2.野球の女神さまっ!
街行く人々に、ツーブロックのサラリーマンや、シースルーバングの女子大生は殆どいなかった。
見渡す限り、女子高生は紺のハイソックスを膝下まで上げて、男子高校生はズボンを腰まで下ろしている。
そして、多くの人々が手にしているのは、アンドロイドやアイフォンではなく、ガラパゴス携帯。
どういう訳か、俺は11年前――2009年時の自分に転生していた。
「夢じゃねーんだよな……?」
都内の公園で、俺は独りでにしっぺを繰り返していた。
左腕が赤く腫れている。もう何度も確かめたので間違いない、これは夢ではなく現実だった。
未だに信じられない。信じられないけど――これは願ってもないチャンスだ。
学生時代、俺は関越一高に進学して、酷使で壊れてから人生が狂った。
ならば、今からやる事はただ一つ。進路を変える他にない。
関越一高に未練が無いと言ったら嘘になる。
指導者の米原監督は、人間教育にも力を入れている人格者で、教わった事は数知れない。
野手も頼れる仲間ばかりで、のちに2人の同期がプロ入りした。
ただ、投手に関しては大凶作の世代だった。
その中で、全国制覇に目が眩んだ米原監督は、俺との心中を選んでしまった。
閑話休題。
「さて、どこに行こう……」
当時、俺には行きたい高校が二つあった。
一つ目は、福島県の強豪・聖輝学院。志望理由は「TVで見て憧れた」程度の物だったけど、俺はここに行きたかった。
けど両親に否定されて、今日この場所で泣いた。
そして二つ目は――八王子市にある都立富士谷高校。
なんてことはない、俺の好きな人――金城琴穂の進学先が、この富士谷高校だったのだ。
しかし、当時の富士谷高校は、大会1勝止まりの弱小校。当然ながら諦める事となり、それは今回も変わらない。
酷使を回避しつつ、甲子園に行ってプロに入る。それが転生した俺の人生設計だ。
……なんて事を考えていると、ベンチに座り込む俺を、人影が覆った。
「そんなに悩むことないと思うけどなぁ」
そう言って現れたのは、全く面識の無い少女だった。
「誰だよ……」
考えるよりも先に本音が漏れてしまった。
本当に誰だよコイツ。
「私は野球の女神さま。悩める野球少年を救う神さま的なやつだよ」
女神を自称する少女は、水色を基調にしたセーラー服に身を包んでいた。
身長は160cm台前半。発育は割りと良さげだが、長めのスカート丈から察するに、まだ中学生だろう。
頭髪は明るい茶髪のゆるふわパーマ。胸下まで長さがあり、前髪は揃えている。
強調された涙袋は、時代を先取りしてるようにも思えた。
俺は思わず、その発育の良い胸――厳密に言えば左胸に視線を奪われた。
すると彼女は、
「あ、気になる? やっぱ年頃だねぇ」
と、得意気になっていたので、
「いやぁ、どこの中学だろうなぁって」
「!!」
と返すと、彼女は赤面しながら、校章の描かれた左胸を手で隠した。
「こ、これは拾ったやつだから!」
「恥じらうポイントおかしいだろ……」
神なのに拾った服着るのかよ、とまでは言わなかった。
生憎、電波少女の女神ゴッコに付き合うほど俺は暇じゃない。
しかし――。
「柏原くん。このまま関越一高に進学すると、酷使が原因で肘を壊す事になるよ」
なんて言うものだから、思わず硬直してしまった。
「は……?」
「私の予言。答え合わせはできないけど、名前と進学先は合ってるでしょ?」
ありえない。
女神を自称する少女は、俺の名前と進学先だけでなく、未来までも的中させたのだ。
「……信用できないな。先の事なんてわからないだろ」
「そっか、じゃあもう一つ。柏原くんの好きな人は金城琴穂ちゃんだよね」
何故こんな事まで。
この少女は普通じゃない。転生があるのなら、野球の女神が現れても可笑しくない……気がしてきた。
「信じてくれる?」
「ま、一旦な」
「そっか。じゃ、そんな女神さまから一つ提案。琴穂ちゃんと同じ高校――富士谷高校で甲子園を目指すってのはどう?」
彼女はそう言って、得意気に人指し指を伸ばした。
「厳しいな。富士谷で、いや都立で甲子園を目指すのは現実的じゃねぇって」
「そんなことないよ。富士谷はこれから強くなる。柏原くん抜きで考えてもね」
彼女の言葉に間違いはない。
今から3年後、富士谷高校は西東京でベスト16に進出して、少しだけ話題になった。
それでも甲子園には程遠い。そもそも、今後11年は都立が東京を制する事はないのだから、無謀にも程がある挑戦だ。
……普通の人間なら。
「じゃ、女神さまに一つだけ聞くけど……富士谷に行った俺は甲子園に――プロに行けるのか?」
しかし、今の俺は普通ではない。
そして――普通ではない少女が目の前にいる。
「うん、行ける……行けるよ。柏原くんはとってもいい選手だから、もっと自分を信じて」
女神はそう言って俺の手を握った。
思わず顔が熱くなる。その手は柔らかく、ほのかに暖かかった。