19.球界のガリレオ
「よぉ柏原ァ! ついに"時"が来たなァ!」
恵とワンセグを見ていると、不意に大きな声で名前を呼ばれた。
そこに居たのは他でもない。正史では6年間バッテリーを組んだ男・土村康人である。
くそ、コイツの存在をすっかり忘れていたな。
もし覚えていたら、最寄りの防空壕に避難していたと言うのに。
「試合前にも女かァ!? オイオイ、余裕じゃねーか柏原さんよォ!」
「その言葉、そのままバットで打ち返すわ。三塁側まで来てんじゃねーよ」
土村はニヤニヤしながら煽ってきたので、俺は淡々と言葉を返した。
ここは三塁側、つまり富士谷応援席の入口付近である。
わざわざ球場外を半周してきた土村も、相当な暇人と言って間違いない。
「か、かっしー……」
何時の間にか、俺の後ろに琴穂が張り付いていた。
俺を盾にしながらも、顔だけを出して何か言いたげにしている。
琴穂と土村に接点なんて無いと思うが……あるとするなら、恐らくコレくらいだろう。
「あ、猫ちゃん元気?」
「猫7号の事かァ!? 元気だぜェ! なんてったって毎日遊んでやってるからなァ!!」
「うわぁ……名前が可愛くない……」
「あァ!?」
「ひいっ」
土村が睨みつけると、琴穂は慌てて俺の後ろに隠れた。
うん、琴穂は今日も可愛いな。ただ土村の動物愛もガチなので、名前がクソダサいのは許してあげて欲しい。
「ところで柏原ァ! ようやく決着を着けられるなァ!」
「なにが"ようやく"なんだよ。秋に一回着けただろ。さりげなく俺のグラスラ無かった事にするのやめろ」
「んな事あったかァ? 覚えてねェなァ!」
「死ね」
考えるより口が先に出てしまった。本当に死んで欲しい。
しかし何だろう。抽選会の時といい、馴れ馴れしさマシマシなのが地味に不愉快だな。
以前みたいにヘイトMAXで来てくれた方が、此方としても冷たく突き放せるのに。
「土村くん……柏原くんに……あんまり迷惑かけちゃダメ……」
「あァん!?」
ふと、消え入りそうな女の子の声が聞こえた。
銀髪とロングパーマが特徴的な少女――棚橋唯である。
彼女は中学時代の同級生。今は関越一高のマネージャーで、正史では少しだけ付き合った仲だった。
「棚ちゃんだー! おひさっ」
「髪シルバーにしたんだ〜。似合ってるね〜」
「琴ちゃん……瀬川さん……ふふっ……会えて嬉しい……」
琴穂と恵は棚橋に群がっている。
しかし、恵のコミュ力は異常だな。いつの間にか友達になっているとは。
「おいコラ土村、試合前に遊んでんじゃねーよ」
「許せシブ、クレイジーボーイはこの方が調子でるんだYO」
「土村もよく飽きないよなぁ」
気付けば渋川、大越、周平と、回収担当の方々も集っている。
ここまでは前回と同じ流れ。しかし、今回はもう一人、一際身長の高い男が混じっていた。
「君が柏原くんか。今日はよろしく」
そう語り掛けてきたのは、エースナンバーの仲村マグヌス勝彦だった。
188cmと身長が高く、白人ハーフらしく顔も整っている。
「ああ、よろしく」
俺は言葉を返すと、即座にその場を離れようとした。
理由は他でもない。俺の予想だと、彼は頭おかしい側の人間なので、シンプルに逃げようとしたのだ。
「柏原くん、今日は記念すべき日になるね。スプリット――落下を操る君と、HOP-UPするストレートを投げる僕。これはまさに、アイザック・ニュートンとハインリヒ・グスタフ・マグヌスの代理戦争という訳だ」
「ごめん最初から最後まで意味が分からない」
ほら頭おかしい。
彼は正史では嵐山栄(埼玉)の選手だったので、実際に話したのは初めてだけど、彼が狂っているのは分かっていた。
何せ、インタビューで「僕のストレートは加速している」と言い出す選手である。
まともな訳がないし、関わった時点で負けなのは明白だった。
「やれやれ、これだから学が無い人間は。周りが凡人故に理解されず、宗教裁判に掛けられたガリレオ・ガリレイの気持ちが良く分かったよ」
仲村は鼻で笑ってきた。
お前にガリレオの何が分かるんだよ、と出かかった言葉は何とか飲み込んだ。
「勝彦もやめろ。ほら、アップ始めるから戻るぞ」
「あばよ柏原ァ! せいぜい怪我しねェようになァ!!」
「柏原くん……私は……私は……! 柏原くんの事も応援してるから……」
渋川の一言で、関越一高の選手達は撤収モードに入った。
常識人は頼りになるな。彼が居なかったら一生続いていただろう。
「あ、そうだ」
ふと、松岡周平が振り返ってきた。
彼は本来なら親友だったけど、今回は殆ど接点がない。
俺に用事なんて無いと思うが――。
「今回は正々堂々頼むぜ?」
「……ああ」
周平はそれだけ言い残して去っていった。
恐らくサイン盗みの件だ。周平は小細工が嫌いなので、根に持たれていたのだろう。
なんというか……本来なら親密だった人から敵意を向けられると、心苦しい部分があるな。
まあ仕方がない。今はチームメイトではないし、敵同士でしかないのだから。
「かっしー、アップ始めるってよ〜」
「じゃー私達も応援の準備を……って、聖輝まだ負けてるじゃん!」
さて、鈴木に呼ばれたので、俺達もアップを始めよう。
ベスト8を懸けた3回戦。そして――約15年ぶり東京対決は、すぐそこまで迫っている。
章南学園200 1=3
聖輝学院001=1
【章】古村―今田
【聖】歳川―星野
関東一高〈試合前〉富士谷