36.癖
3回戦、都立保野高校との対戦は、府中市民球場で行われる事となった。
北府中駅から約10分、俺や金城兄妹の地元であり、自宅からも徒歩で行ける野球場。
西東京の中では比較的都会で、狭い外野スタンドの先では中高層ビルが顔を覗かせていた。
保野高校は部員60人を誇る中堅都立。
コンスタントに2、3勝する力があるが、今の富士谷が苦戦する相手ではない。
そう思っていたのだが、序盤はお互いにゼロが並ぶ展開となった。
保野の小柄な右腕・坂山さんは、走者を出しながらも要所を締める投球で、富士谷打線に得点を与えなかった。
直球は120キロ台後半くらいだが、カットボールとシュートを駆使してくる他、果敢に内角も攻めてくるので、なかなか芯で捉えられない。
しかし、この投手は前の試合で延長12回を投げきっている。
恵の正史ノートを見ても、終盤に失点が嵩みコールドゲームとなっているので、後半勝負になるのは想定の内。
案の定、7回表に鈴木のツーランで均衡が破れると、9回までに計6点を追加した。
一方、投手陣に関しては不安要素が見つからなかった。
先発した俺は、初回から三者三振で保野打線の戦意を削ぐと、7回を僅か1安打で抑える。
代わった堂上も残りの2回を完封して、4回戦へと駒を進めた。
試合の翌日、富士谷高校では何時ものように練習が行われた。
一通りの連携を確認すると、ピッチングマシンを使った打撃練習に移行する。
マシンは140キロの直球とカーブの二台を設置。
二遊間くらいの位置から、ホーム側に向かって打つ形式だ。
打者が2人、球入れが2人、残りの人間とマネージャーでティーバッティング。
これを交代で行っていく。
そんな中、投手陣はブルペンに入った。
とは言っても、前日に7回を投げた俺は、調整程度の抜いたピッチング。
一方で、2回しか投げていない堂上は、何時ものように全力投球を行っていた。
「あ、140キロ出たよ!」
スピードガンを持った琴穂が、そう言ってマウンドに走ってきた。
かつて厳重に固定されていた左手首は、薄手のガーゼと湿布だけになっている。
まだ完治はしていないが、やれる事の幅はだいぶ増えてきた。
「ふむ……柏原はどうだ?」
「かっしーは132だった!」
「なるほど、どうやら俺の勝ちみたいだな」
堂上が無表情で勝ち誇っていた。
うん……まあいいんだけど、俺は軽くしか投げていないからな。
しかし、堂上は相変わらずいい球を投げている。
保野戦も無失点だったし、菅尾戦で滅多打ちにされたのが未だに理解できない。
調整を終えた俺は、琴穂と共に堂上のピッチングを見守った。
正直、何がダメなのかわからない。そんな事を思っていると、
「……曲がる」
と、琴穂が呟いた瞬間、堂上はナックルカーブを放った。
「ねね、当たったよ! 凄いでしょ!」
琴穂は嬉しそうに服の裾を掴んできた。
ああもう、めちゃくちゃ可愛いな。じゃなくて、そりゃ当てるのは簡単だろう。
何故なら、ブルペンでは投手から球種を指定する。
大抵の場合、投げる前に手首を回したら変化球だ。
「ああ、さすが琴穂だな!」
「ふふっ……でしょ!」
無邪気にはしゃぐ琴穂は相変わらず可愛い。
けど、ちょっと意地悪したくなってきたので、
「近藤、次はお前がサインを出してみてくれ」
「ん、まあいいけど」
と、近藤に指示を出してみた。
これで球種を当てる事はできないだろう。
しかし――。
「まっすぐ……!」
琴穂がそう呟いた瞬間、堂上はストレートを放った。
「……本当に凄いな、何でわかるんだよ」
「んーっとね、速いときはこーいう感じで、曲がる時はこんな感じなんだよ!」
琴穂はぎこちない動きで堂上のマネをした。
うん、全くわからん。わかるのは彼女が超絶可愛いという事だけだ。
「なるほど、琴穂はよく見てるなぁ」
俺は適当に誉めると、近藤が「絶対わかってねぇだろ……」と呟いたので、水差しゴリラを睨み付けた。
さて、次はフォームに注目してみよう。
琴穂の動きから察するに、右腕の動きが関係していそうだ。
堂上がストレート、ナックルカーブ、チェンジアップと投じていくと、その答えが見えてきた。
違ったのは右腕の回し方だ。
ストレートの時に比べ、変化球の時は腕が小回りする傾向にある。制球を意識してしまっているのだろう。
恐らくだが、東山大菅尾はこの事に気付いていた。だから堂上を簡単に攻略できたのだ。
「本当によく気付いたな」
「うん! 昔から目だけはいいからねっ」
もっといい所を沢山知ってるよ、とは言わなかったけど、この発見は大きな進歩になる。
俺はその事を堂上に伝えて、少しずつ改善するよう指導した。
「ちなみに、俺の癖とかはないかな」
ついでに、自分の癖も聞いておこう。
「えっとね……癖じゃないけど、あのぎゅいーんって落ちるやつ、打たれてないからもっと投げようよっ」
落ちるやつ……ああ、スプリットか。
確かに、ここまでスプリットは打たれていない。
ただ、それは他の球種と組み合わせた結果に過ぎないし、何より――。
「それは難しいかなぁ。落ちるやつ――スプリットって、本来なら振り下ろす球だからさ。
横から投げるのって、肘にも手首にも凄く負担が掛かるんだよ」
スプリットという球種は、本来なら浅く挟んで、振り下ろして抜く球だ。
それを俺は、サイドスローから放っている。肘は勿論、手首への負担も尋常ではない。
「へー、じゃあ普通は投げないんだ」
「というか、普通は投げられないな。俺は人より手首の可動域が広いから」
俺はそう言って、右手の親指を右腕に付けてみた。
今更になるけど、俺は手首の可動域が非常に広く、右手の握力も60を余裕で越えている。
この強靭かつ柔軟な右手のお陰で、サイドスローからスプリットを放れているのだ。
「あ、凄い! 私にもやらせて!」
琴穂はそう言って、俺の右手を弄り始めた。
いい、凄くいい。もう二度と手を洗いたくないまである。
「……俺、一つだけ癖を見つけたわ」
至福の時間に酔いしれていると、近藤がそう声を上げた。
一体何だろう。確かに、いつも組んでる近藤なら、癖を知っていても可笑しくはない。
「おまえは金城妹と話している時だけ喋り方が……いってぇ!」
余計な事を言い出したので、プロテクター越しに蹴り飛ばした。
親指が腕に付く人はたまにいるらしいです。自分は無理でした。
次回から、次の難所に向けて動き出す感じになります。