2.東京のツチノコ伝説
開会式の翌日、富士谷高校では練習前にミーティングを行う事になった。
もはや理由は言うまでもない。初戦のパウル聖陵戦に向けての対策である。
相手は初戦コールド負け常連の弱小校。
しかし――それは以前までの印象であり、中身は中堅クラスにまで成長している。
ここでの油断は禁物、予習して堅実に勝利したい。
先ずは過去の成績から。
パウル聖陵の直近3年間を振り返ってみる。
【2008年】
春1回戦●3―21鷺谷(5c)
夏1回戦●0―32名星(5c)
秋1回戦●0―9駿川学園(途中棄権)
【2009年】
春1回戦●0―28江狛(5c)
夏1回戦●2―13江狛(6c)
秋1回戦●0―7石倉(8c)
【2010年夏】
春1回戦●4―11都大亀ヶ丘(7c)
夏2回戦●2―12早田実業(6c)
秋1回戦●1―8国修舘(8c)
注目したいのは2009年夏。
指導者が変わり、野球推薦を始めた所で、スコアが劇的に改善されている。
それも春と夏は同じ相手。江狛はシードになる事もある中堅都立なので、1年生中心なら十分な善戦と言えるだろう。
そしてもう一つ、去年は悉く強豪に阻まれたが、5回コールドは回避している点にも注目したい。
強豪が硬くなりがちな初戦、それに結局はコールド負け。
しかし、今思えば成長の片鱗は見えていたのかもしれない。
「けどさ、結局は惨敗だろ?」
「それを言ったらウチも去年はコールド負けだぞ。まあ実際に見てみりゃ分かる」
続けて、去年の早田実業戦の録画を鑑賞する。
ちなみに提供者は相沢。都大二高は同じヤマだったので、早田実業の偵察用に録画していたらしい。
「意外とピッチャーまともだなー」
そう溢したのは京田だった。
投げているのは背番号3の松野さん。今年も背番号3だが主戦投手で間違いない。
選手名簿だと181cm78kg。
去年はもう少し細いと思うが、とても弱小校らしい選手には見えない。
直球も130キロ前後は出ている。制球に破綻は無く、フォークで三振を奪うシーンもあった。
「打線もまぁまぁ振れてるね」
「普通にツーベース打ってんじゃん」
打線の注目は4番の菅井さん。175cm79kgとガッチリした体格の左打者だ。
去年は早田実業から長打を放っていて、その打力は侮れない。
「5回終わって5対2かー」
「ノーエラーだしヒットも7本出てるし、前半戦は互角の展開だね」
「ここまでなら強そうに見えるなぁ」
試合は5回終了時点で3点差。
しかし、6回表に早田実業の猛攻が始まり、一挙7得点でコールド点差になってしまった。
不運な当たりや失策も絡んだ。二番手の背番号11が自滅したのも痛い。
「まあまあっすね。もっと弱いと思ってました」
「初戦は怖いって言うし、油断してると痛い目に会うかも」
「ふむ……異論はない。誰が相手でも全力で叩き潰すまでだ」
録画映像が終わると、選手達は納得してくれた様子だった。
そんな中、京田は不思議そうに首を傾げている。
「あれ、エースの立川ってのは投げないのかよ」
彼の疑問は他でもない、エースが登板しなかった件についてだ。
パウル聖陵の背番号1は立川。それは去年も今年も同じであり、正史通りなら来年もエースナンバーを背負う。
「まあ……怪我でもしてたんだろ」
「じゃあ今年は出てくるんじゃね?」
「分からんけど、立川に関しては全く情報が無いし、主戦は松野さんで間違いないと思うよ」
俺はお茶を濁して話を有耶無耶にした。
というのも、立川は「ツチノコ」と呼ばれる選手の一人なのだ。
さて――このツチノコとは何者なのか、少しばかり掘り下げていこう。
ツチノコとは、つまるところ「都市伝説みたいな投手」の総称である。
多少なりとも存在は知られているが、マウンドでの目撃証言は限りなく少ない。
そんな都市伝説のような投手達を、東京の高校野球界ではツチノコと呼ぶ風習がある。
このツチノコには2種類のタイプが存在する。
ひとつは、背番号1で登録されているが、全く登板しない未知の投手の事。
実力は誰も知らない、ただ毎回のように背番号1を付けては、登板せずに大会を終える謎投手が存在する。
もうひとつは、早期敗退や登板回避を繰り返して、なかなか大衆の目に触れない好投手の事だ。
数少ない目撃者は絶賛するが、大勢が観れる試合では登板を回避する、或いは球場が分散する段階で負け続ける。
そんな隠れた好投手にも「ツチノコ」の名が授けられる。
立川は前者――つまり、エースナンバーを付けているだけの謎投手だった。
正史で登板していた記憶はないし、卒業後に何処かで活躍したという噂も聞かない。
総括すると、上で活躍するような選手ではなく、どのみち対策も不可能な投手だった。
「さて……立川の事は置いといてだ。正直、このチームを見てどう思った?」
ふと、俺は選手達に問い掛けてみた。
話が脱線してしまったが、ここで大事なのは立川とかいう謎投手ではない。
このパウル聖陵と富士谷を比べて「正直どう思ったか」である。
「聞いてた話よりはマシみたいですけど、ぶっちゃけコールド案件っすね。今更苦戦するような相手じゃないっすよ」
そう答えのは津上だった。
相変わらず相手を舐めている。しかし――。
「正解。確かに油断できない相手だけど、ここに負けるようじゃ甲子園では勝てない」
俺は口元をニヤリと歪めて肯定した。
正史のパウル聖陵は5回戦敗退。今後10年を見ても最高成績は西東京ベスト8である。
それもエースは右で130キロ前後、4番もプロ注目という訳ではない。
5回戦以降は強豪校との対決が続いていく。
そして全国大会ともなれば、140キロのエースにプロ注目の4番が当たり前だ。
ここで躓いている場合ではない。油断は出来ないけど、今の富士谷にとっては通過点でしかないのだ。
「じゃ、オーソドックスな右ピー打つ練習します?」
「そうだな。バッピは落ちる球を投げれる選手で回していこう」
そんな感じで、富士谷の面々は打撃を中心に調整した。
パウル聖陵との試合は7月12日、上柚木公園野球場で行なわれる。
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