44.フレッシュパワー
富士谷000 000 1=1
東山菅000 002=2
【富】堂上―駒崎
【東】板垣、本多―小寺
7回表、1点ビハインドで迎えた一死一二塁。
炎天下の明治神宮野球場には、ブラスバンドが奏でる某三世のテーマソングが流れていた。
『2番 レフト 中橋くん。背番号 18』
左打席には好打者の中橋。
小技も上手い選手だが、一死からの送りバントは非効率である。
ここは打たせて欲しい。やるとしてもセーフティバントだ。
「(少し前に来てるなー。まあ散々バントしたし当然か)」
中橋はベースの両角を叩いてからバットを構えた。
初球はセーフティバントの構えだけ。バットを引いてボールになった。
球速表示は136キロ。
左打者の中橋にとって、インステップする左腕は非常に打ち辛い。
それも140近い速球となれば、かなり窮屈なバッティングを強いられる。
「(小寺さんの指示はインコースか。左のイン攻め疲れるんだよな。まあ投げるけどさ)」
二球目、マウンドの本多は腕を振り抜いた。
インコース一杯のストレート。中橋はバットを振り抜くも、詰まった当たりは一塁側のファールゾーンに転がった。
本多の独特なフォームは、まるでサイドスローのように横の角度が付く。
特に内角の球は打ち辛い。左打者だと、球が背中から迫ってくるように見えてしまう。
「(……すげえ角度。このコースは打ってもヒットになんねえや。捨てよ)」
中橋は淡々とサインを確認すると、頷いてからバットを構え直した。
三球目、またも内角のストレート。これは見逃してストライクになった。
四球目、五球目はボールになる変化球。
フルカウントになると、ここから中橋は驚異の粘りを披露した。
「ファール!」
「ファール!」
「ファールボォ!!!」
枠内で暴れるストレートに対して、中橋はカット打ちで対向していく。
やがて十三球目を迎えると、捕手の小寺さんは内角いっぱいに構えた。
「(本多、これで決めろ。腕振って投げてこい)」
ほぼ無敵に近い、極端なインステップからのインコース。
しかし、そう簡単には投げ切れたら苦労はしない。制球の荒い本多なら尚更だ。
高校野球はそういう競技。捕手の考える配球は、無力な事のほうが遥かに多い。
「(当てても死球、外れても四球だからな。当てるつもりで投げるぜ)」
セットポジションからの十三球目。
本多は1つ目のサインに頷くと、遠心力を使って左腕を振り抜いた。
しかし、白球は構えたコースの真逆――外角高めに吸い込まれて行く。
「(……打てる!)」
その瞬間、中橋は合わせるように振り抜いた。
芯で捉えた当たりはレフト線へと飛んでいく。
ラインを割るか際どい当たり。
ここでも不利な判定が出ると、集中の糸が切れかねない。
強めの打球は白線の上でバウンドする。三塁審の判定は――。
「フェア! フェア!!」
「おおおおおおおお!!」
「きたああああああ!!」
三塁審からはフェアのジャッジが下された。
スタンドからは大歓声が湧き上がる。二塁走者の渡辺は三塁も蹴っていた。
「サード!!」
ホームには投げられない。
レフトの堀江さんは三塁に送球する……が、野本の足が勝って三塁もセーフ。
送球間に中橋も二塁まで到達して、事実上の同点タイムリーツーベースになった。
「(残してやったんだから打てよー)」
中橋は二塁ベース上で、淡々とバッティンググローブを外していた。
執念の粘り勝ち。逆に言えば、本多としては投げ負けた事になる。
この同点打は、1点以上の重みがあるに違いない。
「(さてと、舞台は整ったな。本多さんには悪いけど、外角高めの抜け球を狙って勝ち越そっと)」
一死二三塁、尚も勝ち越しの好機で津上の打順を迎えた。
彼はU―15日本代表出身。本多も日本代表の経験があり、お互いの事はよく知っている。
「……プレイ!」
津上はゆったりした動きで右打席に入った。
ブラスバンドが奏でる紅の音色、そして全校生徒に近い大声援が勢いを後押ししている。
制球の悪い本多だと、塁を埋めるという選択は取り辛い。
もっと言うなら、4番からは上級生の強打者が続いていく。
ここは勝負しかない。そう思いながら勝負の行方を見守る。
「ボール!」
「ボール、ツー!」
投球は連続でボールになった。
三球目はベルトの高さのストレート。津上は豪快なスイングで捉えるが――。
「ファール!!」
ポール際の当たりは僅かに切れてファール。
この当たりが威嚇になったのか、四球目は大きく外れてボールになった。
3ボール1ストライク。
一塁は空いているので、甘い球は期待できない場面。
小寺さんのミットはアウトコース、それもギリギリに構えている。
「(柏原は意外と最低限が上手いからな、ワンアウトで回したくねぇ。ここはバックドアで一つ貰うぞ)」
五球目、本多はセットポジションから腕を振り抜いた。
バックドアの変化球。しかし、少しだけ甘く入ってくる。
「(ほら来た。そこに抜けるんだよ)」
その失投を、世代最強内野手は見逃さなかった。
津上は高めを振り抜くと、ライナー性の打球は左中間に飛んでいく。
前進守備の間でバウンドしそうな当たり。
レフトの堀江さんは、回り込まずに最短で追い掛けている。
「(くそ、これ以上はやれねぇ……!)」
それは――抜けたら三塁打になる打球だった。
しかし、レフトの堀江さんは、ギャンブルに出て飛び込んでいく。
白球の行方は――。
「……アウト!!」
「おおおおおおおおおおおお!!」
ダイビングキャッチが決まってレフトフライ。
一塁側スタンドから大歓声が沸き上がる……が、三塁走者は俊足の野本である。
スタートを切って犠牲フライが成立。待望の勝ち越し点が入った。
ようやく地力の差が出てきた感じがする。
しかし、点差は僅かに1点。それも富士谷は先攻であり、東山大菅尾の方が残す攻撃は多い。
二死二塁、まだ追加点が欲しい場面。
俺は初球をセンター前に運ぶが――。
「……アウト!」
「しゃあ!!」
東山大菅尾のセンター、板垣さんの完璧なバックホームが決まってホームタッチアウト。
相手も甲子園を目指す強豪校、それも昨年のリベンジに燃えている。
まだ気持ちは切れていない。それどころか、流れを再び引き寄せようとしている。
「柏原、次の回からブルペン行け」
「うっす」
ライトの守備へ向かう前、畦上先生からそう告げられた。
残す攻撃は後2回、対して守備は後3回。1点はリードしたが、依然として油断が出来ない状況が続いていた。
富士谷000 000 3=3
東山菅000 002=2
【富】堂上―駒崎
【東】板垣、本多―小寺
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仕事の関係で22日は休刊になります。