19.びざーるらゔとらいあんごぅ!
その日の練習が終わると、私達は駅チカの喫茶店に身を移した。
「ここ、かっしーとめぐみんがよく来るんだって」
「へー。何か旨いもんでもあんのかな」
そんな言葉を交わしながら、私はメニュー表を開いてみる。
特に物珍しい品は見当たらない。どこにでもある普通の喫茶店に思える。
強いて言うなら、カウンター席では常連っぽい人が屯っていて、少し居辛いのが気になるくらいだ。
「……お待たせいたしました。アイスコーヒーとアイスココアになります」
「あ、どうも〜」
「注文は以上で宜しいでしょうか」
「大丈夫ですっ」
琴穂と店員が話している隙に、私はガムシロップを3つ、ミルクを2つ取り出した。
速やかにコーヒーに入れゴミを隠す。一口だけ飲んで甘さを確認すると、何食わぬ顔で琴穂と向き合った。
「で、相談って?」
時間も遅いし、単刀直入に問い掛けてみる。
いくら逃げたって結末は同じ。腹を括って相談を受け入れよう。
「え、えっとね。私、好きな人できちゃったかも……」
琴穂は恥ずかしげに下を向いた。
私は小さく息を吐く。この手の話なのは覚悟していた。
そして――彼女の交友関係を見ていれば分かるけど、その相手というのは一人しか考えられない。
「柏原だろ?」
私の問い掛けに、琴穂は無言で頷いた。
おめでとう両想い。これで万事解決、お二人で幸せに――と言えれば、どんなに楽だった事だろうか。
私は知っている。
柏原に好意を寄せる人物が、身近な所にもう一人いる事を。
「ど、どうしよう。めぐみんもかっしーのこと好きなのに……」
そして――琴穂の悩みというのも、柏原を好きになった事ではない。
恵と被ってしまった、という部分で葛藤があったのだろう。
「まあ落ち着けよ。一応聞くけど、どの辺が好きなんだ?」
「……一緒にいるとドキドキする。あと勘違いかもしれないけど、私に凄く優しい……気がするっ!」
それは勘違いじゃなくて事実だぞ、と出かかった言葉は何とか飲み込んだ。
「なるほどな。んで、琴穂はどういう方向に持っていきてーの?」
「は、話すと長くなるいいっ?」
「長くなるのか……」
あんまり長くなりませんように、と思いながら、私は耳を傾けてみる。
「そのねっ、かっしーの事は好きだけど、まだ早いと言うか、少し怖いと言うか……」
「あー、まあ野球部で忙しいもんな」
「いや……ま、まぁそれもあるけどさっ」
琴穂はそう言うと、顔を真っ赤にしながら視線を逸らした。
「ほら……やっぱ付き合ったら……そういう事するじゃん……?」
ああ、なるほどな。
付き合ったらする事――手を繋いだり、キスをする事に抵抗があるのだろうか。
「初めては大事にしたいと」
「うん。最初は痛いって聞くし……」
「痛いの!?」
私は思わずツッコミを入れてしまった。
見る限り痛そうな要素はないけれど……私もキスなんてした事ないから分からないな。
相手の力加減次第では、手を繋ぐのも痛いのかもしれない。
「変な声でて引かれちゃうかもしれないし」
「声でんの!?」
浮かれてハイになるって事だろうか。
それか不意を突かれてって事なら、不細工な声は出るかもしれないが。
「あ、あと……お布団汚しちゃうかもしれないし……」
「それは何とかしろよ!」
この子、夜中の便所に一人で行けないんだよな。
流石に漏らすのはどうかと思うが、お泊りする時は確かに苦労しそうだ。
「だから、もう少し時間が欲しいかな、的な」
「な、なるほどな。けど先延ばしにしても結果は同じじゃね?」
「ほら、もっと大人になってからとかあるじゃんっ。それに……1人で練習できない事もないしぃ……」
「1人で!?!?!?」
ゴニョゴニョと喋る琴穂に、私は4度目のツッコミを入れてしまった。
手は1人で繋げない事もないが、キスはどうやるのだろうか。
まさか、鏡に写った自分にキスを――。
「なっちゃん、絶対に何か勘違いしてるよね」
「ああ……たぶんな。もう次いってくれ」
琴穂が目を細めていたので、私は話を仕切り直した。
お互いストローに口を付けると、琴穂は大きな息を吐いてから口を開く。
「……正直、どうしたらいいか分かんない」
「って私に言われても難しいな。最終的なゴールはどうしたいの」
「もちろん、かっしーと付き合いたいっ。それで、めぐみんとも友達でいれたらいいなぁー、って思うけど……」
「けど?」
私は首を傾げると、琴穂は言葉を続ける。
「もしそうなったら、めぐみんは私のこと嫌いになると思うし、そもそも全く勝てる気しないって言う……」
そして――そんな事を言うものだから、思わず変な声が出そうになってしまった。
「んな事ねぇだろ。琴穂も恵に負けじと可愛いし」
「けど、めぐみんのほうがスタイルいいし!」
「小柄で可愛らしいのも立派な武器だろ」
「めぐみんのほうが色白さんだし!」
「琴穂は健康的に焼けてて良いと思うけどな」
デジャヴ感ある言葉を交わしていく。
尤も、前回は私が羨ましがる立場だったけど。
「それに、かっしーはめぐみんと一緒の時が一番楽しそうだし……」
しかし――次の一言を聞いて、私は言葉に詰まってしまった。
これには思い当たる部分がある。というのも、柏原は琴穂が好きと言いつつも、恵と一緒に居る時間の方が多い。
そして態度に関しても、琴穂には優しく接するあまり、本来の自分を隠している節があるのだ。
「ふぅ」
琴穂は寂しそうにココアを飲み干した。
もし、ここで私が「柏原は琴穂が好き」と教えれば、彼女は不安から解放されるのだろう。
しかし――。
「まあ……確かに、柏原と恵は仲良いよな」
私はその情報を伏せてしまった。
決して琴穂が嫌いな訳ではない。むしろ力になりたいと思っている。
ただ――私の一言で全てが決まってしまうのは、あまりにも恵が可哀想な気がした。
「ねっ。ダメなのは分かってるけど、そういうところ見るとモヤモヤしちゃうというか……」
琴穂は落ち込みながら言葉を返してきた。
さて、せっかく私に相談してくれたんだ。カンニングはさせられないけど、思い付く限り最善の言葉を掛けてあげよう。
「ま、琴穂の言いたい事は分かるよ。自信はないけど恵には勝ちたいし、そんで今までの関係も崩したくないんだろ」
「う、うんっ」
「なら恵に負けないくらい好意を表に出して、全力で勝ちに行けばいいと思うぜ。それで琴穂が勝ったら、恵は凹むかもしれないけど、琴穂の事を嫌いになったりはしねーよ」
私は得意気にそう語ってみた。
正直、恋愛に関してはド素人だし、無責任にも程があるアドバイスかもしれない。
ただ、今は彼女達を信じる。それで敗者がヘソを曲げるようなら、私が仲裁に入って解決しよう。
「そうだよねっ。めぐみんを勝手に疑ってた私が間違ってた」
「ああ、恵を信じろ。そして――もし負けた時は恵を認めてやってくれ。どんな形になっても、最後まで仲良くマネージャーをやり遂げようぜ」
「うんっ。頑張るっ!」
これで一件落着――ではないけれど、今日の所は解放されそうだ。
そして今は夏に向けて忙しい時期。琴穂も先を急いでいる訳ではないので、一先ずは有耶無耶になってくれるだろう。
「あ、お兄ちゃん迎えに来た」
「準備いいな。そういや免許とったんだっけか」
「うん。なっちゃんも乗ってく? お礼に送ってくよ〜」
「私はいいや。小腹空いたしカツサンド食べてく」
「カウンターの人が頼んでたやつ! あれ美味しそうだったよねー」
「そうそう。メニューに写真ないからノーマークだったんだよな」
そんな言葉を交わしてから、琴穂を先に送り出した。
直ぐに携帯が鳴り響く。琴穂から「今日はありがとう」とメールが来ていた。
さて、私はカツサンドの到着を待つとしよう。
暇だったので再び携帯を開く。そして――とある疑問を解消する為、堂上にメールを送ってみた。
『鏡に向かってキスの練習ってするもんなん?』
『お前はバカか』
やっぱしないよなぁ、と思いながら、私はガムシロップを1つ追加した。
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