30.ラストボール
福_生000 020 002=4
富士谷002 000 01=3
【福】中里、森川―入谷
【富】柏原―駒崎、近藤
大一番を迎えた八王子市民球場には、ブラスバンドが奏でるさくらんぼが鳴り響いていた。
9回裏、二死満塁、そしてフルカウント。
外角低めに放たれた速球は、手元で僅かに変化していた。
ボール半個分にも満たないくらいの、付け焼き刃のツーシーム。
それは――予期せぬ奇襲でありながら、痛恨の失投だった。
金属バットの前では些細な変化。そして、ストレートほどの球威も速さも無い。
ストレートを狙っていた俺は、歯を食いしばりながらバットを振り抜いた。
「(抜けろ……!)」
ボールの上を叩いた打球は、ピッチャー返しの強いゴロになる。
森川さんはグラブを出すが、打球は足元を抜けていった。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
「うわああああああああああああ!」
その瞬間、大歓声が湧き上がる。
強めのゴロは二遊間、ややショート寄りに飛んでいった。
センターに抜けるかと思われた当たり。
しかし――守備範囲の広い中里は、打球にギリギリで追い付こうとしていた。
俺と森川さんは同時にニヤリと笑う。
「(残念だったな――)」
残念だったな――。
「(そこは――)」
そこは――。
「(守備範囲なんだよ!)」
ヒットゾーンなんだよ!
「わあああああああああああああ!!」
次の瞬間、今日一番の歓声と共に、打球は不規則なバウンドを描いた。
中里はグラブの先で弾くと、打球はライト方向に転がっていく。
俺は拳を握りしめて、そのまま一塁を駆け抜けた。
八王子市民球場のショートには魔物が潜んでいる。
ショートは捕球が不安定な中里。そして、この時代に5回終了後の整備はない。
ここに転がせば何かが起きるのは必然だったのだ。
「どらっしゃあー!!」
三塁走者の田村さんは悠々とホームイン。
打球の向きが変わった事で、福生の守備陣は未だに追いつけない。
背番号1の一塁手――桐山さんは、既にその場で蹲っていた。
そして――。
「うおおおおおおおおお!!」
「よっしゃああああああ!!」
「まじかぁ〜!」
二塁走者の高松もホームイン。
まさに九死に一生、土壇場の逆転劇で、富士谷は逆転サヨナラ勝を収めた。
正直、相手に助けられたと思う。
しかし、それはエラーや四球は勿論、イレギュラーの事でもない。
俺は……森川さんのラストボールに助けられた。
最後の最後で、森川さんは付け焼き刃の――一番自信がない球を放ってしまった。
ギャンブルに出たのか、それとも富士谷と同じ形に拘ったのか。
分からない、分からないけど――あの一球は福生にとって致命的な失投だった。
「集合!」
審判に促されて、富士谷の選手はホームベースの前に集まる。
しかし、福生の選手は集まらない。いや、集まれないのだ。
マウンドの森川さんを除く誰しもが、その場で蹲っていた。
無理もない。福生は後一歩で勝利という所まで来ていた。
にも関わらず――ファンブルや併殺失敗、際どい判定でのフォアボール、そしてイレギュラーまで出てしまい、掴み掛けていた勝利を手放してしまった。
あと一つ、あとワンプレー噛み合えば勝てたのに。
そう思うと、悔やんでも悔やみきれないのだろう。
「福生はよく頑張った!!」
「胸張っていいぞー! 最後までしっかりやろう!」
客席から疎らな励ましが飛んでくる。
しかし、一部の選手は未だに起き上がれない。
そんな中、森川さんは腰に手を当てて、バックスクリーンを見上げていた。
その姿は、9回裏に刻まれた「2x」の文字を眺めているように見える。
「(ははっ……神様、過酷すぎんだろ)」
バックスクリーンを見上げたまま、森川さんは大きな息を吐いた。
失策、無援護、そして不運な判定。彼は歴史が変わっても、結局は悲運のエースになってしまった。
「(……最後、スローカーブだったな。それかカットなら当てられてもファールになったか。或いは渾身のストレートで――って、今更だけどな)」
森川さんは残念そうに肩を落とす。
「はぁー畜生……もう少し……投げたかったなぁ……」
そして――小さな声で呟くと、帽子を深く被った。
福_生000 020 002=4
富士谷002 000 012x=5
【福】中里、森川―入谷
【富】柏原―駒崎、近藤
・実例「なんで打球がそんな所に……」
第96回全国高等学校野球選手権大会
西東京大会 4回戦 八王子市民球場
多摩大聖ヶ丘7x―6千歳丘
・解説
千歳丘の1点リードで迎えた10回裏。
多摩大聖ヶ丘は走者を二人置くと、続く打者はピッチャー返しの打球を放ちました。
しかし、打球はピッチャープレートの角に直撃。そして誰もいない所に跳ねてしまい、走者一掃のサヨナラ打になりました。
あまりにも不運な打球に、千歳丘の選手は早々に追うのを諦めて、泣き崩れていたのを覚えています。
余談ですが、エースだけがバックスクリーンを見上げる仕草も、西東京大会で目撃したシーンになります。
いつか書きたいと思っていた中で、選ばれたのが伏兵枠の福生の森川でした。
ある程度は感情移入できるように書きましたが……思ったより人気が出すぎてビビってます。
最後に、八王子市民球場(現スリーボンドスタジアム八王子)のショートがイレギュラーし易いのもマジです。
これからプレーする機会がある人は、十分に注意してプレーしてください……!
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