60.乱れ
都大三000 100 00=1
富士谷000 000 0=0
【三】宇治原―木更津
【富】柏原―近藤
炎天下の明治神宮野球場には、ブラスバンドが奏でる「サニーデイサンディ」の音色が響いていた。
『都立 富士谷高校 選手の交代をお知らせ致します。9番 阿藤くんに代わりまして、ピンチヒッター 渡辺くん。背番号 6』
8回裏、富士谷の攻撃は阿藤さんから……だったが、ここで代打が告げられた。
背番号6の渡辺が右打席に向かっていく。富士谷イチのイケメンの登場に、客席からはドッと歓声が沸き上がった。
「(よし……阿藤さんの分まで打つぞ)」
「(打ち気になってんな、初球は外してくか)」
渡辺がバットを握ると、木更津は枠の外にミットを構えた。
一球目、宇治原は外のスライダーを振り下ろす。
明らかなボール球に対して、渡辺は悠々と見送った。
「ボール!!」
「(遠すぎだろクソが)」
判定は余裕のボール。木更津は強めに返球している。
要求よりも遠かったのだろうか。なんにせよ、これでカウントは優位になった。
「ボール! ツー!」
「ットライーク!」
「ボール! スリー!」
その後も、外中心の配球は続いていった……が、宇治原の制球は定まらない。
3ボール1ストライクとなり、渡辺はバットを強く握った。
「(外多いね。枠内に来たら狙ってみようかな)」
「(外に意識がいったな。次はインストで一つ貰うぞ)」
五球目、宇治原は豪速球を振り下ろした。
渡辺はバットを咄嗟に止める。そして体を後ろに引くと――。
「ぐえっ!?」
「……デッドボォ!!」
白球は尻に直撃してデッドボール。渡辺はその場で手と膝を付いた。
「……前じゃなくてよかったね」
「は、はやくコールドスプレーを……」
ネクストの野本が駆け付ける。
やがてコールドスプレーを吹き掛けると、渡辺はゆっくり一塁に向かった。
「(あークソい。確か去年もコイツに当ててたろ。顔に嫉妬してんのか?)」
「(インコースってそんな簡単に投げれんのやで……)」
木更津は不機嫌そうに足場を均し、宇治原は帽子を取って頭を下げている。
相手としては痛恨の先頭出塁。流石にプレッシャーを感じているだろう。
「(いつもと逆だなぁ。正直、打つしかないよね?)」
無死一塁、ここで迎える打者は1番の野本。
渡辺に盗塁は出来ないし、野本に小技は出来ない。
どう足掻いても自由に打たせるしかない場面である。
「(とにかく転がそう。僕ならゲッツーはない筈)」
スマイリーの音色が響く中、野本は左打席でバットを構えた。
一球目、宇治原は速球を振り下ろす。死球直後の甘い球に対して、野本は上からバットを叩き付けた。
「おおおおおおおおおお!!」
「来たかぁ!?」
大歓声が沸き上がる中、痛烈な打球は宇治原の足元を抜けていった。
二遊間を抜けそうな当たり。しかし――セカンドの町田は逆シングルで捕らえると、鮮やかな動きで二塁カバーへトスした。
「アウト!!」
「あぁ〜……」
「範囲もトスもプロ並かよ……」
セカンドゴロ、二塁フォースアウトで一死一塁。
観客席からは大きな落胆の息が漏れた。
「っしゃー! 久々にデカいのブチかますぜー!」
続く打者は高校通算0本塁打の京田。
京田は凄まじく意気込んでいるが、瀬川監督は送りバントの指示を出している。
「(コイツ絶対バントやろ)」
「(ま、ランナー眼鏡だし基本ひとつでいい。四球だけは出すなよ)」
京田の威嚇も虚しく、都大三高の内野陣はバント警戒のシフトを敷いていた。
京田は手堅く送って二死二塁。富士谷では珍しい一死からのバントで、久々に得点圏に走者を置いた。
「じゃ、同点にして来るんで。逆転は柏原さんに任せましたよ」
「逆転ツーラン打つって言わないんだな。珍しい」
「俺は現実的な男ですからね。ま、甘く来たら狙いますけど」
そんな言葉を交わしてから、ネクストの津上は右打席に向かっていった。
試合終了まで僅か4アウト。富士谷の明暗は彼に懸かっていると言っても過言ではない。
「バッター津上ー!」
「紅、お願いしまーす!」
マネージャー達の高い声と共に、スローテンポのサビが演奏される。
『3番 ショート 津上くん。背番号 6』
そしてアナウンスが流れると、ハイテンポの前奏が始まった。
右打席にはU―15日本代表の津上勇人。都大三高の2年生には知り合いも多いと聞いた。
「……出たな裏切り者。素直に俺達のとこに来りゃよかったのに」
「女子マネ禁止の高校はNGっす。男子マネ限定って時代遅れもいい所だと思いません?」
「それはベンチにいるジジイ共と三高を選んだ木田に言ってくれ……」
津上と木更津は少しだけ言葉を交わしている。
やがて津上はバットを構えると、マウンドの宇治原はセットポジションに入った。
「(縦スラから入るぞ。振ってくれたら儲けもんだ)」
「(ストレートから入りたいんやけどなぁ。まあ先生のリードには従うんやけど)」
一球目、サイン交換を手短に終えると、宇治原は右腕を振り下ろす。
その瞬間――白球は高々とすっぽ抜けていった。
「ばっ……」
「野本、ゴー!」
白球は木更津の遥か上を越えていく。
野本は悠々と三塁に到達。大きくオーバーランしてから三塁に戻った。
「(死ねクソノーコン。物理的に捕れない球はマジでやめろ)」
「(そんな怒んなや。二死なら二塁も三塁も変わらへんやろ)」
これで二死三塁、ヒットが出たら確実に1点入る。
それだけではない。今度は暴投も許されない場面になった。
低めの変化球は投げ辛くなったに違いない。
「(追い込まれるまで速球狙い……と行きたいけど、木更津さんは三塁でもガンガン低め要求するんだよなー)」
津上はゆったりとバットを構え直す。
二球目、低めのストレート。これは見逃してストライクになった。
「(あー、裏突かれたな。考えてもしょうがないし、甘い球くるまで粘ろっと)」
1ストライク1ボール。ここで津上はバットを少しだけ短く握った。
三球目、四球目はカットしてファール。一つボール球を挟んだ後、また連続でファールが続いた。
制球が乱れている相手に耐球作戦。
これは理に適っている作戦だ。150キロ超を簡単にカットする津上も流石である。
「……ボール、スリー!」
そして迎えた九球目、縦スライダーは見逃してボールになった。
粘った末のフルカウント。もう一つ選べば四球となり、そして4番の俺に回る。
「(コイツ意外とカット上手いんだよな。コレで決めに行くか)」
十球目、木更津は外角低めにミットを構えた。
マウンドの宇治原はセットポジションから投球モーションに入る。
やがて右腕を振り降ろすと――白球は構えた所に吸い込まれていった。
「(これは――福生戦のアレより遠い……!)」
津上はピタリとバットを止める。
その瞬間、銃声のようなミットの音が辺りに響いた。
「(ズラしすぎ。流石にフォアっしょ)」
「(ストライクやろ。先生のインチキは日本一やからな)」
一塁に歩こうとする津上。マウンドから降りようとする宇治原。
木更津だけは、ミットを外角低め一杯で止めていた。
果たして、主審の判定は――。
「ボール、フォア!!」
都大三000 100 00=1
富士谷000 000 0=0
【三】宇治原―木更津
【富】柏原―近藤