22.前略、あきる野の僻地より
東京都あきるの市某所。
見渡す限り大自然が広がっていて、ここから見当たる建物と言えば、部室と倉庫と寮くらい。
そんな東山大学菅尾高校のグラウンドでは、ちょうど練習が切り上げられた所だった。
俺の名前は山本亮司。
ライトを守る副主将で、主に5番打者を務めている。
出身は春日井(愛知)だが、野球留学で上京を果たした。
と言っても、東山大菅尾に入学してから、東京らしい事は殆ど満喫していない。
学校やグラウンドは山に囲まれているし、活動時間の殆どを野球に当ててきた。
未だに、ここが本当に東京かどうかも疑わしい。
実は山梨なんじゃないか、と睨んでいるくらいだ。
そんな僻地で送る野球漬けの生活も、残すところあと僅かとなった。
早ければ7月21日、都大三高と当たる5回戦で、俺の高校野球は終わる。
勿論、負けるつもりは微塵もないけれど、一度も勝った事がない相手だけに、どうしても不安は拭えない。
まあ……逆に言えば、5回戦までは絶対に勝てるだろう。
4回戦で当たるであろう八玉学園は、エースの末広が全く成長していないし、それ以前の相手は全て無名の都立高校。
しかし――多くの3年生はそう思ってないみたいで、何やら緊張感が高まっている様子だった。
「ったく、いつまで投げてんだよ」
未だブルペンで球を放っている、エースの大崎雄一もその内の一人だった。
次の相手――都立富士谷高校との対戦が決まって以降、コイツの気合いの入り方は尋常じゃない。
「わりぃ、もう終わりにするわ」
「やる気があるのは結構だけどよ、次の試合なんて下手したら5回で終わりだぜ?」
「いやー……けどさ、富士谷には孝太がいるだろ。そう思うと、居ても立ってもいられなくてさ」
大崎はそう言って汗を拭った。
金城孝太。かつてエース候補だった同期の名前だ。
そして――肘の怪我で退部した後、都立高校に逃亡した負け犬でもある。
「投手じゃない金城なんて大した事ねーだろ」
「どーだろうな。孝太は身体能力高かったし、初戦では当たってたみたいだぜ」
当たってたと言っても、相手は無名都立の凡Pだ。
だいたい、ライト一人で圧倒的な戦力差をひっくり返せる程、野球というスポーツは甘くない。
富士谷との対戦が決まって以降、3年生は口を揃えて金城孝太の名前を連呼していた。
気に食わねぇ。確かに、昔は雲の上の存在だったかもしれないが、今は都落ちしたポンコツでしかない。
それなのに――多くの3年生達は、未だに金城という選手に幻想を抱いている。
今から約2年前、東山大菅尾に5人の特待生が入学した。
金城、小野田、戸倉、鵜飼、そして俺――山本亮司の計5人。
俺以外は日本代表の経験があるとかで、入学早々にAチームへ合流した。
思えば、この頃から4人の事が好きじゃなかった。
俺だって特待生だというのに、一人だけBチームに置き去りにされたのだから、苛立たないほうが可笑しいだろう。
それを先輩に言ったら「いきなりBでも十分だろ」とあしらわれて、俺の苛立ちは更に募った。
迎えた1年目の夏、金城以外の3人はスタンド組に落ちてきた。
逆に言えば、金城だけは背番号を貰った。彼への苛立ちと嫉妬は止まる所を知らなかった。
そんな思いを逆撫でするように、金城には何度か出番が回ってきた。
それは先発や大事な場面ではなく、大差での起用が中心だったけど、彼のピッチングはスカウト達の視線を釘付けにした。
左腕から放たれる140キロ近いストレート。
多彩な変化球に加え、極めつけはツーシーム。
それも、俺の知ってるツーシームとは違う。
打ち損じを狙う筈の球種で、金城は空振りを奪っていった。
苛立ちや嫉妬は、いつしか希望へと変わっていた。
この投手が順調に成長して、一緒に甲子園に行くものだとばかり思っていた。
それなのに――。
『はぁ!? 辞めるってどういう事だよ!!』
『医者に言われたんだ。俺の肘、完治は難しいって。痛みが引いても投手は厳しいって……』
『ざっけんじゃねぇ! 治るかもしんねーなら続けろよ!』
『簡単に言うなよ。色んな人に迷惑がかかるし、何より俺も耐えられる自信がないよ……』
『ッチ、その腐った性根を叩き直してやる! 大崎、バット貸せ!』
『やめろ亮司! 一番辛いのは孝太なんだぞ!』
アイツは野球から逃げた。
東山大菅尾から――俺達から逃げた。
※
「亮司……あの時の事、まだ気にしてんのか?」
ふと、大崎の声で現実に引き戻された。
「あ? 別にいいだろ」
「まったく、お前は昔から孝太と仲悪いよな~」
大崎はそう言ってヘラヘラと笑った。
あの頃は俺も幼かった。バットでケツを叩こうとしたのはやりすぎだったし、今なら金城の気持ちも1ミリくらいなら分かる。
リハビリしかできない特待生なんて、監督や先輩、何より学校から見たら邪魔でしかない。
その中で、冷ややかな視線に耐えながら、試合にも出る事も出来ず、終わりの見えないトンネルを走り続ける。
それが茨の道なのは間違いない。
それでも、金城が俺達から逃げたという事実は、どうしても許せなかった。
もっと言うなら、苦し紛れに始めた「外野手としての金城」が過大評価されている事については、全くの別問題だと言えるだろう。
俺は口だけの奴と肩書きだけの奴が大嫌いだ。
だから今の金城は勿論、温情で一桁を貰った主将の戸倉も、万年背番号10の鵜飼も気に食わねぇ。
小野田だってプロ注とか言われてるけど、大事な所で打たねーし、俺のほうが上だと思っているくらいだ。
閑話休題。
「まぁ……お前は仲悪かったけど、俺にとっては友達であり、憧れだったからさ。
孝太の復帰は嬉しいし、何より対決が楽しみなんだよ」
大崎はそんな感じで謙遜していた。
今のエースは大崎だと言うのに、未だに金城という幻想に囚われている。
それなら――その幻想から解き放つのが、主力打者としての役目だ。
「何か勘違いしてるみてーだけど、俺も楽しみにしてるぜ?」
俺はニヤリと顔を歪めた。
ああ、楽しみだ。圧倒的な差を見せ付けて、今は俺達のほうが上だと知らしめるのがな。
付け焼刃のライトが如何に無力か――本職ライトの俺が教えてやるよ。
補足「特待生」
スポーツ推薦の中でも、学費が全額免除される生徒の事。
どんな形であれ、部活に席を置いている間は特待生として扱われるが、退部した場合は学費が発生する。
尚、野球部においては5人が上限とされている。
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▼大崎 雄一(東山大菅尾)
180cm75kg 右投右打 投手/外野手 3年生
MAX142キロの直球と多彩な変化球に加え、抜群の制球力が自慢の好投手。
金城孝太の事をよく慕っていて、今でもメールでやり取りしている。
▼山本 亮司(東山大菅尾)
182cm78kg 右投左打 外野手 3年生
広角に長打を打てる左の強打者。
肩書きに対して強いコンプレックスを抱いているが、本人も愛知の強豪シニアで4番打者を務めていた。
▼戸倉 猛(東山大菅尾)
180cm80kg 右投左打 外野手 3年生
東山大菅尾の主将。
攻守においてセンスの光る選手だが、2年秋に頭部死球を受けて以降、調子を落としている。
▼小野田 臣(東山大菅尾)
178cm92kg 右投右打 三塁手/投手 3年生
東山大菅尾が誇るプロ注目のスラッガー。
東京ナンバーワンのパワーを誇るが、力任せで荒っぽい打撃をする。
内角が苦手なのはあまり知られていない。
▼鵜飼 秀人(東山大菅尾)
184cm77kg 右投右打 投手 3年生
ネット民の期待を一身に背負う、MAX147キロの快速右腕。
調子が良ければ東京で一番いい球を投げるとの噂だが、その実力が発揮されるのは10回に1度くらい。