20.優しい嘘、非情な運命
瀬川徹平から病名が宣告されると、俺は暫く言葉を発せずにいた。
「きゅ、急性白血病……?」
「……うん。急に発症するんだって。予防らしい予防もないらしいし、ほんと困っちゃうよね」
人気の少ない場所に身を移して、俺と恵は言葉を交わす。
急性白血病。一般的な癌とは違い、発生から症状が出るまでが非常に早く、具体的な予防策も存在しない。
長期生存率は6割前後。死亡する場合、発症から2ヶ月前後で亡くなる事例が多い病気だ。
「なんで黙ってたんだよ……」
「だって……心配かけたくなかったんだもん……」
「だからって隠す事ねえだろ」
「知ったらプレーに集中できなくなるでしょ。特に死期が近くなると」
恵は拗ね気味に言葉を溢す。
死因もそうだが死期も衝撃だった。以前に聞いた19歳より1年も早い。
「ああ……それと3年の夏って、具体的にはいつ頃なんだよ」
「それが聞いてよ。なんと倒れるのは西東京大会決勝の日。そして最後に意識があったのは甲子園決勝の日だよ。
野球部の皆と中継を見た後に容態が急変して、それが最後だったと思う。凄いよね〜、高校野球の神様に愛されてるって感じがして」
恵は半笑いを浮かべていた。
どう見ても無理している。今にも泣き出しそうだが、決して涙は溢さない。
「元々、体は弱い方だったんだよね。だから激しい運動は出来なかったし、小さい頃は学校も休みがちだったなぁ」
「その辺は思い当たる節があるな……」
「でしょ! 実は琴ちゃんよりも遥かに弱い子なんだよね〜。あ、これで評価上がった?」
恵は冗談っぽく言ってきたが、俺は言葉に詰まってしまった。
彼女は強い子である。ただそれは精神的な部分の話で、肉体的には非常に脆い。
「はぁ……めちゃくちゃ気にしてるじゃん。だから言いたくなかったのに」
「心配するなって言う方が難しいわ」
「ふふっ、かっしーはホントに優しいね。私を置いて福島に行った人とは大違いだな〜」
「だからお前が福島に来りゃ良かっただろ」
恵はそう言って挑発すると、徹平は舌打ちして言葉を返した。
一方で、俺は未だに困惑を隠せない。そんな姿を見てか、恵は優しく微笑んできた。
「まあ……アレだよ。今回は食事や睡眠にも気使ってるし、サプリメントもいっぱい飲んでるからさ。こうやって抵抗すれば回避できるかもしれないじゃん? だからそんな気に病まないでよ」
恵は気楽そうに語っていた。
病は気からとは言うが、そんな事で回避できるのだろうか。
分からない。分からないけど――具体的な解決策が無い以上、今は奇跡を信じるしかない。
「あ、そろそろ応援の準備いくね。かっしー頑張って! 徹平は試合に勝たない程度の活躍を期待してるよ〜」
恵はそう言って一足先に去っていく。
見慣れた可愛いらしい後ろ姿が、なんだか遠く感じてしまった。
「……試合前に悪かったな。暗い話をする流れを作った事は謝る。少しムキになっちまった」
「別にいいよ。恵の本当の死因も知りたかったしな」
「そうか。なら良かった」
今度は徹平と言葉を交わす。
正直、あんまり話した事がないので、この空気で取り残されるのは非常に気まずい。
「じゃ、俺も戻るけど……試合はぜってー負けねーからな。俺達は東北の――被災地の想いを背負ってる。そして今後10年は優勝しない以上、俺が居る間に優勝しなきゃ次はねーんだよ」
瀬川徹平はそう言い残して去っていった。
重い話に重い話を被せるなよ、という心の声は届かなかった。
「どうすりゃいいんだよ……」
独りでに言葉が漏れてしまう。
正直、どうしたら良いか分からない。
急性白血病を回避する、或は容態の急変を凌ぐ方法なんてあるのだろうか。
そして――俺は今後、彼女とどう向き合っていけば良いのだろうか。
「かっし〜、アップ始めるってよ〜」
一人で考え込んでいると、鈴木の声が聞こえてきた。
1試合目も後半に差し掛かっている。もはや野球どころではないが、そろそろ準備をしなくてはいけない。
と……その前に、どうしても言いたい事がある。
それは不謹慎かもしれないし、死を回避できる俺ごときが言う資格はないのかもしれない。
ただ、富士谷のエースとして、次の試合に先発する投手として――どうかこれだけは言わせて欲しかった。
「このメンタルでマウンドに上がるの無茶振りすぎない??」
「えっ、どしたん? 琴ちゃんに振られた?」
言わずにはいられなかった。
今から野球に切り替えろと言われても、それは無理難題である。
今は恵の事で頭が一杯だ。鈴木にツッコミを入れる余裕すらない。
「ちょっと先行っててくれ……」
「うぃ〜(これガチで振られたやつじゃん、どのーえに教えてやるか〜!)」
先に鈴木を送り出すと、俺は相沢にメールを送った。
彼なら何か知っているかもしれない。そう思ったのだが――今度は返信が気になって、やはり野球どころではなくなってしまった。
【10日目】
幸徳学園(兵庫)1―2前橋英徳(群馬)
富士谷(東京)〈試合前〉聖輝学院(福島)
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