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【野球部の日常1】ごっですきっす!

2があるとは限らない……!

 とある日の練習前。

 俺達は部室の前で、制服から練習着に着替えていた。


「なぁ……俺、すげー事に気付いちまったんだけど」


 ふと、京田が呟いた。

 彼は時折「凄い事に気付いた」とか「永遠の議題に直面した」とか言い出すが、その大半は大変くだらない内容である。

 今回もどうせ大した話ではないだろう。


「俺達ってさ、ジャグから水分補給してる訳じゃん?」

「そうだね〜、水筒持ってきてる人もいないし」

「んで、コップって幾つかあるけど、皆で使い回しじゃん?」

「陽ちゃん、前置きなげ〜って。結論はよはよ」


 京田、野本、鈴木が言葉を交わす。

 富士谷の野球部では、麦茶が入ったジャグと薄めたスポドリが入ったジャグを用意している。

 コップはプラスチック製の物が乱雑に置かれていて、野球部なら誰でも好きな時に飲めるというシステムだ。


「って事はよ……俺達は知らずの内に、マネージャーと間接キスしてるんじゃねーか……?」


 京田はそう言い切ると、俺は顔に手を当ててしまった。

 ほら、クッソくだらねえ。堂上も死ぬほど興味なさそうにしている。


「なあ渡辺、どう思う?」

「俺はどうでもいいかな……姫子いるし……」

「爆発しろ!」


 なんで渡辺に聞いたんだよ、と出掛かった言葉は何とか飲み込んだ。


「ってか、それ言ったら僕達全員……」


 続けて、野本は残念そうに言葉を溢した。

 当たり前である。マネージャーよりも選手のほうが使用頻度は遥かに高い。

 実際には、マネージャー1人と間接キスする間に、選手5人くらいと間接キスしている事になるだろう。


「んな事わかってるって! 大事なのは女子としてるって所だけなんだよ! はぁー、なんか俺、急にドキドキしてきたわ〜」


 京田はそう語ると「んじゃ、一番乗りでマーキングしてくるぜ!」と意気込んで走っていった。

 控え目に言っても気持ち悪いな。京田だからギリギリ許されているが、近藤だったら断罪すべき案件である。


「勿論、かっしーは琴ちゃんが使ったやつ狙うっしょ?」

「まさか。愛がねえキスなんて意味ねえしな」

「ひゅ〜、言うねぇ〜」


 鈴木と小さな声で言葉を交わす。

 ちなみに、これは強がった訳ではない。間接キスに関しては本当に興味がないのだ。


 かつて社会人だった頃、俺の居た部署の飲み会では、若手男性社員が上司(50歳♂)にキスをして、忠誠心を示すという伝統があった。

 俺はその伝統の中で、愛がないキスに意味はないと確信した。そして、間接程度なら無に等しい行為である事も。


 だから気にしても仕方がない。

 100歩譲って、何かリアクションが見れるなら違ってくるが、マネージャー達も特に気にしてないだろう。





 この日は平日という事もあって、ピッチングマシンを使った打撃練習がメインとなった。

 順番待ちの際、野手陣はティーバッティングを行い、バッテリーは一塁側にあるブルペンで投げ込みを行う。


「次ナックル。変なとこ行くかも」

「うい」


 俺は近藤に向かって投げ込んでいた。

 その際、ふと一塁ベンチ(ネットで囲って長椅子を置いただけ)に視線を向けてみる。

 そこでは、琴穂がジャグから薄めたスポドリを摂取していた。


「(うっ……味薄い。なんで薄く作るんだろ……)」


 琴穂は首を傾げながらも、しっかり2杯を飲み干した。

 ピンクのコップを使ったな。これは覚えておこう。


 決して下心がある訳ではない。

 これは京田という思春期に染まったモンスターから、琴穂を守る為に覚えているのである。

 実は興味があるだとか、そんな事は断じて思っていない。


「かっしーおつ! はい、これ飲んでっ!」


 そんな事を思っていると、恵が水色のコップを持ってきた。

 中身は薄めたスポドリ。俺は一気に飲み干した。


「いつも悪いな」

「いいって〜。エース様はおもてなししないとね〜」


 恵はそう言ってコップを回収する。

 先程、間接に興味が無いと言ったが、その理由はもう一つある。

 俺の分は恵が持ってきてくれるので、自分でコップを選ぶ機会が少ないのだ。


 だから気にしても仕方がない。

 ただ――今日に関して言えば、京田が舐め回したコップではない事を願うばかりだった。





 一方、一塁側のベンチでは、卯月夏美がオレンジ色のコップを眺めていた。


「なっちゃん、どうしたの?」


 恵が問い掛けてくる。

 私の悩みは他でもない。このコップについてである。


「いやー……これさ、みんな使ってる訳だろ? 何か嫌だなぁって」

「いまさら気にしても仕方がなくない? 病気うつされる訳でもないしさ〜」

「まぁそうだけどよ」


 恵は全く気にしていない様子だった。

 気楽な性格で羨ましい。そんな事を思っていると、琴穂がコソコソと後を通り過ぎた。


「勝手に粉足すなよ」

「ぎ、ぎくっ……」


 私は振り返らずに言葉を溢した。

 琴穂は隙を突いては、スポドリのジャグに粉を追加しようとする。

 お陰でスポドリ作りを任せられない。困ったものである。


「琴ちゃ〜ん? またお仕置きされたいのかな〜?」

「きょ、今日は未遂だからセーフだよっ!」

「ふふっ……反省してないね、お仕置き決定〜。えいっ!」


 恵は琴穂を押し倒すと、脇の下を擽りはじめた。


「ひゃっ! め、めぐみん止めて! ななっ、何か漏れちゃうっ!」

「いっつもそれ言って逃げるけど、もう騙されないからね〜? ほれほれ〜」

「無理無理無理っ! ふっ、ふへへっ! ちょっ、ホントにやばいからっ!」


 琴穂は笑いながらも必死に体を縮めている。

 これは……柏原にとっては堪らないシーンなのではないだろうか。

 せっかくだし写真を撮ろう。何かに使えるかもしれないし、なにより普通に可愛い。


 やがてお仕置きが終わると、琴穂は私の後ろに隠れた。

 琴穂の必殺技「なっちゃんバリア」である。私を盾にするのは止めて欲しい物だ。


「でさ……コップだけど、そんなに気になるなら洗えば?」

「うーん……けど毎回洗剤で洗うのもダルいしなぁ」

「じゃー文句言わない! 我慢してっ!」


 恵は話題を戻してきた。

 ちなみに、コップは衛生上の観点から一定時間毎には洗っている。

 ただ、私達も暇ではないので、飲む度に洗うのは手間になるのが現状だった。


 まあ……諦めるか。誰も気にしてないだろうしな。

 私はそう思いながら、オレンジ色のコップに麦茶を入れた。


「二人も何か飲む?」

「スポドリ粉多め、味濃い目っ!!」

「ここはラーメン屋じゃねえからな!?」

「あ〜、私は自分でやるからいいよ〜」


 琴穂との茶番を他所に、恵は何処からともなく水色のコップを取り出した。

 薄めたスポドリをチョイスすると、コップが一杯になるまで注いでいく。


「そーいや、お前っていつも水色使ってるよな」

「そりゃ、コレは私専用のやつだからね」


 ふとした疑問を問い掛けると、恵はドヤ顔で返してきた。


「はぁー!? それはズルいだろ! じゃあ私はオレンジのやつ専用にするわ!」

「だ〜め〜で〜す〜! ってか、コレ自分で用意したやつだし! ほら、裏にも名前書いてあるでしょ?」

「(ひ、ひらがなだ……)」


 恵はコップの裏面を見せてきた。

 確かに「せがわ」と書かれている。わざわざ用意したのなら文句は言えないな。

 しかし――。


「つーかよ、お前が一番気にしてんじゃん。普通そこまでするか?」


 私は新たな疑問をぶつけた。

 先程「気にしても仕方がない」と言っていた癖に、当の本人は自前のコップまで用意している。

 潔癖にも程があるだろう。いくら私でも、そこまでしようとは思えない。


「ふふっ、気にしていると言われたら……確かにそうかもね」


 恵はしおらしい表情で、水色のコップに唇を付けた。

 何で照れた? と思いながら、私も麦茶を飲み干すのだった。

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