4.まいるーるっ!
抽選会の前日くらいの話だと思います。
ここは兵庫県内にある某ホテル。
何処となく高級感がある一室で、私――卯月夏美はトラベルバッグを漁っていた。
「わー、おうちのベッドよりふかふかだー!」
「すっごく高そ~。おねしょしたら賠償案件だね~」
「し、しないしっ! たぶん……」
「たぶんなんだ……そこはもっと自信もって否定してよ……」
その後ろでは、恵と琴穂が言葉を交わしている。
そこに下級生マネージャーの姿はない。選抜同様、この3人だけが帯同する事になったのだ。
これは仕方がない事だった。
高野連から支援金が出るのは20人(選手18人+指導者2人)まで。それ以上の人数を宿泊させる場合、高校側で全額負担しなくてはならない。
また、宿泊人数も35人という上限がある。その中で、マネージャーに3枠というのは、他所よりも恵まれた待遇だった。
「ねーねー、ここって温泉?」
「違うって。残念だよね〜」
「そっかぁ。ごはんは? こーべ牛とか出てくるのっ?」
「本来なら出て来るかもね~。けどホラ、私達の食事は別で用意されるから……」
「えー! じゃあ部屋が高級だけなんだぁ……」
琴穂と恵は落胆している様子だった。
ちなみに、食事は一食あたりの金額が定められている。一方で、温泉の有無は完全に宿次第だ。
一応、西東京代表の宿が一番高いらしいけど……その恩恵は少ないのが現状だった。
「なっちゃんはさっきっから何してるの?」
「ん、ああ。ちょっと探し物を……って、あったあった」
私はノートを取り出すと、既に文字の書かれたページを切り取った。
そのまま流れるような動きで、恵と琴穂に紙を突き付ける。
「……共同生活のルールな。今回こそはハッキリさせようぜ」
「えー、だっるぅ~」
「神経質……」
私の提案に、恵は物凄い難色を示していた。
無理もない、恵の嫌いな活字がズラリと並んでいる。
ただ、今回ばかりは譲れない。私にも言い分という物がある。
今まで私達は、合宿、選抜と長期宿泊を共にしてきた。
だからこそ分かるけど、二人――特に恵の習慣は、目に余る部分が多いのだ。
「とりあえず部屋でも下は穿けよ」
「女の子しか居ないしよくない? シャツで隠れてるしさ〜」
「よくねぇ! チラチラ見えてんだよ!」
「私の下半身見すぎでしょ~。なっちゃんのえっち~」
「えっちだー!」
「やかましいわ!!」
先ず辞めさせたいのは、長めのTシャツと下着だけで過ごす「恵スタイル」である。
いくら女子だけの空間、かつ様子を見に来る監督も父親だからとはいえ、この格好はナシだろう。
「夜は飲み物を控える……」
「便所で何度も起こされるのは御免だからな。せめて1回にしてくれ」
次に辞めさせたいのは琴穂の過剰な水分摂取。
今まで何度も夜中に起こされてきた。これは精神的な部分だけでなく、身体的にも実害が出てくる。
「け、けどいっぱい出した方が体にいいしっ」
「尿意で起きて睡眠が浅くなるのは本末転倒だぞ。テレビでやってた」
「そうなの? うーん、けど夏は普通に喉乾くし……まぁ頑張ってみるけど……」
「キャパ少ないのにホントよく飲むよね~」
琴穂は少し難色を示しながらも、渋々従ってくれそうな雰囲気だった。
誰かさんとは違って素直で助かる。問題は「冷蔵庫下着事件」でも私を悩ませた女・瀬川恵である。
「人の布団に入ってこない……って、夏は流石にやらないって〜。暑いもん」
「ならいいけどよ。あと脱いだ下着をその辺に散らかすのもやめろ」
「違うよ。あれは私の可愛いパンツを見せびらかしてるんだよ」
「嘘つけ! 片付けるのが面倒臭いだけだろ!」
と、そんな感じで恵は中々に従う様子が無かった。
これは一方的な押し付けかもしれない。しかし、提案したルールの殆どは常識的な事でもある。
下手したら一ヵ月近くも共にする以上、どうしても常識的な暮らし方を共有したかった。
「あ、コレ絶対無理!」
「私も無理なやつだっ」
「やった~、多数派~」
「いや……これは一番辞めてほしい案件なんだけど……」
紙切れを眺めていると、恵と琴穂が同時に難色を示した。
その項目とは他でもない。「風呂で用を足さない」である。
合宿、選抜と大浴場がある宿に泊まってきた。
その間、私は気付いてしまったけれど、この二人はシャワー中にしれっと用を足しているのだ。
「浴槽でやらなきゃよくない~? 拭く手間も省けるしいいじゃん」
「そーだそーだっ」
「いやいやいやいや、下品にも程があるだろ。私に言われたくねーかもしれねーけどさぁ、もっと女の子らしく――」
私はそこまで言いかけると、恵は鼻で笑ってくる。
「お風呂でおしっこする人の調査。一番多かったのは10〜20代の女性だけど……女の子らしさが何だって~?」
「…………はぁ!?」
そして――突き付けてきたアイフォンを見て、私は思わず戦慄してしまった。
画面には、棒グラフ化された調査結果が表示されている。
そこでは確かに、10〜20代女性の棒グラフが最も長くなっていたのだ。
「ちょ……嘘だろ……もっとよく見せろ!」
「おっしまーい! 私達の勝ちだね~、このルールは無効ですぅ~」
「なんか怪しいな! おまえ捏造しただろ!」
「なに言ってんの、私にグラフなんて作れる訳ないでしょ~」
「(誇れることじゃない……)」
恵はドヤ顔で勝ち誇っている。
一方、常識という名の平均を基準にしていた私は、これ以上なにも言う事が出来なかった。
「さーてと! 文字通り"気持ちよ~く"お風呂に入ってこよーっとっ!!」
「ぐぬぬ……」
恵はそう宣言すると、部屋に付いている浴室に向かっていった。
もはや止める術はない。私は唇を噛み締めながら、その後ろ姿を見守った。
「一応、確認するか……」
私はダメ元で恵のアイフォンを開いてみた。
余談だが、マネージャー共通のSNSアカウントがあるので、私達は恵のアイフォンを開く事が出来る。
「くっそ、ちゃんとしたサイトっぽいな。どいつもこいつも女捨てすぎだろ……」
「女子力を語るなっちゃん……ぷっ」
「うっせ!」
再び画面を確認したが、やはりグラフに偽りは無さそうだった。
千人以上のサンプルがいる中で、10〜20代女性の「約35%」が最も多く――。
「って、おい」
と、そこで異変に気付いてしまった。
私は完全にグラフの「長さ」に騙されていた。
よく見たら、比率が最も多い10〜20代女性でも「3割ちょっと」しか該当していない。
つまり――男女共に過半数は「しない派」であり、これも私の常識が正しかった訳だ。
「め~ぐ~み~! ちょっと待ちやがれ!」
「きゃー! 犯されるぅううう!!」
「……ルール追加しよっ」
私は浴室に突撃すると、恵の蛮行を全力で阻止しにいった。
その後、部屋に戻ったら「大きな声で叫ばない」「入浴中に襲わない」「女の子同士でイチャつかない」というルールが書き足されていた。