70.王者の逆襲
夕暮れに染まりつつある明治神宮野球場。
三塁側ゲートの外では、白いユニフォームを着た選手達――都大三高の3年生が蹲っている。
その姿を、木更津健人と一部の二年生は遠巻きに眺めていた。
「神に愛されて生まれたこの僕が? 同じ相手に2度も負ける?? あはは! ありえないね!!」
空に向かって叫んでいるのは木田哲人。
相変わらず頭がイカれている。彼の辞書に常識という言葉は無いのだろうか。
「実際、信じられねーよな。まさか俺達が都立に負けるなんて……」
「ってか夢かなんかだろ。現実の出来事とは思えねぇ」
一方、他の2年生達も現実から目を背けている。
無理もない。彼らの殆どは日本代表を経験し、2年生の時点で選抜優勝と春関優勝を果たした。
それなのに――都立ごときに負けたのだから、実に妥当な反応と言えるだろう。
事実、この決勝戦は勝てる試合だった。
ヒットの本数は大きく上回っているし、最後の一球もリード通りなら打ち取れている。
その中で、勝敗を覆した原因は――恐らくアレとコレだろう。
「……宇治原、おまえ明日から外野の練習しろ」
俺はポツリと呟くと、辺りは更に静まり返った。
一つは宇治原の制球力。今日の試合は、四死球と逆球が失点に繋がってしまった。
「……打たれたから投手クビって、それはあんまりやろ。流石に傷付くわ」
「そうじゃねえよバカ。継投も視野に入れたいから、外野も守れるようにしとけって話をしてんだよ」
勿論、160キロ右腕をリストラする程、俺の頭はイカれていない。
球速には必ず意味がある。事実として、宇治原は9回2/3を3失点、9回までなら1失点に抑えた。
失点は9回と10回のみ。
つまるところ、宇治原の疲労と相手の慣れが、終盤の逆転を招いたと考えられる。
宇治原は緩急が使えないから尚更だ。どうしてもストレートに絞られてしまう。
ならば話は早い。
宇治原とタイプの違う2枚目を用意して、疲労と的の分散を図れば解決する。
相手も「宇治原一点張りの対策」が出来なくなるので、これは非常に有効な一手となるだろう。
「あと打線な。ヒットは出てるけど繋がらねえ」
「どーすんの? なかなか再現できる投手でもないけど……」
「対策よりも打順だな。柏原が嫌がるように組めば自ずと繋がるよ。後は監督を説得できるかって所だ」
2つ目は打線。
拙攻もそうだが、4番の木田が3敬遠と勝負を避けられてしまった。
5番の大島は5打数1安打1打点。凡打では尽く進塁できなかったので、これを見直すだけでも得点力は確実に上がる。
極論「1番木田、2番町田」で確実に一死二塁を作ってもいい。
「それと……」
「まだあんの?」
「ああ。スポーツマンシップには反するが、確実に柏原を乱せる方法があるぜ」
首を傾げる2年生達に対して、俺は口元をニヤリと歪めた。
実のところ、俺は一つ「禁断の秘策」を隠し持っている。
あまり使いたくは無かったが――ここは情報だけでも開示しておこう。
「わっ、出た!」
「絶対に先生が勝つやつ……」
俺は鞄から将棋盤(折り畳み式)を取り出すと、駒を淡々と並べていった。
当然、今から将棋を指す訳ではない。あくまで説明に使うだけである。
「さて……王将を柏原と仮定してだ。飛車角クラスは誰だと思う?」
「そりゃ堂上、津上、鈴木あたりだろ」
「正解。その3人が実質的な飛車角クラスだが……飛車角ってのは、基本的には攻める時か、囮として誘い出す時に使うんだよ。つまり王将の壁として使う駒ではない」
我ながら無理矢理な例え話だが……実際、堂上と鈴木の守備貢献度は高くない。
そして津上に関しても、深い意味での「守り」に関しては貢献していないと言える。
「で、王将を守るのに便利なのは金と銀なんだよ。王将の近くにいるし、成らなくても後ろに下がれるからな」
「あー……確かに」
「つまり、金銀を崩せば王将のペースも崩れていく訳よ。……さて、ここで問題だ。富士谷の金銀って誰だと思う?」
「んー、渡辺とか野本あたり?」
「近藤、駒崎の捕手陣とか?」
「京田は……まあ歩兵だろうな」
選手達は次々と答えを並べていくが、全て大外れである。
先程も言った通り、これは深い意味での「守り」の事であり、守備能力の話ではない。
野球の守備ではなく、もっと人間の根本的な部分。
メンタルやモチベーションという面で、柏原を支えている部員がいる。
彼ら――いや彼女達こそが、富士谷における金銀と言っても過言ではない。
「マネージャーだよ。特にチビとボインの子な」
「えぇ……」
「どうやって攻めるんだよ……」
俺はそう言い切ると、選手達は呆れ気味に声を溢した。
富士谷の金と銀はマネージャー。その中でも、金城は柏原から好意を抱かれていて、瀬川は恐らく作戦にも介入している。
この二人と柏原の関係を崩す事で、少なからず影響を与える事が出来るだろう。
「そうは言われてもなぁ。誘拐でもすんのか?」
「する訳ねえだろバカ。そうだな……お前ら、ナンパした事はあるか?」
「ま、まさか……」
「ああ、そのまさかだよ。俺達で落とせばいい」
極端な話、金城に恋人を作ってしまえば柏原は調子を崩す訳だ。
瀬川に関しても、恋愛という雑念を作る事で確実に搔き乱せる。
もう一つ、柏原に別の女を仕向けるという方法でも、少なからず影響はあるに違いない。
「(負けたショックで木更津先生まで可笑しくなった……)」
「(ってか、先生が女に絡みたいだけやろ)」
「(このチームに普通の奴いないのかよ)」
選手達は、俺の頭が可笑しいと言わんばかりの表情をしていた。
無理もない。そもそも都大三高は全寮制で毎日練習があり、携帯電話の持ち込みも禁止されている。
例外は木田哲人だが――このキチガイに託すくらいなら動かない方がマシだろう。
「ま、半分は冗談だ。忘れてくれ」
「うっそや〜。本当は富士谷のマネと絡みたかったんやろ〜」
「わざわざ将棋盤まで出してなー、半分本気なの認めてるし」
「……」
選手達は俺を誂ってきた。
まあ……コレはあくまでも最終手段だ。現実的な作戦ではないし、タレント軍団としてのプライドもある。
だから今回は情報を開示する程度に留めておいた。
「……さてと、せっかく最強世代の始動が早まったからな。この時間は有効に使おうぜ」
「えぇ……切り替え早すぎやろ……」
「じゃあ喪に服せってか? 現状、富士谷とほぼ互角なんだから、新チーム始動が早まったのはアドバンテージだろ」
「(こいつマジか。ストイックすぎるやろ)」
「(3年生泣いてるのに喜ぶって……サイコパスじゃん……)」
選手達は軽蔑の視線を送ってきたが――何とでも言えば良い。
この敗戦は、秋以降の活動という部分に関しては有利に働く。
そして来年がラストイヤーである以上、2年夏での早期敗退はアドバンテージなのだ。
……待ってろよ富士谷、そして柏原竜也。
次の対戦で「現実」ってやつを見せてやるよ。
長かった第5章はここまでです。
ココまでお付き合い頂きありがとうございました。
第6章は10月15日(金)からを予定しております。
私事で恐縮ですが、引っ越しやら何やらで非常にバタバタしているので、長めに間隔を取らせて頂きました。
生活が落ち着いてから再開して、また日刊で投稿できたらと思っています。
最後になりましたが、いつもブクマ、評価、感想等々、ありがとうございます……!
また、没にした閑話が幾つかあるので、もし推敲できたら投稿するかも分かりません。