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31.未来人に出来る事

 試合終了後、富士谷の選手達はダッグアウト裏に集まっていた。

 理由は他でもない。試合後のミーティングである。

 輪の中心には瀬川監督がいて、選手達は指揮官の言葉に耳を傾けていた。


「……苦しい展開になったが、最後に覆せたのは君達の努力の賜物だ。それは素直に誇って良い。

 ただ一つだけ、改めて言いたいのは――やはり夏は怖い、という事だな」


 瀬川監督は手短に語った。

 甲子園を目指す指導者の多くは、格下に苦戦すると選手を叱責する。

 しかし、瀬川監督は違った。むしろ安堵の表情を浮かべている。


 決して、選手の自滅が目立った訳ではない。

 だからこそ――福生の実力は認めざるを得ないし、追い詰められた自覚があるのだろう。


「……では、畦上先生」

「自分は大丈夫です。阿藤は?」

「ぼ、僕も特に無いです」

「うーむ、では解散としよう。ここから先は試合のインターバルも短くなってくる、家でゆっくり休むように」


 試合後のミーティングはあっさりと終わった。

 ふと輪の外を見ると、福生の選手が千羽鶴を持って待機している。

 やがて阿藤さん達も気付くと、彼らは慌てて受け取りに向かった。


「かっしーおつ! もうダメかと思ったよ〜」


 そう声を掛けてきたのは恵である。

 今日の展開だと、観ている方も気が気じゃなかっただろう。


「ねね、行かなくていいの?」

「おまえこそ」

「私はいいよ。とっくに終わった恋だしね〜」


 恵は冗談交じりにそう答えた。

 福生の中里は本来なら富士谷の選手。恵にとっては思い入れのある人物に違いない。

 そして――俺自身も、どうしても言葉を伝えたい人物がいた。


 正直、負かした相手に絡むなんて正気の沙汰ではないと思う。

 それでも俺は伝えたい。未来を知る人間の一人として。


「すいません、森川さん……ですよね」


 俺は恥を忍んで森川さんに声を掛けた。

 負かした相手、それも先輩。本来であれば失礼極まりない行為だが、俺はその一歩を踏み出した。


「よう柏原少年。悔しいけど完敗だったぜ」


 森川さんは気さくに答えてくれた。

 本当は一番悔しい筈なのに、その表情に曇りはない。


「いや、運が良かっただけだと思います。正直、内容では完全に負けていました」

「んな事ねぇって。ヒット数もそっちが上だしな」


 当たり障りのない謙遜合戦。

 勿論、そんな会話をしに来た訳ではなく、俺にはどうしても伝えたい事があった。


「ヒット数では測れないというか……とにかく、紙一重だったのは間違いないと思います。

 だからこそ――と言う訳ではないですけど、今度は上の舞台で決着を着けましょう」


 俺は遠回しに言い放った。

 森川さんは言葉に詰まっている。一瞬、沈黙の時間が入ると、今度はストレートに言葉を続けた


「高校で野球を辞めるのは勿体無いと思います。自分は……俺は……また再戦したいです」


 正史の森川さんはツチノコである。

 大学以降の人生は存じ上げないが、逆に言えば「その程度」の野球人生しか送っていない。

 3部クラスの硬式野球部か、草野球や準硬式か、或いは野球自体を辞めているか。

 分からない、分からないけど――最前線から脱落しているのは確かだった。


 大学の上位リーグや、都市対抗を目指す会社で野球を続けるのは容易ではない。

 事実、都内レベルの注目選手や、都内レベルの強豪の主力ですら、その殆どが準硬式や下位リーグに流れていく。

 それでも、彼には最前線で野球を続けて欲しい。ここで消えるには惜しい名手だと思った。


「……ったく、簡単に言ってくれるぜ。こりゃ勝てねえ訳だ」


 森川さんは呆れ気味に苦笑いを浮かべた。

 そして――。


「いいぜ。1年間も追っかけた手本の助言だ、ここは乗せられてやろうじゃねーか」


 そう言葉を続けると、俺達は右手を交わした。

 普通の都立の選手だと言うのに、その手の平は岩のようにゴツゴツとしている。

 それは――名門と同じように、1日4桁はバットを振っている手の平だった。





 一方、球場のバックネット裏では、某球団スカウトの古橋一樹が帰りの支度を進めていた。


「いや〜、いい試合でしたね〜! 私ちょっと泣きそうになっちゃいましたよ〜!」


 私の横でそう語っているのは、フリーライターの瀬川瞳である。

 もはや経緯は語るまでもない。例によって、今日も二人で観戦するに至っていた。


「ま、今日は久々に楽しめたかな。福生が思ってたより粘ってくれたのが大きい」

「ねっ! 特に森川くん、顔も私好みだし凄く良かったですよ! スカウト的にはどうでした!?」


 瀬川さんは興奮気味に語ってきた。

 しかし、残念ながら彼女の期待には答えられない。


「正直、指名する可能性はゼロかな。右で最速142キロ、それも既に体は出来ている。野手としてもファーストだし、魅力は全く感じないよ」

「えー! そんなぁー!」


 私は言葉を返すと、瀬川さんは残念そうなリアクションを見せた。

 高校で活躍する選手と、プロで活躍する選手は、必ずしもイコールという訳ではない。


 森川の武器はアウトローの速球である。

 しかし、それが今まで通用していたのは、高校野球特有の「外に広いゾーン」があったからだ。

 プロのゾーンで勝負するには、球威もキレも今一つ足りない。

 そして内角の制球はアバウトとなると、将来性という不確定な要素を抜きで考えても、指名する可能性のない選手だった。


「……ま、現時点ではだけどね」

「あ、でたツンデレ! 全く〜、素直じゃないな〜」


 瀬川さんはニヤニヤしながら肩を揺らしてきた。

 尤も、評価は現時点でのものに過ぎない。高卒で指名漏れした選手が、大学か社会人を経て指名される、なんて話も珍しい事ではない。

 そして体こそ出来ているが、良い意味で「所詮都立」の選手なので、名将の指導で覚醒する可能性もある。


 なにより、ハングリー精神の高さは感じ取れた。

 向上心の高い選手は確実に伸びる。もし、彼が大社でもレギュラーを取るようなら、リストアップされる日が来るかもしれない。


「じゃ、私達も行きますか〜! 飲みに!!」

「うーん……道のド真ん中で放尿する人とはもう飲みたくないかな……」

「なに言ってるんですか! お酒が入ったらパンツを下ろした所がトイレですよ! さあ行きましょう!」


 そんな感じで、私は瀬川さんに連れ去られた。

 なにはともあれ、都立同士の名勝負は富士谷の勝利。

 これで西東京は準々決勝進出の8校が出揃った。

【準々決勝1日目】

A東山大菅尾―都大亀ヶ丘

B創唖―早田実業


【準々決勝2日目】

B都大三高―八玉学園

A國秀院久山―都立富士谷


NEXT→8月6日

長かったツチノコ編は今日で終了。

1日休んでから続きを投稿します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今や強いほうの東京の球団のスカウト、からめとられてるじゃないですか・・・
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