」
「ベスト16なんて祝う必要ねえだろ、もう1つ勝ったらな」
「えー。じゃ、かっしーの正史の話を……」
「しねぇからな。ほら、早く始めるぞ」
「ちぇー、つまんないのー」
恵は少し不貞腐りながら、水色のノートを差し出した。
件の正史ノートだ。この中に、正史における西東京大会の結果の一部が記載されている。
「じゃー、先ずは正史の確認から。西東京最強とも名高い都大三高だけど、今年は5回戦で東山大菅尾に負けてるんだよね」
恵の言った通り、2年後に春夏連覇を果たす都大三高だが、この年は東山大菅尾に負けている。
これなら話は早い。この試合をモデルにすればいい訳だからな。
「ああ、覚えてるよ。1年生の宇治原が先発して、いきなりフォアボールを連発したんだよな」
「そそ! それで代わった吉田さんも流れを止められなかったんだよねー」
この試合は記事で読んだ記憶がある。
世代最速右腕とも名高い1年生・宇治原が先発するも、連続四球で早々にマウンドを降りる。
代わった吉田さんも立ち上がりが不安定な投手で、初回から3点を失った。
「ま、やる事はわかりやすいな。たぶん宇治原で来るだろうから、降りるまではひたすらフォア待ちすりゃいい訳だ」
「うん。吉田さんも立ち上がりは最悪だから、初回はノーバントで攻め立てたいね」
この試合は初回が大事になる。
エースの吉田さんは立ち上りこそ悪いが、本調子なら富士谷打線が簡単に打てる投手ではない。
実際、正史の東山大菅尾も、2回以降は追加点は奪えなかった。
その中で鍵になるのは、如何にして序盤のリードを守り切るかだ。
「続いて投手運用だけど……東山大菅尾の先発は左の大林さん。5回を2失点に抑えて、残りの4回を大崎さんが完封したんだよね」
これも恵の言った通りで間違いない。
富士谷戦では出番の無かった左腕・大林さんが最小失点で序盤を凌ぎ、残りの回を大崎さんがゼロで締めた。
この大林さんという投手も、準々決勝ではボコボコに打たれる程度の実力であり、決して凄い球を投げていた訳ではない。
つまり、左から右への継投が有効だと予測できるが――。
「厳しいな、うちには左腕がいないから」
富士谷に左投手はいないので、この案は没。
俺と堂上で誤魔化すしかない。俺がサイドの速球を見せて、後から堂上の緩急を使うのがベストだろう。
そんな事を考えていると、恵は不思議そうな表情で、
「え? 一人いるじゃん」
なんて言うものだから、俺は耳を疑ってしまった。
「冗談だろ?」
「ううん、本気。ブルペンでは何度か投げてるし……いけると思う」
恵は真剣な表情でそう言った。
厳密に言えば、左投げの選手は一人だけいる。
肘の怪我で投手を辞めた選手――孝太さんだ。
「賛成できねぇな。せっかく、野手としての道が開けたのに」
正気の沙汰とは思えなかった。
正史の孝太さんは初戦敗退を喫し、その後メディアで名前が挙がる事は無かった。
野球を辞めたのか、三部リーグ級の大学で続けたのかは不明だが、その程度の選手で終わってしまった。
しかし、今回は5回戦まで進み、東山大菅尾戦でも3安打の活躍を見せた。
プロは気が早いにしても、大学へのアピールは出来ただろうし、何より本人も自信が付いたに違いない。
その中で、肘に爆弾を抱えた孝太さんを先発させて、もし万が一があったら――彼は正史と同じ道を歩むことになってしまう。
「危険なのはわかってる。けど……勝つにはこれしかないと思うの」
恵は少し俯きながらそう言った。
彼女が都大三高を警戒する気持ちもわかる。
というのも、都大三高は過去30年以上も都立高校に負けていない。そして、その記録は今後10年も続く事になる。
この記録を打開するには、誰しもが予測しない「奇襲」を仕掛けるしかないのだ。
「……やっぱ賛成できねぇ」
「5回まででいいから」
「だめだな」
「あくまでストレート主体でも……だめ?」
恵は上目遣いでそう言った。
可愛いな畜生。じゃなくて、結局のところ、これを決めるのは俺じゃない。
瀬川監督、そして孝太さん本人だ。それなら――。
「……降板するタイミングは孝太さんが決める。それでいいなら、俺からは何も言わねぇわ」
「ふふっ、ありがと」
俺は呆れ気味に言い放つと、恵はようやく笑顔を見せた。
「あと……当日は雨になると思うから、終盤は特に気を付けてね」
「ああ、それも覚えてる。関越一高もこの日に試合があったからな」
そうそう、この日は一日雨なんだよな。
人工芝の神宮ですら、2試合目は雨天中止になった記憶がある。
「まあ……気を付けろって言っても、問題なのは俺よりもバックだろ」
「ふふっ……どうだろうね~」
恵は勿体ぶって微笑んだ。
理由はよくわからなかったけど、気にしても仕方がないので特に触れなかった。
「じゃ、こんなもんだね。例によって打線の事は任せるけど……木田くん対策ってあったりする?」
「ない。あのキチガイに常識は通じないからな。小細工なしで捩じ伏せるわ」
「そっか。よしっ、あと一つ勝って神宮にいこー!」
最後にそう言葉を交わして、俺達は店を出た。
翌日、瀬川監督と孝太さんに先発を打診。本人もやる気になっていて、孝太さんの先発が決まった。
東山大菅尾のエースになる筈だった左腕・金城孝太が、一度限りの復活を遂げる事になった。
富士谷212 000 102=8
大平西100 001 001=3
(富)堂上、柏原―近藤
(大)遠藤、大関―関谷