38.あきる野の悪夢
9回裏、1点ビハインド、二死二三塁、そして2ストライク0ボール。
クライマックスを迎えた八王子市民球場には、ブラスバンドが奏でる菅尾Mixが響いている。
早ければ次がラストボール。そんな状況で、俺――堀江涼は左打席に立っていた。
「ストライクいらないぞー! 次の置物で勝負しろー!」
「緩急使えよー緩急ぅー!」
客席から降り注ぐ、割れんばかりの大歓声。
その殆どは、相手の都立富士谷高校に向けられている。
三塁側のネクストでは、本日無安打の小野田さんが静かに此方を見つめていた。
クソ、なんで俺と勝負するんだよ。
なんで勝ってる方を――富士谷を応援するんだよ。
そんな思いも虚しく、マウンドの柏原竜也は左足を上げた。
サイドスローから球を繰り出すと、白球は外角低め一杯に吸い込まれていく。
その瞬間、俺はバットを出そうとした。
しかし、体が鉛のように重く、思ったように動かせない。
そのまま白球はミットに収まると――。
※
「うわあああっ!!」
ふと目が覚めると、そこは薄暗い小部屋――東山大菅尾の寮だった。
時刻は21時、カレンダーは2011年7月を示している。
どうやら俺は夢を見ていたようだ。もう何度も見た「あの日」の悪夢を。
「起きたか。いくら夜練ないからって寝るの早すぎだろ」
そう声を掛けてきたのは、二塁手を務める奥原だった。
何故かホットプレートを出して、お好み焼きのようなモノを作っている。
「……何やってん?」
「実家からキャベツ来てなー。嬬恋キャベツの素晴らしさを布教中って訳よ」
「そうですか……」
奥原は群馬出身。
地元愛が非常に強く、実家から送られてきた野菜を振る舞う事が稀にある。
この奇行には、栄養管理に厳しい若月監督も難色を示していたが、結局グレーゾーンのまま最後の夏を迎えるに至った。
東山大菅生は彼以外にも県外出身者が多い。
北は北海道、南は沖縄まで。特に愛知出身者が多く、俺自身も名古屋で生まれ育っている。
まさに全国から選手が集まる次期名門候補。
にも関わらず――去年の夏は、都立相手に初戦敗退という屈辱を味わった。
現実の出来事だとは思えなかった。
一部の先輩は、相手のライト・金城さんを警戒していたけれど、所詮は選手10人の無名都立。
正直、コールドで勝つと思っていたし、6点リードした時点では勝利を確信していた。
それなのに――。
「おっ、やってんね」
ホットプレートを見つめていると、長身の男が部屋に入ってきた。
外野手兼投手の板垣だ。俺と同じように、去年の試合で敗因になってしまった男である。
「お前はさっき食ったろ」
「もう一個貰いに来たわ。好きなんだよソレ」
「お、さすが熊谷市民。群馬の良さを分かってんねぇ」
余談だが、熊谷市というのは群馬の植民地らしい。(奥原談)
尤も、俺は東海地方の人間なので、関東の事情は詳しく存じ上げないが。
「よっこいせっと」
板垣は俺の隣で胡座をかいた。
やがて一息吐くと、真剣な表情で俺を見つめる。
「やっとだな」
「……ああ」
みなまでは言わなかった。
明日、神宮球場では西東京大会の準決勝が行われる。
相手は因縁の富士谷高校。きっと、板垣もリベンジに燃えてるに違いな――。
「ようやく妹達の前で投げられる」
「そっちかよ」
板垣は真顔でそう言うと、俺は思わず顔を歪めてしまった。
「涼子ちゃんも明日は来るんだろ?」
「まあな。今晩はホテルに泊まってるって、さっきメールで送ってきたわ」
「(うわぁ……シスコントーク始まったよ……)」
余談だが、俺にも4コ下の死ぬほど可愛い妹がいる。
明日は愛知から試合を観に来る予定で、それが今から楽しみで仕方がない。
じゃなくて――。
「……それよりも、ガッキー(板垣)は忘れたのかよ。去年のこと」
俺はそう言うと、板垣の表情が曇った。
彼は去年の試合で、0回2/3を投げて3失点を喫している。
そして打っても無安打、挙げ句には目測ミスで逆転タイムリー献上と、踏んだり蹴ったりの活躍だった。
まさか忘れている訳がない。
敗戦直後、彼は同ポジションの先輩に泣きながら謝っていた。
掲示板での誹謗中傷、果てはOBからの苦言も絶えず、スランプに陥ってベンチ外になった事もある。
そんな「どん底」を味わって来たのだから。
「……忘れる訳ねーだろ。ほんと何回も夢に出てきやがってよ。お陰で寝るのもこえーわ」
「それな」
板垣は低い声で答えると、俺は思わず同意してしまった。
去年から始まった俺達の悪夢。西東京準決勝に進出しても、未だに解放される事はない。
この呪いにも等しい夢から覚めるには、その根源を叩くしかないだろう。
「明日で終わりにしようぜ」
「ああ、必ずな。涼子も見に来るし」
俺達は言葉を交わすと、口元をニヤリと歪めた。
今や富士谷は選抜ベスト8の強豪校。恐らく、既に決勝ないし全国を見ているに違いない。
それなら――去年の俺達と同じように、その足を掬ってやるまでだ。
「ほら、出来たぞ。藤井と成瀬も食え」
「うっす」
「お好み焼きサンド……?」
「八ッ場焼き、な?」
「あっ、ハイ」
と、そんな決意を他所に、同室の後輩達がキャベツハラスメントの被害に遭っていた。
締まりが悪いなぁ、と思いながらも、俺はリベンジに闘志を燃やしていた。
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