3.終わりの始まり
2011年7月12日、俺達は上柚木公園野球場に足を運んだ。
南大沢駅から約15分。球場前の陸橋からは崖と山が見渡せる。
そんな東京とは思えない田舎で、パウル聖陵学園との初戦を迎える事となった。
『両校はグラウンドインし、アップを開始してください』
球場全体に響き渡る場内アナウンス。
既にライト線で待機していた選手達は、声を出しながら走り出した。
やがてトスバッティングの時間になると、先発バッテリー――俺と駒崎の2人だけが群れを離れる。
「いつも通り前半戦はスライダー主体で組み立てよう」
「うっす。点差ついたら早めに継投すると思うんで、スプリットも早めに要求していいですか?」
「10球以内で納まるなら好きにしていいよ」
「分かりました(……よし、勝ち試合で少しでも練習しとこう)」
そんな言葉を交わしてから、俺と駒崎はキャッチボールを始めた。
さて――長らく競争が続いたスタメンだが、本日は下記の通りになった。
【富士谷】
中 ⑧野本
左 ⑱中橋
遊 ⑮津上
投 ①柏原
右 ⑨堂上
一 ③鈴木
捕 ⑫駒崎
二 ④阿藤
三 ⑤京田
【パウル聖陵学園】
右 ⑳真弓
一 ⑫倉野
遊 ⑥三田村
左 ⑦菅井
投 ③松野
三 ⑤下川
捕 ②迫
二 ④高取
中 ⑨小田原
渡辺は未だ離脱中だが、これが暫定のベストオーダーとなる。
そして相手の先発投手も予想通り。背番号1の立川はシートノックで球出しをしていた。
『都立富士谷高校、ノックを開始してください。ノック時間は7分です』
やがてパウル聖陵のノックが終わると、続けて富士谷のノックが始まった。
ブラスバンドが奏でるシロクマが響き渡る。選手達は軽快に打球を捌いていった。
高校野球の応援と言えば、シートノック曲も魅力の一つである。
通常のノックとは違い、ハイテンポの曲でなくても映えるので、高校によってのバリエーションが非常に多い。
個人的には、常東高校(東東京)の「君に届け」が好きだったが、今回は聴けないと思うと少しだけ寂しさを感じる。
……と、そんな事を思っている内に、全てのアップが終了していた。
場内アナウンスによるオーダー発表、一塁側スタンドへの挨拶が終わると、ベンチ前に整列するよう促される。
「集合! これより、都立富士谷高校と、パウル聖陵学園の試合を始める。礼!」
「「っしゃす!!」」
ホームベースを挟んで一礼して、ようやく試合開始が告げられた。
これから更に投球練習(7球)があるのだから、試合開始までの時間は非常に長く感じてしまう。
『1回表 都立富士谷高校の攻撃は 1番 センター 野本くん。背番号 8』
場内アナウンスと共に、先頭打者の野本が左打席に入る。
「バッター野本ー!」
「スマイリーお願いしまーす!」
そして――マネージャー達の掛け声と共に、ブラスバンドの演奏が始まった。
ようやく夏が始まったと実感する。ただ3年生にとっては、これは終わりの始まりなのかもしれない。
「(……とにかく低めに集めよう。そう簡単には打たれない筈)」
パウル聖陵の先発は右腕の松野さん。
バッテリーサインの交換を済ませると、長身から腕を振り下ろす。
「……ボール!!」
「(フォークかな? まあまあ落ちるね)」
白球はワンバウンドしてボールになった。
続く二球目は外のストレート。これも見逃してボールになる。
目測で130キロ台前半くらいか。フォークとのコンビネーションは厄介だが、ストレート自体に凄みは無い。
「(いきなり四球は嫌だな。バックドアのカーブで頼む)」
「(気分的には速い球で押したいけど、とりあえずは迫に従うか)」
三球目、1つ目のサインに頷いた松野さんは、緩めの変化球を振り下ろした。
高めに浮いた緩かなカーブ。これも外れてボールになってしまった。
選抜ベスト8の威圧感が、松野さんにプレッシャーを与えているのだろうか。
選抜の野本はホームランも打っている。相手としては、どうしても慎重に行かざるを得ない。
「……ボール、フォア!」
結局、野本は四球を選んだ。
続く打者は1年生の中橋。某3世のテーマソングと共に左打席に入る。
「(ノーサインか。バントは警戒されてるだろうし、ここは打ってみるかな〜)」
バント、盗塁、エンドランなど、様々な攻撃が仕掛けられる場面。
瀬川監督の指示は無し。相手の制球が乱れているので、変に動かない作戦なのだろう。
一球目、松野さんはストレートを振り下ろした。
盗塁警戒も兼ねていたであろう球。中橋は迷わずバットを出すと、綺麗な流し打ちでレフト前に運んだ。
「(……少し甘く入ったか。1年のくせに上手いな畜生)」
これで無死一二塁。松野さんは早くも苦しそうな表情を浮かべている。
迎える打者は津上。その後ろには俺、堂上、鈴木と強打者が並び、休める打順など何処にもない。
「(とっととセーフティリード取って、ホームラン狙いに切り替えよっと)」
先ずは津上、三球目をコンパクトに振り抜いた。
右中間の前に落ちるタイムリーヒット。あっさりと1点を先制した。
『4番 ピッチャー 柏原くん。背番号 1』
無死一三塁、ブラスバンドが奏でるさくらんぼと共に、俺は右打席に入った。
初回から順調なペース。ここは一気に突き放したい所である。
「(クソッ、全然抑えられねぇ。こうなったら――)」
一球目、松野さんは真ん中寄りの速い球を放ってきた。
俺は引っ張る意識でバットを出す。その瞬間――白球は手元で僅かに曲がった。
「うおっ……!」
「下川、サード自分で!」
打球は一瞬で三塁手のグラブに収まっていた。
サードライナーでワンアウト。そして三塁走者の中橋も飛び出している。
「アウト! アウトォ!!」
「おおー!! ツイてるなー!!」
「ははは、パウルの癖にやるじゃん」
数少ない観客からは疎らな歓声が飛び交っていた。
今の変化球はカットボールか。大した球では無かったけど、運悪く正面に飛んでしまった。
「……アウトッ!」
「小田原ナイキャッチ! 流れきてるよ〜」
このプレーで落ち着きを取り戻したのか、続く堂上もセンターフライで打ち取られた。
相手は実質中堅校。そう簡単には道を譲ってくれない。
しかし――この1点が非常に大きい事を、パウル聖陵の選手達はまだ知らない。
俺は芳賀からグラブを受け取って、選抜以来になる公式戦のマウンドに向かった。
富士谷1=1
パウル=0
【富】柏原―駒崎
【パ】松野―迫
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