17.脇役から見た世界
2010年7月9日。
夜闇に包まれた八王子市民球場では、眩い照明とブラスバンドが奏でる菅尾mixが、熱気に溢れるグラウンドを包み込んでいた。
「すげー、大平西に続いて富士谷も勝つんじゃね?」
「……ああ」
そう声を掛けてきたチームメイトに、俺――森川純平は曖昧な言葉を返す。
三塁側スタンドから見下ろすグラウンドでは、富士谷が東山大菅尾を「あと1球」という所まで追い詰めていた。
「ットライーク!! バッターアウッ!!」
「わああああああああああああ!!」
「富士谷凄えええええええええ!!」
次の瞬間――球審の右腕が上がると同時に、今日一番の大歓声が湧き上がった。
近くにいるチームメイト達も興奮している。そんな中、俺は呆然と富士谷のエース――柏原竜也を眺めていた。
この日、八王子市民球場では2つの番狂わせが起きた。
1試合目の八玉学園vs大平西。3試合目の東山大菅尾vs富士谷。何れも前評判の低い都立が、甲子園を目指す強豪校を撃破した。
そして――その間に挟まれた無名都立同士の試合で、延長戦の末に投げ負けたのが俺だった。
「森川ー、明日カラオケ行こうって話出たんだけど――」
「いや、俺はいい」
「えー、久々の休日休みだぜ〜?」
「まぁ純ちゃんは180球投げたからね。ゆっくり休みなよ」
「……悪いな」
チームメイト達とそんな言葉を交わした。
敗退直後は号泣していた選手達も、今ではすっかりケロッとしている。
都立高校の2年生としては自然な反応。しかし、俺だけは気持ちを切り替えられなかった。
俺は――大平西や富士谷が羨ましかった。
私学王国の西東京において、都立高校は有象無象、或は脇役でしかない。
その中で、この2校は下剋上を果たした。強豪から主演の座を奪ったのだ。
その夏、俺はこの2校を追うことにした。
直接対決では富士谷が勝利。そして富士谷は都大三高にも勝利してベスト8になった。
俺の目標が決まった瞬間だった。福生を第二の富士谷にして、俺は第二の柏原になる、と。
ただ、決意だけで変われたら苦労はしない。
これは勘違いしている人も多いが、平凡な都立高校も毎日練習していて、練習中も必死に白球を追い掛けている。
限られた時間と設備の中で、既にベストは尽くしているのだ。
結局、福生は秋も春も善戦止まりで終わった。
秋は石倉、春は桜美大町田。何れも古豪相手に健闘したが、延長戦の末に味方の失策で負けた。
あと一歩、あと1点が非常に遠い。
お袋に頼んで飯を増やして、朝練や自主トレも可能な限り行った。
それでも強豪や古豪の壁は破れない。これが福生の設備と指導者、そして選手の限界なのだと思いつつあった。
そんな中、二人の主力選手が怪我から復帰した。
3年生の桐山と2年生の中里。何れも投手を兼任する強打者である。
この二人の存在は非常に大きかった。
力尽きる前に継投できるし、俺以外にも長打を打てる打者がいる。
中里は守備も上手いので、正津や福島を含めたセンターラインにも安定が出てきた。
そして迎えた最後の夏。
初戦の武蔵境北には苦戦を強いられたが、2回戦では桜美大町田にリベンジを達成。
3回戦では好左腕・財原を擁する比野台にも投げ勝った。
そして――。
「セーフ!!」
「っしゃあああああああ!!」
「やったあああああああ!!」
前年王者・都大二高にサヨナラ勝ちを収めた。
三塁ベースの上で、サヨナラのホームを踏んだ中里を見届ける。
1年かけて目指した「第二の富士谷」が完成した瞬間だった。
※
都大二高との試合後、選手達は勝利の余韻に浸っていた。
「純ちゃんおつかれ」
「おう。桐山もナイスピッチ。完璧だったぜ」
そう声を掛けてきたのは背番号1の桐山。
今日の試合で先発して、4回まで試合を作った選手である。
「ああ。……悪いね、エースナンバー貰っちゃって。頑張ってきたのは純ちゃんなのに」
「いいんだよ、俺はもう投げたくねーからな。何なら一人で完投してくれたっていいぜ」
謙遜する桐山に、俺は冗談混じりに背中を叩いた。
彼の存在には本当に助けられた。お陰で百何十球も投げなくて済む。
「森川さん、あっちに柏原とマネ居ましたよ!」
「知ってる。スタンドに居たの見たからな」
「さすが富士谷研究家。本当に好きっすよね〜」
もう一人の主力、中里と言葉を交わした。
ちなみに、チームメイトからは「富士谷研究家」と弄られている。
それくらい――俺はこのチームを参考にして、目標にするよう口酸っぱく言ってきた。
「ま、今日の所はいいだろ。どうせ次で会えるしな」
「っすね。やっぱ目標とやれるのは嬉しいっすか?」
「そりゃあ勿論。むしろ今日は通過点だったまであるな」
「言いますねぇ。流石ポジティブシンキングの化身、もう次しか見てないんスかー」
「あったりめーよ。一発屋で終わるつもりはねーからな」
奇跡的に強豪私学を倒す都立は、毎年1校くらいは存在する。
しかし、2枚抜きや継続して上位進出したのは、元から強かった比野か、急に台頭してきた富士谷くらい。
だからこそ――俺は目標を富士谷だと言い続けてきた。
「ま、俺も負けるつもり無いっすけどね。富士谷には少し因縁もあるんで」
「あー、確か野球推薦落ちたんだっけ?」
「そーなんすよ! マネにメチャ好みの子いるの後から知って、マジ悔しかったっす!」
「監督の娘だっけか。ブログをチラッと見たけど、あの子に応援されたらたまんねぇよなぁ」
「いや、俺の推しは卯月ちゃんっすね。ちくしょー、富士谷に入ってれば知り合えたのに……」
「お、おう」
冗談だとは思うが、中里はやたらと悔しそうな表情を見せていた。
さて、次は目標の富士谷戦。勿論、戦えて光栄だなんて言うつもりは無い。
「ま、やる事は一つしかねえよ。推薦で落とした事を後悔させてやろうぜ」
「勿論っすよ。フルボッコにしてやりましょう」
第二の富士谷を目指す段階は終わった。
今の目標はただ一つ、都立としては約30年ぶりの夏の甲子園だ。
第二の富士谷ではない。俺達が第一の福生として、今年の西東京で波乱を起こす。
▼中里 隆史(福生)
180cm68kg 右投左打 遊撃手/投手 2年生
強肩強打で投手も兼任する遊撃手。
史実は富士谷に所属していたが、今回は野球推薦に落ちて一般入試で福生に入った。
尚、凄まじく怪我し易い体質で、野球推薦当日も足を痛めていた。
▼森川 純平(福生)
181cm82kg 右投右打 一塁手/投手 3年生
3大会連続で延長戦まで投げ抜いて、かつ全ての試合で負け投手になった福生の主力選手。
富士谷の試合を見て以降、福生を第二の富士谷にしようと奮起している。
選手としては強豪の主力選手と遜色ない実力を持つ。
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