31.宿命の対決
富士谷000 003 10=4
東山菅300 030 00=6
(富)堂上、柏原―近藤
(東)大崎、板垣、大崎―仙波
真っ暗な空の下では、無数の照明と電光掲示板の文字だけが輝いていた。
時刻は20時を過ぎていると言うのに、一塁側・富士谷高校の応援席は、大勢の生徒で埋め尽くされている。
バックネット裏、一般客の方々も帰る気配がない。最終回、何かが起きるのを期待しているのだろうか。
『9回の表。都立 富士谷高校の攻撃は。1番 センター 野本くん。 背番号 8』
4対6、富士谷の2点ビハインドで迎えた最終回は、1番野本からの好打順だった。
「のもっちー! さっきみたいなの頼むぜー!」
「ピッチャー疲れてるぞー!!」
沢山の声援を浴びながら、野本は左打席に入る。
先程と同じ算段なのだろうか。初球を見送ると、二球目を振り抜いた。
鋭い当たりはショートの正面。簡単に捌かれて、呆気なくワンアウトとなった。
続く打者はミートの上手い渡辺。
一球目、二球目と鋭いファールを放つと、逃げていく変化球をしっかり見極める。
そして迎えた四球目、綺麗に打ち返した打球は、大崎さんの足元を通過していった。
「おおっ!」
「っしゃあ!」
センターに抜けた――かと思われた打球は、ダイビングしたセカンド・奥原さんのグラブに収まった。
流れるようにショートにトスすると、際どいタイミングでファーストに送られる。
「…………………………アウトォ!」
そして、無情にも一塁審の右腕が上がった。
くそ……またコイツかよ……。
俺は苦虫を噛み締めながら、ネクストバッターサークルに入った。
「バッター! 金城ー!!」
「紅、お願いしまぁーす!!」
恵と琴穂の必死な叫びと共に、紅の前奏が奏でられる。
『3番 ライト 金城くん 背番号 9』
そして――富士谷高校の主将・金城孝太が左打席に入った。
180cm78kg。ネクストからだと、その大きな背中と「9」の文字が良く見える。
高校最後、いや人生最後になるかもしれない打席。彼は一体、どんな気持ちで迎えたのだろうか。
「(菅尾のマウンドに大崎がいて、相手の左打席に俺がいる。こんな状況、2年前は想像してもなかったよ。……まあ、これはこれで悪くないかもね)」
孝太さんは、大崎さんを見て少し笑った。
「(孝太は今日2安打か、流石だな。最後にもう一度やれて本当によかった。今度こそ……最後だけでも俺が勝つ……!)」
大崎さんもニヤリと顔を歪める。
引導を渡してやるよ、と言わんばかりの顔だった。
打席には、東山大菅尾のエースになる筈だった男。
対するは、東山大菅尾のエースになった男。
その因縁の対決に、無数の視線が突き刺さった。
一球目。気合いの入った低めのストレート。
見送ってストライク。弾けるようなミットの音と共に、球場が響動めいた。
「おい、142キロ出たぞ!」
バックネット裏、スカウトのガンを覗いてた青年がそう声をあげた。
9回、それも球数を稼がれたというのに、大崎さんはMAXを叩き出した。
それだけ、この対決に気合いを入れているのだろうか。
二球目、低めの変化球。盛大に空振りしてストライク。
孝太さんは苦笑いを浮かべる。俺はただただ「打ってくれ」と心の中で願う事しかできない。
三球目、低めの速い球。
空振り――に見えたが、後ろに飛んでファール。一塁側から安堵の息が漏れた。
四球目、低めの変化球。
孝太さんは綺麗に掬い上げると、球場が響動めいた。
ライト側、ポールの付近まで伸びていくも、僅かに切れてファール。
球場全体に落胆と安堵が入り交じった。
緊張が高まり、段々と息が荒くなる。
アウトを取られたら――ストライクを取られたら終わる。
それでも、今は信じる事しかできない。それが野球というスポーツだから。
五球目、大崎さんが振りかぶった。
振り下ろされた球は――渾身のストレート。
その瞬間、けたたましい音が球場に響き渡った。
「「わぁああああああああああああ!!」」
大歓声が球場を包み込む。
低めいっぱいのストレートに対して、孝太さんはフルスイングで答えた。
白球の行方は――。
「よっしゃああああ!!」
「流石キャプテン!!!」
センターの頭を越えると、そのままフェンスに直撃した。
大崎さんの球も素晴らしかった。ただ、それ以上に孝太さんの打撃が完璧だった。
孝太さんは二塁に到達すると、ホッと安堵の息を吐いた。
富士谷の夏はまだ終わらない。
いや――俺が終わらせない。
『4番 ピッチャー 柏原くん 背番号 1』
二死二塁、2点ビハインド。
ブラスバンドが奏でるさくらんぼと共に、俺の打席が回ってきた。
右打席の前で息を吐く。ふと、バックスクリーンを見上げてみた。
|123 456 789|R|_H|E| ○○
富士谷|000 003 10=|4|13|0| ○○○
東山菅|300 030 00=|6|09|0| ●●
今更だけどSBO表示が懐かしい。
赤いランプが二つ点灯している。相変わらず勝算の薄い状況だけど、少しだけ落ち着けた気がした。
高校球児は最後まで諦めない。
それは誰かにやらされてる訳でもなく、誰しもがドラマの主役になれると信じて疑わず、逆転劇を夢見て打席に立つ。
そして、殆どの選手は夢破れて涙を飲み、自分が脇役である事に気付く。
それなら――。
俺はこの打席で主役になる。
狙う当たりはただ一つ、同点ツーランホームランだ。
右打席に入ると、マウンドの大崎さんに視線を向けた。
肩で息をしている。孝太さんで決めるつもりだったのだろう。
一球目、体に向かってくる遅い球。
体を引いてボール。フロントドアのカーブだが、僅かに入らなかった。
二球目、外に逃げるスライダー。
バットを止めてボール。少し配球を変えてきたな。
ノーストライク、ツーボール。
制球にも乱れが出てるし、次は確実にストライクが欲しいだろう。
配球こそ少し変わったが、根本的な考え方はそう簡単には変わらない。
このバッテリーは、若いカウントでは徹底して内外交互に投げてくる。
同じ球は続けない。一度外したカーブもない。
恐らく速い球だろうけど、球威が落ちている事も考えたら、少し保険もかけたいに違いない。
なら次は――内角のツーシームだ!!
「「わあああああああああああああ!!」」
俺は鋭く振り抜くと、悲鳴の混じった大歓声が巻き起こった。
打った球は狙い通り、内角甘めのツーシーム。
ほぼ完璧に捉えた打球は、低い弾道でグングン伸びていくと――やがてレフトフェンスに直撃した。
「っち、ギリギリ届かなかったな……!」
そんな言葉を溢しながら、二塁ベース上で右腕を上げた。
富士谷000 003 101=5
東山菅300 030 00=6
(富)堂上、柏原―近藤
(東)大崎、板垣、大崎―仙波
補足「SBO方式とBSO方式について」
カウントを表示する順番のこと。
高校野球においては、2010年まで、ストライク、ボール、アウトの順で並ぶSBO方式が採用されていた。
2011年より、ボール、ストライク、アウトの順で並ぶBSO方式へと変更された。