15.墓穴に埋まる黒歴史(前)
それは、とある日の練習後の事だった。
「そういえばさ、かっしーって何時から琴ちゃんが好きなの?」
そう問い掛けてきたのは恵である。
何時から――と言われても、厳密な始まりは覚えていない。
気付いたら琴穂の事が好きだった。少なくとも俺はそう記憶している。
「生まれた時から」
「そういうのいいから……」
「まあ一目惚れだからな。出会った時としか言えねえよ」
「てことは中学?」
「一応、小学校も一緒だったよ。クラスは殆ど違ったけどな」
琴穂とは小学校の頃から一緒だった。
とは言っても、同じクラスだったのは4年生の時だけ。
運悪くすれ違いが続いた事もあり、小学生の頃は話した記憶が――。
「あ、思い出したわ」
「詳しく!!」
そこまで振り返った所で、琴穂との初接触を思い出した。
恵は目を輝かせて期待している。話さないと解放しないと言わんばかりだ。
仕方がない。別に隠す事でもないので、ここは正直に語ってあげよう。
そう思いながら、幼き柏原少年の記憶を探る事にした。
※
さて――琴穂との出会いだが、小学生の頃まで遡る。
低学年の頃、琴穂は「体操着の妖精」と影では呼ばれていて、学年では少しばかり有名な子だった。
理由は「よく粗相をして体操着に着替えているから」という大変不名誉な物だったけど、当時から俺は琴穂を可愛い子だと思っていた。
小学4年生の頃、俺達は初めて同じクラスになった。
しかし、小学生というのは捻くれた生き物で、用も無く女子に――ましてや体操着の妖精に話し掛けると、男子のクラスメイト達に誂われてしまう。
そう思った俺は、琴穂と同じ係に立候補して、話さざるを得ない状況を作るに至った。
二人が手を挙げたのは飼育係。
小学校ではニワトリを2羽飼っていて、その世話をするのが仕事だった。
「はいっ。柏原くんが先でいいよっ」
「お、おう。ありがと」
「柏原くんはそれどうするの?」
「卵かけご飯にしようかな。新鮮だろうし」
飼育係の特権として、雌鶏が生んだ卵をテイクアウトできるルールがあった。
最初の卵は俺が貰った。そして用途を聞かれたのを覚えている。
「金城はどうするの?」
「私は育てるっ! ヒヨコさんが可愛そうだもんっ!」
「えっと、この卵から雛は生まれないよ?」
「えー? なんで分かるのー?」
「うっ……」
純粋無垢だった当時の琴穂は、生命の神秘を存じ上げなかった。
無精卵という概念も知らず、卵は適度に温めれば雛になると思っていたらしい。
「ほ、ほら。他の動物は交尾しないと赤ちゃん出来ないだろ? それと同じで、ニワトリも交尾しないといけないんだよ」
「へー。じゃあ、ピーちゃんとピヨくんでちゅーさせればいいの?」
「いや……交尾ってそんな簡単じゃないから……」
「そうなの? やり方教えてよっ」
「えぇ!? たぶんだけど……こう、下の方に何か生えてるヤツをお尻に……」
俺は恥を忍んで、琴穂に仕組みを解説した。
今思えば、合法的に琴穂に性を教える貴重な機会だったが、当時の俺は恥ずかしくて仕方がなかった。そして知識も足りな過ぎた。
「交尾って難しいんだね……ヒヨコさん見たかったなぁ……」
この世の真実を知った琴穂は、物凄く残念そうにしていた。
恐らく、可愛い雛が産まれるのを楽しみにしていたのだろう。
そんな心境を察した俺は、琴穂を喜ばせたくて、つい人道に反した奇策に出てしまった。
俺達の小学校では、雄鶏と雌鶏を1羽ずつ飼っていた。
どちらも同じ鳥小屋での飼育。ただ、2羽が勝手に交われないよう、中は金網で仕切られていた。
そこで――俺は図工室から工具を持ち出して、この金網に細工を施した。
外から見て1番奥の部分だけ、扉のように開閉できるようにしたのだ。
「これで次までには交尾してるかもね」
「わー、柏原くん凄いっ! ヒヨコさん楽しみだなぁ〜」
あとは帰り際に小窓を開放して、誰よりも早く来て小窓を閉める。
今思えば隙だらけの作戦だが、金網の小窓は我ながら力作で、先生達もまんまと騙されてくれた。
やがて2つ目の卵が産まれると、今度は琴穂が持ち帰る事となった。
彼女は凄く喜んでいて、可愛い雛を育てると息巻いていた。
「いつも持ち歩いてるね、それ」
「うんっ! 頑張って温めないとっ!」
「お、おう。割らないようにね……」
琴穂は日常的に卵を持ち歩いていた。
授業中は人肌で温めて、離れる時は毛糸のベッドに包んでいく。
絶対に何時か割ると思ったが、奇跡的に割れないまま暫くの時が過ぎた。
「うーん、なかなか産まれないねっ」
「もしかしたら無精卵だったのかも」
「そっかぁ。じゃ、柏原くんこれ食べる?」
「いらないよ。絶対に腐ってるじゃん……」
ただ、何日が経っても雛は産まれなかった。
普通なら産まれている時期なので、俺達はこの卵を無精卵だと結論付けてしまった。
……卵が少しだけ大きくなっている事に気付かぬまま。
「誰かが食べたらお腹壊しちゃうし、ここで捨てていこっか」
「うん。次はヒヨコさん入ってるといいなぁ〜」
今思えば、俺が内々で処理すれば良かったと思っている。
しかし――そんな気が回らなかった当時の俺は、放課後の花壇で卵を割ってしまった。
「うわ……」
「ひっ……!」
そして二人は言葉を失った。
卵から出てきたのは、既に冷たくなった雛鳥だった。
それも産まれる直前くらい。誰が見ても雛だと分かるくらい、しっかりと原型を留めていた。
これは後から知った事だが、人肌や毛糸では温度が足りず、産まれる前に絶命してしまうらしい。
逆に温める事を完全に放棄していれば、ここまで大きくなる前に液状化するとの事だった。
つまり――中途半端に温めた結果、原型を留める程度には成長して、産まれる前に絶命してしまったのだ。
「……埋めてあげよっか」
「うぅ……ぐすっ……ヒヨコさん……ごめんね……」
琴穂は涙をボロボロ流しながら、ずっと謝っていたのを覚えている。
その姿を見て、俺はこの子を守ってあげたい、もう悲しませたくないと内心で決意した。
しかし――そんな決意も虚しく、この一件で琴穂とは少し気まずくなってしまった。
そして2学期になり係が変わると、話す機会が無いまま再び別々のクラスになった。
※
俺は語り終えると、恵はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「なんだよ」
「いや〜、かっしーにも可愛い時期があったんだなぁって」
「まるで今は可愛くないみたいな言い方だな?」
「当たり前でしょ……。中身は小柄な子とJKの百合シーンに欲情するアラサーのおじさんじゃん」
「当たってるけど嫌な言い方はやめろ」
20後半はギリギリおじさんじゃない、と出かかった言葉は何とか飲み込んだ。
恵は凄く満足気というか、いい事を知ったと言わんばかりの表情をしている。
「かっしーお待たせっ!」
「おう。んじゃ帰るか」
そんな会話をしている内に、気付けば琴穂の着替えが終わっていた。
夜間練習の際は琴穂と帰る。今や日常になっているが、昔なら考えられない幸福だ。
その幸せを噛み締めて、俺は今日も帰路に着く。
「(琴ちゃんいいなぁ〜。毎日一緒に帰れるし、昔の事も知ってるし……。ふふっ、ちょっと意地悪しちゃおーっと)」
恵は悪戯っぽい笑みを浮かべて、琴穂の側まで寄ってきた。
俺には分かるけど、何か悪巧みをしている顔である。
「ねね、琴ちゃん。体操着の妖精って何?」
「……っ!?」
そして――笑顔でそう問い掛けると、琴穂はワナワナと震えながら、顔を真っ赤にして此方を見上げてきた。
「オレジャナイヨ」
「嘘……かっしーしか知らない筈だもん……」
俺は咄嗟に目を逸らす。
しかし、同じ小学校出身は俺しかいないので、もはや言い逃れようは出来ない。
「ご、ごめん……ってか琴穂も知ってたんだな……」
「み、皆言ってたから知ってるよっ! もうかっしーなんて知らないっ!」
「ちょ……!」
機嫌を損ねた琴穂は、俺を置いて先に行ってしまった。
思わず恵を睨んでしまう。彼女は相変わらず得意気な表情を浮かべていた。
「ほらほら、早く追っかけて機嫌とらないと〜」
「おまえマジで覚えてろよ……」
恵に促されて、俺は必死に琴穂を追いかけた。
とりあえず琴穂の機嫌を取らなくては。恵へのお仕置きは後から考えよう。
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