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29.ボール半個分の戦い

福_生000 020 002=4

富士谷002 000 01=3

【福】中里、森川―入谷

【富】柏原―駒崎、近藤


 ブラスバンドがファンファーレを奏でる中、津上は右打席で呆然と固まっていた。

 9回裏、二死二三塁、ツースリーからの六球目。外角低めの際どい球は、ボールの判定が下されていた。


「君、急いで」

「……うっす」


 津上は肘当てとレガースを投げ捨てると、小走りで一塁に向かっていく。

 その様子を、俺はネクストで淡々と見守っていた。


 彼は四球を選んだ訳ではない。ただ単に手が出なかったのだ。

 どちらとも取れる球を見逃した結果、運良く審判はボールの判定を下した。


「(っちぇ。二死二三塁で見逃し三振なら、去年の菅尾戦の完全再現だったのによ)」


 マウンドの森川さんは、右手でロージンバッグを遊ばせていた。

 やがてロージンを投げ捨てると、俺を見てニヤリと笑う。


「(ま、コイツで締めてこそって事だよな。二死満塁でエース対決、最高に熱い展開じゃねーか)」


 二死満塁、押し出でも同点の場面。

 ここで迎える打者は――。


『4番 ピッチャー 柏原くん。背番号 1』


 ブラスバンドが奏でるさくらんぼと共に、俺は一礼してから右打席に入った。

 落ち着いてバットを構えて、森川さんと視線を交わす。


「(さ、決めようぜ。都立ナンバーワンってやつをよ)」


 お互いに逃げ道は存在しない。

 同点か、逆転か、或いは無得点か。この打席で必ず何かが起こる。


 一球目、森川さんは緩やかな球を放ってきた。

 白球は此方に向かってくる。俺は大袈裟に体を背けた。


「ボール!」


 判定は当然ながらボール。

 その気になれば当たれたが、真剣勝負に水を差そうとは思わない。

 俺は自分の力で決める。そしてチームとしては勿論、個人しても森川さんに勝ってみせる。


 二球目、唸るような速球を振り下ろしてきた。

 140キロに迫る豪速球は、首の高さを通過していく。


「ボール、ツー!」


 これも見逃してボール。

 森川さんは外角低めへの制球は良いが、他のコースは非常にアバウトだ。

 疲れも見えてきているので、内角の球は捨てて良いかもしれない。


「(入んねえな畜生。こうなったら――)」


 三球目、森川さんは緩かな球を放ってきた。

 真ん中高めのスローカーブ――じゃない。白球は不規則な変化をしながら、胸の高さに吸い込まれていった。


「ボール、スリー!!」


 冷静に見逃してストライク。

 なんてことはない。相沢に奇襲で使ったナックルボールだ。

 勿論、俺は頭にあった。だから悠々と見逃せた。


 ここで運に頼るあたり、精神面では此方に分がある。

 これで3ボール0ストライク。勿論、バントの構えなど見せない。


 甘く来たら全力で振り抜く。

 そう思いながらバットを構えると――速球は外角低め一杯を通過していった。


「ットライーク!!」


 ここで得意のアウトロー。

 先程から狙われているにも関わらず、ベースの縁ギリギリに決めてきた。

 森川さんは返球を受け取ると、俺を見てニヤリと笑う。


「(逃げる訳ねーだろ。もう俺は延長戦なんて投げたくねーんだよ)」


 高校野球のストライクゾーンは、外角を広めに取る傾向がある。

 故に、外角低めギリギリのストライクは、打つのが非常に難しいのだ。


 しかし、俺はそれでも外角低めに狙いを定める。

 もうアウトロー(ここ)以外ありえない。綺麗に流して試合を決める。


 森川さんはセットポジションから腕を振り下ろした。

 狙い通り外角低めのストレート。俺は逆らわずにバットを出した。


「おおおおおおおおおおお!!」

「わああああああああああ!!」


 鋭い打球はライト線に飛んでいく。

 しかし――。


「ファール!!」

「ああ〜……」

「危ねえええ……」


 ライト線、僅かに切れてファール。

 球場全体から安堵と落胆の息が漏れた。


「(さて、今度こそ追い込んだぜ。チェックメイトだ柏原)」


 森川さんはロージンを握ると、そのまま雑に放り投げた。

 一方、俺は打席を外す。ふと、一塁側スタンドに視線を向けてみた。


「かっしー落ち着いてー!!」

「がんばれー! かっしーなら打てるよぉー!」


 そこには、柄にもなく必死に応援する恵と、今にも泣きそうな琴穂の姿があった。

 夏美はメガホンを握りながら祈っている。後輩マネージャー達も不安そうに此方を見ていた。


 勝たなきゃな、グラウンドに立てない彼女達の為にも。

 そして――メンバーに入れなかった島井さんの為にも。


「……プレイ!」


 打席に戻ると試合再開が告げられた。

 狙いは再び外角低めのストレート。他は死ぬ気でカットして、枠から外れるようならバットを止める。


「(あの試合を見てから1年、ここまで長かったぜ。けど富士谷(おまえら)の背中を追うのは今日で終わりだ……!)」


 六球目、森川さんはセットポジションから腕を振り下ろす。

 それは――一瞬の出来事だったけど、俺には世界がスローモーションに見えた。


 森川さんが放った球は、狙い通り外角低めのストレート。

 俺は鋭くバットを出すと、白球は芯に吸い込まれていった。


 これは完全にアジャストした。

 そう思った次の瞬間――白球は()()()()()()()()沈んでいった。


「なっ……!」


 この球はストレートではない。

 シンカー方向に僅かに沈む直球――ツーシームだったのだ。


 この勝負所で、今まで1球も投げていない球を放ってきた。

 それはまるで――去年の東山大菅尾戦で、俺が奇襲でツーシームを放ったように。


「(言っただろ? これは菅尾戦の再現なんだよ)」


 俺の出したバットは、白球の上を叩いていた。

福_生000 020 002=4

富士谷002 000 01=3

【福】中里、森川―入谷

【富】柏原―駒崎、近藤


NEXT→8月3日or4日


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― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりの感想です。 この試合は、こういう駆け引きが面白いですね。 富士谷のこの年の夏はここで終わるのか? ……ここで味方のエラーで、というのも現実であるあるですが、物語的にはそれはまずいか…
[一言] いい意味で先が読めない。 ぶっちゃけ、森下は勝ってもいいよと言いたくなる。
[良い点] 森川さん敵やけど格好いいなあ [一言] めっちゃ続きが気になる!ハラハラするなー
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