12.三度目の選抜
2011年3月23日、頑張ろう日本というスローガンを掲げて、選抜高校野球は幕を開けた。
テーマソングはいきものがかりのありがとう。正史でも聴いた入場行進曲は、少しだけ懐かしさを感じてしまう。
開会式は一部行程を省略。また、震災に伴い黙祷が捧げられた。
それが終わると開幕試合、都大三高(東京)と北加古山(兵庫)の試合が始まる。
同じ東京代表という事もあり、俺達は試合を観ていく事にした。
「三高は秋とメンバー代わらず?」
「んだな。ただ宇治原はベンチから外れてる。吉田さん一人じゃ優勝は厳しいだろうな」
都大三高のスタメンは富士谷戦と同じ布陣。
ただ、宇治原が故障でベンチから外れているので、投手はエースの吉田さん頼みになる。
試合は北加古山の先攻で始まった。
この高校は10年後こそ息を潜めているが、当時は公立ながらコンスタントに出場する力があった。
選手達も堂々としていて、名門相手に怖気づく様子はない。
そんな北加古山の打線は、吉田さんの立ち上がりを攻め立てた。
四球、投犠打FC、三犠打で一死二三塁の好機を作ると、4番打者のセンター前タイムリーで2点を先制。
地元公立の活躍に、球場のボルテージは一気に上がっていく。
「この投手速いだけやな〜! もっといったれ〜!」
「宇治原使わんなら関西に返せやー!」
「篠原もショボい送球しとったし、こりゃ投手の墓場やでぇ」
近くにいるオッサン達の活きが良い。
ただ試合前は「大敗だけは勘弁してや……」と弱音を吐いていたのを俺は知っている。
その後、二死満塁までチャンスを広げるも、8番打者は三振に倒れて三者残塁。
今度は都大三高の攻撃だが、当然ながら反撃が始まる事となる。
先ずは先頭打者、先程ディスられた篠原がツーベースを放つと、木代さんは内野安打で一三塁の好機を作った。
続く金子さんは走者一掃の同点二塁打。そして――。
「おおー!! 噂に違わず偉い打球やな!」
「えぇ……簡単に打ちすぎやろ……」
「こぉら加藤! しっかりせんかい!」
東京が誇るキチガイ様、もとい木田のバックスクリーン直撃弾が炸裂。
打者4人の攻撃で、都大三高があっさりと逆転してしまった。
その後は都大三高のペースで試合は進んでいった。
北加古山の先発・加藤さんは、制球に優れた常時130キロ台の好右腕だが、そんな事は関係ないと言わんばかりに滅多打ちにされた。
立ち直った吉田さんも反撃の隙を与えない。後続の投手達こそ計4点を取られたが、その程度で追い付ける筈もなく……。
最終的には14対6のスコアで都大三高が圧勝を果たした。
「公立は常連でもボコられちゃうのかよ……」
「簡単に枠内で勝負し過ぎたな。この手の技巧派は四球覚悟で慎重に行かないと」
「けど慎重になりすぎて四球で自滅するのも不味いんじゃ……?」
「そうだな。だから馬力の無い技巧派は組み立てるのが難しい」
さて、無駄話はこれくらいにしとくか。
北加古山の二の舞にならないよう、しっかりと調整する必要がある。
相手は超が付く程の格上。いくら転生者が居るとはいえ、普通にやったら大敗は避けられない。
関西での日々は淡々と過ぎていった。
富士谷の出番は5日目と遅いので、何となく生き残った感に浸る事ができる。
【1日目】
都大三高(東京)14―6北加古山(兵庫)
西関(岡山)2x―1枝光国際大附(福岡)
履秀舎(大阪)9―3新潟文星(新潟)
1日目、正史と異なる組み合わせになった結果、本来ならベスト8まで進む枝光国際大附が敗戦した。
一方、履秀舎は流石である。北信越王者の強豪に圧倒的な力を見せつけた。
やはり大阪代表は強い。
平成後期における勝率も1位であり、2位の西東京を大きく突き放している。
西東京ほど多くの高校は活躍していないが、大阪王蔭と履秀舎の2強は別格。改めて嫌な相手を引いたと痛感する。
【2日目】
男満別(北海道)3―1川嶋(徳島)
七頭(鳥取)3―4x浦環学院(埼玉)
近海(滋賀)4―8亘星学院(青森)
続けて2日目。
21世紀枠対決は、143キロ右腕の仁平さんを擁する男満別に軍配が上がった。
浦環学院は戦前の予想に反して大苦戦。20残塁という異次元の数字を残していた。
【3日目】
京都成英(京都)10x―9創成学園(長崎)
高山都大(岐阜)4―1横濱(神奈川)
鴨川総合(千葉)3―0東山大蓼科(長野)
3日目、優勝候補の横濱が負ける波乱が起きた。
高山都大の小野寺は9回10奪三振、打っても逆転スリーランを記録。
一方、8点リードで登板した鴨下(創成学園)は大炎上し、同じ新2年生でも明暗が分かれる事になった。
【4日目】
幸徳学園(兵庫)6―1今張西(愛媛)
神山学園(鹿児島)3―8静谷(静岡)
前橋英徳(群馬)1―0天里(奈良)
そして4日目、前橋英徳の高成が9回1安打14奪三振を記録。
小野寺なんて居なかったと言わんばかりに、高成が世代最強投手として持て囃されていた。
もう一つ、本来なら初戦で負ける静谷が勝利。代わりに爆弾を引いた富士谷には感謝して欲しいものだ。
4日目の夜、ホテルの廊下で恵と話す機会があった。
ちなみに、スタンド組は大半の高校だと日帰りだが、富士谷は所属部員全員で泊まっている。
二人だけ置いていくというのも酷な話なので、恵と琴穂も連れて行くに至った。
「ところでシートノックどうするよ」
「え、今まで通りじゃダメなの?」
「……たぶん問題になるぞ。ってか実際になったんだよ。女子マネのボール出しがな」
ここに来て、一つ重大な問題を思い出した。
実のところ、部員の少ない富士谷では、ノッカーへのボール出しを卯月にやらせていたのだ。
高校野球において、グラウンドは女人禁制とされている。
とは言っても、融通の効く東京高野連はこの問題に寛容的だった。
卯月のボール出しは黙認されていたし、2年後には定時制高校で女性監督がノックを打っている。
しかし、お堅い日本高野連はそうはいかない。
事実、数年後に甲子園でボール出しを行った女子マネが、その場で厳重注意を受けるという事案があった。
「別によくない? ボール出しだけなら危なくないし、女の子だから入れないのはおかしいよ」
「まあそうだけどよ」
「折角だしさ、とことん話題になっちゃおうよ〜」
恵は気楽そうに語っていた。
これで標的になるのは卯月だし、本来は話題になる筈の人が二番煎じになってしまうが――まあ気にしても仕方がないか。
「話題ね。これで惨敗したらクソ恥ずかしいけどな」
「そうならないようにするのがエース様でしょ! 頑張って!」
「おう。まあ負けるつもりは微塵もねえよ。じゃ、寝るわ」
「ふふっ、おやすみ」
最後にそう言葉を交わして、俺達は部屋に戻っていった。
明日の第2試合目、俺達は球史に名を残す。それがどんな形になるかは――全て俺次第だ。
NEXT→5月10日(月)
またストックに余裕ができたら、5月下旬くらいから日刊にするかもしれません。