13.彼女のラストゲーム
8回表、尚も富士谷の攻撃中。
ベンチ裏で待ち構えていると、便所帰りであろう夏美が此方に戻ってきた。
「無事攻略できたな」
「ああ。ったく、最初から打てって感じだよな〜」
夏美は少しだけ上機嫌になっていた。
ただ、これで万事解決という訳ではない。大城とは不仲なままだし、恵の切実な希望も叶っていない。
無理強いは出来ないが、ここは然り気無く誘導してみよう。
「正直、滅多打ちに合う大城を見てどう思った?」
「んー……ざまぁみろってよりは、やっぱりなって感じかな。本当に遅い球のほうが打ち辛いなら、男子も遅い球で勝負してる筈だろ。この辺が女子の限界なんだろうなーって」
夏美は淡々とそう語った。
少なくとも、野球というスポーツにおいて性差は存在する。
それも飛距離や球速だけではない。守備や巧打力、制球など、全ての項目でハッキリと差が出てしまう。
聞いた話だと、女子プロ野球よりも男子の中学野球(並以上)の方がレベルが高いらしい。
そう考えたら、夏美が中学で男子との格差に絶望したのは、ごく自然の流れだったと言えるだろう。
「ま、大城が女子で一番上手い訳じゃねーけど、確かにそうかもな」
「ああ……悲しいけどこれが現実だよな。それでも頑張る華恋は応援してやりたいけど……私はもうグラウンドには立てねえし、それを誂われるのは癪なんだよ」
夏美は少し悔しそうな表情を見せた。。
彼女は堂上の130キロ超の死球を受けて、堂上の弾丸ゴロをモロに喰らって野球を辞めている。
故に、人よりも性差には敏感だが――。
「まぁな。けど今日の投手は女子だし、守備も都立レベルだぜ。だったら1打席くらい立ってみてもいいんじゃねーかな」
だからこそ、今日だけは試合に出れると思っている。
比野台は決して超弱小ではないが、少なくとも内野陣に大柄な選手はいない。
万が一、交錯するようなプレーになっても大事には至らないだろう。
「……ごめん。そんな生半可な気持ちで辞めた訳じゃないから」
「そうか。悪かったな」
そんな思いも虚しく、夏美からはNOの返事が返ってきた。
やっぱりダメだったか。そう思った時――。
「別に減るものでもあるまい、1打席くらい立ってみれば良いだろう」
そう口を挟んできたのは堂上だった。
「……嫌だって言ってんだろ」
夏美は不機嫌気味に言葉を返す。
これは――配役が違うだけで、正史と同じ過ちを繰り返す流れではないだろうか。
不味い、止めないと。俺は仲裁に入ろうとしたが、堂上がそれを制止する。
「ふむ……嫌なら別に良い。わざわざ見世物になる必要もないからな。ただし、一つだけ言わせて貰おう」
「なんだよ」
「俺には野球を続けるよう強要したが、自分はたった1打席の願いも聞けない物なのか?」
「はぁ!?」
堂上が指摘すると、夏美は困惑気味に叫んだ。
「そ、そりゃ私と先がある堂上じゃ話が違うだろ!」
「逆に考えれば、先が無い人間こそ最後を美しく締める必要がある……という見方もできる」
「まるで私の最後が汚かったみたいだな! 何も知らない……覚えてない癖に!」
これマジでヤバいやつだ。
今度こそ仲裁に――と思ったが、再び堂上に制される。
「最後は死球と腰の引けた見逃し三振だろう? 自分でやった事くらいは覚えている」
「……っ!」
そして無表情で言い放つと、夏美は申し訳なさそうに視線を逸した。
「……覚えてたのかよ」
「無論。俺は記憶力は良い方だからな。テストでも証明済みだ」
夏美の中学最後の試合は死球と三振。
2打席目は130キロの死球の恐怖で、まともにバットを振れなかったと聞いている。
その姿をマウンドから見ていたのは、紛れもなく相手投手だった堂上だ。
彼の脳裏にも、夏美の最後はハッキリと記憶されていたのだろう。
「故意では無かったとはいえ、あの時は申し訳ない事をしたと思っている。だからこそ、改めて俺から願いたい。
最後は自分らしいスイングで締めてくれ。俺も夏美が思い切りプレーする姿を、一度で良いからこの目で確かめておきたい」
そう語る堂上は相変わらず無表情だった。
ただ、心は籠もっていたと思う。少なくとも俺はそう思いたい。
「そこまで言われると……ってか、いま夏美って……」
「ふむ……嫌だったか?」
「べ、別に嫌じゃねえよ! 最初からそう呼べし!」
夏美は照れ臭そうに言葉を返していた。
色々あったけど、ようやく何時もの夏美が戻ってきた気がする。
堂上は流石と言わざるを得ない。今回ばかりは俺の完敗と認めよう。
「じゃあ行ってくる。三振しても笑うなよ」
「誰も笑わねえし、笑われたとしても10年後には良い思い出だよ。悔いの無いようにやってこい」
そう言葉を交わして夏美をベンチに送り出した。
二人だけ取り残されると、俺は堂上を小突いてみる。
「やるじゃん。さすが夏美担当」
「なんてことはないだろう。俺は思っていた事を言っただけに過ぎない」
「そーですか……」
堂上は本当に動揺しないな。
可愛気の欠片も無いとは彼の事を言うのだろう。
「……時に柏原、カマキリの生態は知っているか?」
「急にどうした」
「カマキリは雌の方が大きくて強い。そして致した後に雄を捕食する訳だが、雄も子孫繁栄の為にそれを受け入れている」
藪から棒とはこの事だな、と思いながらも耳を傾ける。
「人間は逆だった……というだけの話だ。人間には人間に適した役割分担があり、同世代で体力を競う場面では、その力関係に従うしかない」
ようやく話の意図が見えてきた。
俺は少しだけ笑みを溢すと、堂上と拳をぶつけ合う。
「グラウンドに立てない女子マネの為にも、俺達が戦って甲子園に連れて行こう、って事だろ」
「うむ。今度は優勝して連れて行こう、という意味だったがな」
俺達は今までも、そしてこれからも――マネージャーの為に戦い続ける。
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