【野球部の日常2】悪魔の質問
本編には全く関係ないシリーズ。
時系列的には1年の秋くらいだと思ってください。
とある日の練習前。
俺達は部室の前で、制服から練習着に着替えていた。
「聞いてくれよ。俺、永遠の議題に直面しちまったんだけど」
ふと、京田が呟いた。
彼は時折「凄い事に気付いた」とか「永遠の議題に直面した」とか言い出すが、その大半は大変くだらない内容である。
どうせ今回も大した内容ではないだろう。
「聞かれた瞬間、どう答えても負けの質問ってあるじゃん」
「例えば?」
「例えばっつーか……認めたら笑われるし、否定しても必死な感じが出るというか。それが事実じゃなくてもさ」
「陽ちゃん、前置きなげーって。本題はよはよ」
京田、野本、鈴木が言葉を交わしていく。
この流れは前にもあったな。だからこそ分かるけど――俺はこの後、盛大に呆れ果てる。
「女子に『京田って童貞?』って聞かれた時の正解ってなくね?」
京田はそう言い切ると、俺は顔に手を当ててしまった。
ほら、クッソくだらねえ。堂上も死ぬほど興味なさそうにしている。
「なあ渡辺、どう思う?」
「俺はどうでもいいかな……聞かれる事ないだろうし……」
「爆発しろ!」
なんで渡辺に聞いたんだよ。少しは相手を考えろよ。
「うーん……まだ気にする必要ないんじゃない?」
続けて、野本は呆れ気味に言葉を溢した。
彼の言う事は御尤もである。16歳の時点では「経験なし」側が多数派だ。
もっと言うなら、普通にしていれば聞かれる事はない。事実、俺は聞かれた記憶がなかった。
まあ……答え辛い質問があるのは否定できない。
俺の場合、伊織(元嫁)も含めて家族の話題を振られると、どう答えても地獄みたいな空気になってしまった。
と、少しだけ思い出を振り返っていると、辺りが静かになっていた。
京田は何か熟考している。そしてハッとした表情を浮かべると、
「ねね、ゴリくんって童貞?」
クソみたいな裏声(恐らく恵のマネ)で、近藤に語り掛けた。
「どっ、どどっ、童貞ちゃうわ!」
そして近藤のベタな返しが炸裂する。
悲しい事に誰も笑っていない。地獄みたいな空気が漂っている。
「はぁ……ゴリじゃダメだな。っぱリア充共に聞かねえと結論でねえわ」
「(ひでぇ……)」
「(僕の所に来なくて良かった……)」
京田はキョロキョロと辺りを見渡す。
渡辺がサッと視線を逸らすと、京田は堂上に狙いを定めた。
「なぁ、堂上って童貞だぜ?」
夏美のマネのクオリティ低すぎだろ、と出かかった言葉は何とか飲み込んだ。
いくら彼女がガサツとはいえ、そんな強引な「だぜ」の使い方は絶対にしない。
「ふむ……俺の性交経験の有無を知りたいと」
「ああ、そうなんだぜ」
「口先だけで答えるのは簡単だが……証明が必要になるな」
堂上は顎に手を当てて淡々と答えている。
そして次の瞬間――堂上は京田を押し倒すと、無表情のまま馬乗りになった。
「実際に試してみるといい。判断は貴様に任せよう」
「ちょ……まっ……ストーーーップ!!」
京田は慌てて堂上の顔を押し退けた。
鈴木がゲラゲラと爆笑している。俺も少し笑いそうになってしまった。
「なにやってんの! 俺にそんな趣味はねぇ!」
「そんな事は分かっている。夏美に聞かれた時の再現だろう?」
「だとしてもアウトだよ! 卯月も泣くわ!!」
「泣くとか以前に強姦未遂だからな……」
言葉を交わす二人に、俺は思わずツッコミを入れてしまった。
うっかり京田と視線が合ってしまう。そして彼はニヤリと笑うと――。
「……かっしーってどーていっ?」
「琴穂はそんなこと言わない」
琴穂っぽく聞いてきたので、俺は間髪を入れずに言葉を返した。
今までとは一転、微妙に似ているのが何とも腹立たしい。
「あーもう! どいつもこいつも他人事だからって適当にやりやがって!!」
京田は頭を抱えて叫んでいる。その横では、鈴木が親指を自分に向けていた。
お前は絶対に聞かれないだろ、と出かかった言葉は何とか飲み込んだ。
「ったく、最後だからな。鈴木って童貞〜?」
京田はクソみたいな裏声で語り掛ける。
しかし――鈴木は大きな溜息を吐くと、ヤレヤレと手を広げた。
「あがんねぇなぁ。っぱ本物っしょ!」
「えぇ……」
そして本物の女子を要求してきたので、俺は呆れながら恵にメールを送った。
※
暫くすると、マネージャー達が部室前に戻ってきた。
「ぜってー嫌だわ!」
「負けたんだから聞かなきゃだめだよっ」
「こんなの聞いてねーよ!!」
何やら夏美と琴穂がモメている。俺は手招きして恵を呼び出した。
「どしたん?」
「いやー、ジャン負けで聞こうってなって、なっちゃんが負けたんだけどさ」
「あー、それで渋ってると。ってか夏美も意味知ってたんだな」
「それがね……」
恵は苦笑いを浮かべると、簡単な回想に突入した。
『あ、負けた。まあいいけど。どころで童貞って何?』
『(あっ、やっぱ知らないんだぁ。ここは黙って――)』
『え、えっちした事ない男の子のことを言うんだよっ』
『………………はぁ!?』
回想終了。3人の表情まで容易に想像できる。
しかし、ジャン負けとはいえ人選ミスな感じは否めない。
マネージャーの中で言いそうなのは恵だろう。
「っし、じゃー"ガヤ"頼むわ」
「意外と凝り性だな……」
歓送迎会を想定しているのか、選手達にはガヤ役が割り振られた。
各々が会話を始めている。夏美も観念したのか、鈴木の近くに歩み寄っていた。
「な、なぁ。鈴木って童貞なのか……?」
夏美は照れ臭そうに問いかけた。
既に人選ミスなのは明らかだ。恋愛漫画のワンシーンみたいな雰囲気になっている。
まあ……本当に雰囲気だけで台詞は最悪だけど。
「……よく聞こえねぇ、もう一回言って」
「鈴木って童貞なの!?」
「ごめん! 聞こえねぇ!」
夏美の声がガヤで掻き消され、鈴木が頻りに聞き直す。
「ああもう! 鈴木って童貞!?!?」
そして――夏美は大声で叫ぶと、辺りが静寂に包まれた。
選手達は皆、鈴木と夏美の二人に釘付けになっている。
当然といえば当然だ。いくら宴会中とはいえ、大声で叫んだら注目を浴びるのは必然だろう。
「おいおい、そんな下品なこと大声で聞くなよ〜」
「死ね!!」
ヘラヘラ笑う鈴木に、渾身の卯月パンチが炸裂した。
うん……よく頑張ったな。本当に頑張ったと思うよ。夏美が。
「すげぇ、これなら逆に弄り返せるな……」
「更に聞き直してきたら、逆に相手のほうが必死な感じ出ちゃうしね」
「その発想は無かった! さすがチャラ男様だ!」
京田、野本、近藤と、特にモテなさそうな3人は関心を示していた。
俺には分かる。仮にこれが正解だとしても、彼らは鈴木のように上手くやれないだろう。
「……か、かっしーはどーていっ?」
ふと、琴穂がもじもじしながら語り掛けてきた。
その後ろでは恵がニヤニヤしている。ジャン負けで言わされているのだろう。
仕方がない。ここは俺なりの正解を披露しよう。
「そうだよ。琴穂はした事あるの?」
俺は淡々とそう答えた。
サラッと答えて聞き返す。今回の件に限らず、異性からの質問の返しはこれで間違いない。
何故なら、普通は聞かれたら困る事を聞いて来ないからだ。
むしろ関心があり、自身も語りたい内容である可能性が非常に高い。
特に、女性は聞くよりも話すほうが好きな性分である。
相手が語るフェーズに移行して、此方は聞き手に回るのが無難という訳だ。
「ないけど……そ、そーいうこと、女の子に聞いちゃダメだよ……」
「えぇ!?」
琴穂は顔を赤らめながらも、目を細めて睨んできた。
俺には分かる。これは軽蔑の眼差しである、と。
「(さりげなく金城の性体験を確認してきたな……)」
「(ってかダウトじゃん。唯ちゃんと伊織さんとヤってるでしょ)」
他の部員達からも軽蔑の視線が送られてきた。
おかしい……この「多くは語らず切り返す」というテクニックは、相席居酒屋やマッチングアプリでも有効だと噂されていたのに。
「京田」
「なんだよ」
「やっぱこの質問に正解ねえわ」
「だろぉ!? エース様の公認頂きましたー!」
どう答えても負ける質問は存在する。
その事実を痛感しながら、俺達は今日も練習に向かった。