34.それでも時計は回っている
選手達は整列を済ますと、客席に向かって一列に並んだ。
「応援、ありがとうございました!」
「「っしたぁ!」」
孝太さんの掛け声と共に、選手達は一斉に頭を下げる。
その様子を、私――瀬川恵は、スタンドから見守っていた。
「やったね、琴ちゃん」
「うん!」
もう一人のスタンド要員、金城琴穂こと琴ちゃんは、目を輝かせながらグラウンドを見つめていた。
琴ちゃんにとっては、大好きなお兄さんの因縁の相手。
私にとっては、正史では対決すら叶わなかった幻の相手。
本来なら、今年の西東京を制する東山大菅尾を、富士谷高校は見事に倒したのだ。
やがてグラウンド整備を終えると、選手達はバッグを持って撤収していった。
「琴ちゃん、私達もいこっか!」
早く会いたい。
選手達に、そして監督を務めるお父さんに。
そう思って琴ちゃんに提案すると、
「そ、その前に、といれ行こ!」
なんて言うもんだから、私は苦笑いを浮かべながら、一塁側のお手洗いに向かった。
「うわっ……凄い人だね」
一塁側のお手洗いには長蛇の列ができていた。
無理もない、今日は沢山の生徒が来た。試合が終わって人が集中したのだろう。
「む、むりっ! こんなに待てないよっ!」
琴ちゃんはそう言いながら、スカート越しに股を押さえて足踏みしていた。
その姿はちょっと可愛らしいけど、そんなこと言ってる場合じゃない。
これは乙女の一大事である。ここで女子力が解放されようものなら、色々と大変よろしくない事態になるのは明らかだ。
そういえば、三塁側は人が少なかった気がする。
私は琴ちゃんの手を引くと、三塁側に駆け出した。
私の予想は的中して、三塁側のお手洗いに列はなかった。
琴ちゃんを中に入れると、暫し外で待つ事にした。
「うぐっ……ひっ……ひっぐ……」
何やら声が聞こえる。
ふと顔を上げると、ライトブルーに縦縞のユニフォームの人達――東山大菅尾の選手達が、一様に涙を流していた。
「くそ…………くそっ…………!」
「………………………………………………」
もしこの世に地獄があるのなら、きっと目の前の光景の事を言うのだろう。
そう思わされるくらい、選手達は絶望を露にしている。この世の終わりと言わんばかりだった。
その中でも、私は一人の選手に目を奪われた。
凄く背の高い、背番号18の選手――板垣さんだ。
「すいません……すいません……自分のせいで……」
打ってはノーヒット。投げては0回2/3を3失点。そして――打球を見失ない逆転スリーベースを献上。
攻守で足を引っ張ってしまった2年生は、代打で二塁打を打った戸倉さんと、打者一人を三振で抑えた鵜飼さんに、ひたすら頭を下げていた。
「いや……悪いのは俺だ。こんな思いをさせて……すまなかった……」
戸倉さんはそう言って、板垣さんの肩を叩いた。板垣さんは泣き崩れた。
鵜飼さんは放心状態で、ただただ虚空を見詰めていた。
本来なら初戦を突破し、やがて西東京を制覇する筈だった、東山大菅尾の選手達。
それが、私とかっしー、二人の転生者の手によって、初戦で涙を飲む事になった。
本当にこんな事していいのだろうか。
今更になって、かっしーが躊躇した意味がわかった気がする。
私は一つ――いや二つ、実績と思い出を手にいれた。
青瀬高校と東山大学菅尾高校、二つの高校の選手達を犠牲にして。
「ふー……9回3失点だったね」
「微妙に間に合ってないじゃん……」
「いや、かっしーの投球がねっ」
「紛らわしいよ!」
なんて思ったのも束の間、琴ちゃんが清清しい表情でボケてきたので、何だか気が抜けてしまった。
※
やがて一塁側に戻ると、孝太さんがインタビューを受けていた。
時刻は21時に迫っているのに。少しは選手の事も考えて欲しい。
なんて思いながらも、あわよくば私の所にも来ないかな、なんて淡い期待を抱いている。
マネージャーは監督の娘。
それでいて、今日活躍したかっしーと堂上は、その娘が誘ってきた選手。
話題性としては、因縁がある孝太さんにも負けてないと思う。
「あ、すいません。この辺で一旦いいですか?」
そんな事を思っていると、孝太さんが話を途中で切り上げた。
視線の先では、千羽鶴を持った菅尾の選手達が、孝太さんに視線を向けている。
なるほど、そういう事か。他に受け取る3年生もいないし、妥当な判断だと思う。
菅尾の選手は計3人。
主将の戸倉さん、エースの大崎さん、そしてライトの山本さんだった。
「孝太、やっぱお前は凄いよ。完敗だった」
先陣を切ったのは大崎さん。
孝太さんに似て、爽やかな好青年という印象を受ける。
「ッケ、どーだかな。大崎完投なら俺らが勝ってただろーがよ」
そう言って、そっぽを向いたのは山本さん。
少し顔付きは怖いけど、目は真っ赤に充血している。
この人ですらも、先程までは号泣していたのだろう。
「亮司はああ言ったけど、次に進むのは紛れもなく孝太だ。うっかり変な所で負けるなよ。そして――俺達が一度も勝てなかった三高を倒してくれ」
そう語った戸倉さんは、千羽鶴を手渡した。
「ああ、絶対に勝つよ。それが俺達の目標だったからね」
「一番意気込んでた奴が真っ先に逃げたけどな」
山本さんに水を差されて、孝太さんは苦笑いを溢した。
少し千羽鶴を邪魔そうにしている。持ったまま立ち話も大変だよね。
「孝太さん、持ちますよ」
「あ、恵ちゃん。ごめんね」
私は駆け付けると、千羽鶴を受け取った。
もの凄く重かった。1キロもない筈なのに。
この千羽鶴の重みは、決して数字には表れない。
たかが紙だけれど、選手が作った訳ではないけれど、選手達の思いが乗っている。
そして――作ったマネージャーの思いが乗っているから。
「というか、ここまで動けるなら菅尾に残って欲しかったぞ」
「……ごめん」
「金城がいたらオメーは代打ですら出れなかったけどな」
「ほんっとお前は、孝太や戸倉に厳しいよな~」
孝太さん達がそんな会話をしているうちに、役員から球場を出るよう急かされた。
東山大菅尾の選手達は、専用のバスに乗り込んでいく。
すると、大崎さんは足を止めて、
「孝太、待ってるよ」
と言葉を続けた。
「え……何が?」
孝太さんはキョトンとしている。
鈍い、鈍すぎる。けど仕方がない。
正史の孝太さんは、この夏を最後に野球を辞めている。
その程度には、次に進む事を考えていなかったのだ。
「やれやれ、さすが金城様だ。高卒でプロに行くつもりらしいぞ」
続けて山本さんがそう茶化すと、一部の3年生が笑みを溢した。
今でこそ笑っている人もいるけれど、先程までは一様に絶望していたのを私は知っている。
そして、寮に戻って冷静になった時、もう一度涙を溢すに違いない。
私達は歴史を変えてしまった。
それは今更戻せないし、戻すつもりもない。
それでも――この変わった歴史の中で、彼らには報われて欲しい。
そう願うことだけが、私にできる唯一の償いだから。
補足「八王子市民球場(現ダイワスタジアム八王子)において、照明による落球が決め手となった実例について」
2019年度 東京都秋季大会1回戦
明大中野八王子7―4二松学舎大附
・解説
明大中野八王子の2点ビハインドで迎えた8回表の攻撃。
一死満塁から代打の選手が放った打球は、ライト定位置への当たり……と思いきや、二松学舎のライトは全く対応できず、同点タイムリーとなりました。
この日は厚い雲に覆われていた事もあり、15時くらいから照明が点灯していて、その影響で打球を見失ったようです。
東山大菅尾戦はこれにて終わりです。
今後も、実際に起きた事例をちょこちょこ混ぜつつ、試合後に解説を入れていこうかなぁと考えています。
それと、この試合の間に沢山のブクマと評価を頂いたみたいで……本当にありがとうございます。どちゃくそ励みになってます。
そうでなくても、連日pv4桁って時点で凄く嬉しいです。多くの方に読んで頂けていると肌で実感しています。
ご期待に添えるよう、今後も頑張って執筆しますので、これからもよろしくお願い致します……!