69.野球は確率のスポーツ
都大三100 100 010=3
富士谷200 000 00=2
【三】吉田、宇治原―木更津
【富】堂上、柏原―近藤
9回裏、都大三高のマウンドには、MAX148キロ右腕の宇治原が現れた。
今季の彼は一貫してクローザー起用されている。1イニングを力でゴリ押す算段なのだろう。
「(はぁー、プロ野球ゴッコはええけど、なんで中軸からやねん。下位からの8回から投げさせてくれや)」
宇治原は不貞腐り気味に投球練習を行った。
球は恐ろしく速く見える。最速は吉田さんと殆ど変わらないが、平均球速は明らかに高い。
「(速いけど荒れてるね。よく見ていこう)」
先頭打者の渡辺は右打席でバットを構えた。
初球、胸上くらいのストレート。渡辺は悠々と見逃したが――。
「ットライーク!!」
審判の右腕が上がってストライク。
渡辺は少し困惑している。ふと捕手の木更津を見ると、胸下にあるミットは下を向いていた。
二球目、今度は膝下のストレート。
渡辺は見送ると、木更津は腕を伸ばしながら捕球した。
ミットの位置は膝の高さ。審判からは再びストライクが告げられた。
「(えっ、これも入ってるの? とにかく次は臭いのも振らないと――)」
三球目、外のストレート。
渡辺はバットを出したが、僅かに届かず空振り三振となった。
「ごめん竜也。なんか広かったんだけど……」
「フレーミングだな。序盤から上手いとは思ってたけど、この回は露骨にやってきやがった」
フレーミングとは、腕の伸縮や手首の返しを使って、捕球の際にゾーン内に収める技術である。
ストライクの判定はベース上で決まるが、この技術で捕球位置を錯覚させる事で、審判が騙される場合があるのだ。
「4番 ピッチャー 柏原くん。背番号 1」
一死無塁、ブラスバンドが奏でるさくらんぼと共に、俺は右打席に入った。
宇治原は球は速いが荒れている。高めに浮いた球に絞って、露骨なボール球以外はぶっ叩く。
「(はよ投げろクソノーコン。外でも中でも良いから低く来いよ)」
パンッとミットの叩く音がすると、宇治原はワインドアップから腕を振り下ろした。
胸上くらいの速い球。その瞬間――考えるよりも先にバットが飛び出した。
「おおおおおおおおおおおお!!」
大歓声と共に、打球は左中間に上がっていった。
後ろに守っていたセンターの篠原は、フェンスに張り付いて手を挙げる。
しかし――打球はフェンス上部に直撃すると、俺はその間に二塁を落とした。
「クソノ……宇治原、ワンアウトだからな」
「いまクソノーコンて言おうとしたやろ……」
木更津は人差し指を立てて、宇治原と言葉を交わしていた。
これで同点の走者が出た。下位打線には期待できないので、二死になったら無理してでもホームに突っ込みたい。
続く打者は堂上
今日は四球、三振、左線二塁打、左前安打と内容は恵まれている。
外野は定位置より前。単打で帰るのは難しいが、長打は格段に出やすくなった。
「ボール!」
「ボォール!!」
宇治原は初球、二球目と大きく外れるボール球を放った。
木更津は露骨に苛立っている。1点リードの一二塁は、外野前進なら逆転サヨナラ打、定位置や後退なら同点打のリスクが高くなるので、打順が下がっても作りたくないのだろう。
「(あークソい、クソ過ぎる。せめてインチキミットずらしが使える所に投げろや)」
三球目、木更津は真ん中低めにミットを構えた。
宇治原はクイック気味に腕を振り降ろす。その瞬間――堂上は白球を完璧に捉えた。
「うおっ!?」
「げっ……!!」
けたたましい金属音と共に、球場は異様な雰囲気に包まれた。
痛烈なピッチャー返しとなった打球は、適当に出したであろう宇治原のグラブに収まっている。
ピッチャーライナーでツーアウト。そして――プレーはまだ終わっていない。
「セカン!!」
木更津がそう叫ぶと、俺は咄嗟に帰塁を試みた。
どう考えても間に合わない。そう思いながらもガムシャラに滑り込む。
「セーフ!!」
「あれ……?」
そして顔を上げると、宇治原の送球は盛大に逸れていて、ショートの荻野は捕るので精一杯だった。
「ほ、ほれ見たか。俺の超絶ファインプレーでツーアウトや!」
「そしてク送球でスリーアウトは逃したな。追い付かれたら町田まで走って帰れよ」
「……」
木更津は新品の球を宇治原に手渡した。
これで二死二塁、迎える打者は鈴木。この打席に全てを賭けるしかない。どんな当たりでもホームに突っ込む。
「(うひょ〜、今日こそ俺がヒーローっしょ!)」
鈴木は舌舐めずりしながら右打席に入った。
今日はセンター前タイムリーと四球が3つ。球は良く見えている筈だ。
しかし――。
「(――ま、残念ながらクソノーコンが町田まで走る事はないんだけどな)」
木更津は立ち上がると、大きく外れた場所にミットを構えた。
「おいおい、サヨナラのランナーだぞ」
「当然だろ。だって富士谷の下位打線しょぼいし」
「けどヒットでも同点止まりじゃん。こんなリスク取ることあるか?」
「名門が都立に敬遠なんてするなぁー!」
客席からは戸惑いの声と野次が飛んでいる。
その様子を、俺は呆然と眺める事しかできなかった。
サヨナラの走者を出す敬遠。
いくら打線が下るとはいえ、普通では考えられない手段だった。
けど俺は――俺達は知っている。ここで勝負を避けられるのが、最も都合が悪い展開である事を。
「……ボール、フォア!」
鈴木は真顔でバットを投げると、次の打者――本大会ヒット1本、近藤の打席を迎えた。
※
どこを見てもボロが目立つ、控え目に言ってもクソい球場で、俺――木更津健人は敬遠球を受けていた。
「おいおい、サヨナラのランナーだぞ」
「当然だろ。だって富士谷の下位打線しょぼいし」
「けどヒットでも同点止まりじゃん。こんなリスク取ることあるか?」
「名門が都立に敬遠なんてするなぁー!」
客席では様々な声が飛び交っている。
耳の良い俺には、その一つ一つがハッキリと聞こえてしまった。
「……ボール、フォア!」
鈴木には四球が告げられて、近藤が右打者に入る。
9回裏、二死二塁、1点リードの場面で、俺は敬遠を選択した。
その事について、素人共の見解を採点していこうと思う。
『おいおい、サヨナラのランナーだぞ』
0点。思考停止とはこの事だな。
今すぐ河川敷の草野球からやり直したほうがいい。
『当然だろ。だって富士谷の下位打線しょぼいし』
50点。答えは一致したが、根拠に関しては乏し過ぎる。
その理由だけでサヨナラの走者は出せない。数学のテストで例えるなら、途中式は書かず答えだけが合っている状態だ。
「けどヒットでも同点止まりじゃん。こんなリスク取ることあるか?」
30点。答えは間違っているが、多少は見る目がある。
宇治原は連続四死球もあるクソノーコン。もっと言うなら、選手層では都大三高が勝っている。
後攻こそ取られてしまったが、同点までなら此方が有利で間違いない。
「ットライーク! トゥー!」
早くも近藤が追い込まれたので、そろそろ答え合わせをしよう。
ここで比較するのは「サヨナラを打たれる確率」である。
要は「今の打者がサヨナラツーランを打つ確率」と「敬遠して次の打者がサヨナラ二塁打を打つ確率」を天秤に掛ければ良い。
普通の打線では、この天秤は確実に後者に傾く。
たった一つ打順を下げた程度で、柵を越える確率が、外野前進の頭を越える確率を上回る訳が無い。
一二塁で外野を定位置にするにしても同じだ。この場合は、後続の打者が同点打を打つ確率が上がるので、敬遠という選択肢は尚更ナシになる。
例え相手がプロ注だろうと、下位打線が弱めの高校だろうと、このアンサーは絶対に変わらないのだ。
しかし――富士谷が相手の場合は違う。
鈴木が神宮第二で本塁打を打つ確率と、近藤が二塁打を打つ確率。
これを相手(都大三高)のレベルを踏まえた上で比較すると、前者のほうが確率が高い。
それは今季の結果も物語っている。鈴木は本大会で本塁打を放っているが、近藤はレベルの低いブロック予選でしか長打を打っていなかった。
これが俺なりの100点の回答。
勿論、近藤は打率もクソいし、後続の打者もクソしかいない。
懸念すべきは連続四死球による押し出しだけ。それでも、京田以外は枠外の速球もブンブン振るので、インチキミットずらしを併用すれば問題ない。
『名門が都立に敬遠なんてするなぁー!』
ああ、コイツの採点を忘れてた。勿論0点。
勝つ為に最善を尽くすのは当たり前。それはチーム選びから始まっているし、インチキミットずらし――もといフレーミングもその一環である。
本来ならボールになる球を、審判という欠陥を突いてストライクに見せる。
そんなインチキに「フレーミング」なんて名前をつけて、さも高度な技術のように扱っている球界全体も十分にクソい。
とっとと審判が機械化されて廃れれば良いとすら思っている。けど廃れるまでは、俺はこのインチキを使い続けるだろう。
試合で勝ち続ける為にな。
「ットライーク! バッターアウト!」
最後は高めのストレート、空振り三振でゲームセット。
当たる気配すら無かった。コイツを7番に置かざるを得ない時点で、鈴木堂上のうち片方とは勝負を避けられるという事だ。
理解したか? 柏原。
これが富士谷の限界なんだよ。
都大三100 100 010=3
富士谷200 000 000=2
【三】吉田、宇治原―木更津
【富】堂上、柏原―近藤
あと2話で2章完結です。残りの話は日刊で投稿します。