表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/699

34.それでも時計は回っている

 選手達は整列を済ますと、客席に向かって一列に並んだ。


「応援、ありがとうございました!」

「「っしたぁ!」」


 孝太さんの掛け声と共に、選手達は一斉に頭を下げる。

 その様子を、私――瀬川恵は、スタンドから見守っていた。


「やったね、琴ちゃん」

「うん!」


 もう一人のスタンド要員、金城琴穂こと琴ちゃんは、目を輝かせながらグラウンドを見つめていた。

 琴ちゃんにとっては、大好きなお兄さんの因縁の相手。

 私にとっては、正史では対決すら叶わなかった幻の相手。

 本来なら、今年の西東京を制する東山大菅尾を、富士谷高校は見事に倒したのだ。


 やがてグラウンド整備を終えると、選手達はバッグを持って撤収していった。


「琴ちゃん、私達もいこっか!」


 早く会いたい。

 選手達に、そして監督を務めるお父さんに。

 そう思って琴ちゃんに提案すると、


「そ、その前に、といれ行こ!」


 なんて言うもんだから、私は苦笑いを浮かべながら、一塁側のお手洗いに向かった。


「うわっ……凄い人だね」


 一塁側のお手洗いには長蛇の列ができていた。

 無理もない、今日は沢山の生徒が来た。試合が終わって人が集中したのだろう。


「む、むりっ! こんなに待てないよっ!」


 琴ちゃんはそう言いながら、スカート越しに股を押さえて足踏みしていた。

 その姿はちょっと可愛らしいけど、そんなこと言ってる場合じゃない。

 これは乙女の一大事である。ここで女子力が解放されようものなら、色々と大変よろしくない事態になるのは明らかだ。


 そういえば、三塁側は人が少なかった気がする。

 私は琴ちゃんの手を引くと、三塁側に駆け出した。


 私の予想は的中して、三塁側のお手洗いに列はなかった。

 琴ちゃんを中に入れると、暫し外で待つ事にした。


「うぐっ……ひっ……ひっぐ……」


 何やら声が聞こえる。

 ふと顔を上げると、ライトブルーに縦縞のユニフォームの人達――東山大菅尾の選手達が、一様に涙を流していた。


「くそ…………くそっ…………!」

「………………………………………………」


 もしこの世に地獄があるのなら、きっと目の前の光景の事を言うのだろう。

 そう思わされるくらい、選手達は絶望を露にしている。この世の終わりと言わんばかりだった。


 その中でも、私は一人の選手に目を奪われた。

 凄く背の高い、背番号18の選手――板垣さんだ。


「すいません……すいません……自分のせいで……」


 打ってはノーヒット。投げては0回2/3を3失点。そして――打球を見失ない逆転スリーベースを献上。

 攻守で足を引っ張ってしまった2年生は、代打で二塁打を打った戸倉さんと、打者一人を三振で抑えた鵜飼さんに、ひたすら頭を下げていた。


「いや……悪いのは俺だ。こんな思いをさせて……すまなかった……」


 戸倉さんはそう言って、板垣さんの肩を叩いた。板垣さんは泣き崩れた。

 鵜飼さんは放心状態で、ただただ虚空を見詰めていた。


 本来なら初戦を突破し、やがて西東京を制覇する筈だった、東山大菅尾の選手達。

 それが、私とかっしー、二人の転生者の手によって、初戦で涙を飲む事になった。


 本当にこんな事していいのだろうか。

 今更になって、かっしーが躊躇した意味がわかった気がする。


 私は一つ――いや二つ、実績と思い出を手にいれた。

 青瀬高校と東山大学菅尾高校、二つの高校の選手達を犠牲にして。


「ふー……9回3失点だったね」

「微妙に間に合ってないじゃん……」

「いや、かっしーの投球がねっ」

「紛らわしいよ!」


 なんて思ったのも束の間、琴ちゃんが清清しい表情でボケてきたので、何だか気が抜けてしまった。





 やがて一塁側に戻ると、孝太さんがインタビューを受けていた。

 時刻は21時に迫っているのに。少しは選手の事も考えて欲しい。

 なんて思いながらも、あわよくば私の所にも来ないかな、なんて淡い期待を抱いている。


 マネージャーは監督の娘。

 それでいて、今日活躍したかっしーと堂上は、その娘が誘ってきた選手。

 話題性としては、因縁がある孝太さんにも負けてないと思う。


「あ、すいません。この辺で一旦いいですか?」


 そんな事を思っていると、孝太さんが話を途中で切り上げた。

 視線の先では、千羽鶴を持った菅尾の選手達が、孝太さんに視線を向けている。

 なるほど、そういう事か。他に受け取る3年生もいないし、妥当な判断だと思う。


 菅尾の選手は計3人。

 主将の戸倉さん、エースの大崎さん、そしてライトの山本さんだった。


「孝太、やっぱお前は凄いよ。完敗だった」


 先陣を切ったのは大崎さん。

 孝太さんに似て、爽やかな好青年という印象を受ける。


「ッケ、どーだかな。大崎完投なら俺らが勝ってただろーがよ」


 そう言って、そっぽを向いたのは山本さん。

 少し顔付きは怖いけど、目は真っ赤に充血している。

 この人ですらも、先程までは号泣していたのだろう。


「亮司はああ言ったけど、次に進むのは紛れもなく孝太だ。うっかり変な所で負けるなよ。そして――俺達が一度も勝てなかった三高を倒してくれ」


 そう語った戸倉さんは、千羽鶴を手渡した。


「ああ、絶対に勝つよ。それが俺達の目標だったからね」

「一番意気込んでた奴が真っ先に逃げたけどな」


 山本さんに水を差されて、孝太さんは苦笑いを溢した。

 少し千羽鶴を邪魔そうにしている。持ったまま立ち話も大変だよね。


「孝太さん、持ちますよ」

「あ、恵ちゃん。ごめんね」


 私は駆け付けると、千羽鶴を受け取った。

 もの凄く重かった。1キロもない筈なのに。


 この千羽鶴の重みは、決して数字には表れない。

 たかが紙だけれど、選手が作った訳ではないけれど、選手達の思いが乗っている。

 そして――作ったマネージャーの思いが乗っているから。


「というか、ここまで動けるなら菅尾に残って欲しかったぞ」

「……ごめん」

「金城がいたらオメーは代打ですら出れなかったけどな」

「ほんっとお前は、孝太や戸倉に厳しいよな~」


 孝太さん達がそんな会話をしているうちに、役員から球場を出るよう急かされた。

 東山大菅尾の選手達は、専用のバスに乗り込んでいく。

 すると、大崎さんは足を止めて、


「孝太、待ってるよ」


 と言葉を続けた。


「え……何が?」


 孝太さんはキョトンとしている。

 鈍い、鈍すぎる。けど仕方がない。


 正史の孝太さんは、この夏を最後に野球を辞めている。

 その程度には、次に進む事を考えていなかったのだ。


「やれやれ、さすが金城様だ。高卒でプロに行くつもりらしいぞ」


 続けて山本さんがそう茶化すと、一部の3年生が笑みを溢した。

 今でこそ笑っている人もいるけれど、先程までは一様に絶望していたのを私は知っている。

 そして、寮に戻って冷静になった時、もう一度涙を溢すに違いない。


 私達は歴史を変えてしまった。

 それは今更戻せないし、戻すつもりもない。

 それでも――この変わった歴史の中で、彼らには報われて欲しい。

 そう願うことだけが、私にできる唯一の償いだから。

補足「八王子市民球場(現ダイワスタジアム八王子)において、照明による落球が決め手となった実例について」

2019年度 東京都秋季大会1回戦

明大中野八王子7―4二松学舎大附


・解説

明大中野八王子の2点ビハインドで迎えた8回表の攻撃。

一死満塁から代打の選手が放った打球は、ライト定位置への当たり……と思いきや、二松学舎のライトは全く対応できず、同点タイムリーとなりました。

この日は厚い雲に覆われていた事もあり、15時くらいから照明が点灯していて、その影響で打球を見失ったようです。



東山大菅尾戦はこれにて終わりです。

今後も、実際に起きた事例をちょこちょこ混ぜつつ、試合後に解説を入れていこうかなぁと考えています。

それと、この試合の間に沢山のブクマと評価を頂いたみたいで……本当にありがとうございます。どちゃくそ励みになってます。

そうでなくても、連日pv4桁って時点で凄く嬉しいです。多くの方に読んで頂けていると肌で実感しています。

ご期待に添えるよう、今後も頑張って執筆しますので、これからもよろしくお願い致します……!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ