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64.下心の代償(後)

 俺は勇気を振り絞って、震える琴穂の肩に手を掛けた。

 カーディガンの柔らかい感触が右手に広がる。その瞬間――今日一番の振動が体に響いた。


「ひゃああああああああああああっ!?!?」


 それと同時に、琴穂の悲鳴が響き渡った。

 彼女は凄い勢いで体を引くと、目を丸めて俺を見つめる。


「あわっ……あわわわわわわわわ……」


 琴穂は言葉にならない言葉で何かを訴えていた。

 ふとテレビを見ると、不意を突いたゾンビが襲い掛かってくるシーンだった。


 最悪だ……完全にタイミングを間違えた。

 内容を知った上でやらかしたのだから、これは完全に俺の失策である。


「ご、ごめん。大丈夫?」


 琴穂が少し落ち着いた頃に、俺はそっと声を掛けた。

 彼女は顔を真っ青にして俯いている。どう見ても大丈夫ではない。


「ごめん……」


 琴穂はポツリと呟いた。

 いや、悪いのは俺の方だ。そう言おうとした瞬間、琴穂は座ったまま後退りした。


「やっちゃった……」


 琴穂は俯きながら言葉を続けた。

 視線の先では、布団がぐっしょりと濡れている。

 それはどう見ても、汗と言い張るには無理がある濡れっぷりだった。


「ごっ……ごめんなさいっ……」


 琴穂は瞳に涙を溜めて、怯えた表情で謝ってきた。

 その姿は、庇護欲と少しばかりの加虐心が擽られる。

 じゃなくて――そんな事を考えている場合ではない。これはバスケ部退部事件以来の大ピンチである。


 琴穂は今、罪悪感と羞恥心で押し潰されそうになっているに違いない。

 ここで心のケアを蔑ろにしようものなら、今後の関係がギクシャクするのは明白である。


「琴穂、汗も凄いしシャワー入ってきなよ」

「でも……」

「このままじゃ風邪ひいちゃうよ」

「わ、わかった……入るっ……!」


 とりあえず、俺は全く気にしてない感を出しつつ、琴穂を浴室に誘導した。





 琴穂がシャワーを浴びている内に、何か良い謝罪の言葉を考えよう。

 そう思ったのだが、ここで新たな難関に直面した。


 今、俺の目の前には一つの洗濯籠がある。

 この中には、琴穂が身に着けていた衣服の内、スカートとカーディガンとリボン以外の物が全て入っている。

 なんてことはない。色々と汚れてしまったので、衣服を洗濯する流れになったのだ。


 一番上にはYシャツが被せられているが――これを一枚めくれば、下着や靴下があるという事になる。

 それも、着ていたのは何年も片想いしていた人だ。意識するなという方がおかしいだろう。


 落ち着け柏原竜也。

 後に待っているのは虚無と後悔だけだ。ここで誘惑に釣られてはいけない。

 そう思った次の瞬間――悪魔のコスプレをした卯月が脳内に現れた。


『ずっと片思いしてんだろ? こんな機会は滅多にないんだから一発抜いとけって!』


 そして、脳内で俺に囁いた。

 俺には分かる。本物の卯月は絶対にそんなこと言わない。

 そう思いながら頭を抱えていると、今度は悪魔のコスプレをした恵が現れた。


『かっしー……冷静に考えなよ。一周目はメアドすら聞けなかったんでしょ? そう考えたらさ、こんなチャンスは二度とないと思わない?』


 恵はそう言って、脳内でも得意気な表情をしていた。

 確かに、ぐうの音もでない正論かもしれない。ただ俺には、どうしても気になる事がある。


「なんで天使が現れないん??????」


 思わず口に出してしまった。

 普通、天使と悪魔が一言ずつ囁いて、葛藤するのが定番である。

 悪魔が二人現れたら、それはもう葛藤するまでもなく結論が出てしまうだろう。


 俺の心は汚れきっている、という事なのだろうか。

 そう思った次の瞬間、もう一つの説を閃いた。


 俺にとっての天使は琴穂である。

 脳内には現れなくても、その事実は変わらない。

 そして――天使である彼女はきっと、そのまま洗濯して欲しいと思っているだろう。


 性欲を取るか、琴穂を取るか。

 冷静に考えたら比べるまでもない。


「どっせぇい!」


 俺は無心で洗濯機を空けると、そのまま籠をひっくり返した。





 やがて琴穂は風呂から出ると、元気な声で「ふー、さっぱりしたー!」と口にした。

 思ってたよりも立ち直りが早かったのは、俺にとって嬉しい誤算だった。


 洗濯はお急ぎモード+乾燥機のお陰で、1時間も掛からず着れる状態にはなった。

 まだ半乾きの部分もあったらしいが、家族の帰宅時間も迫っているので仕方がない。


「きょ、今日はホントにごめんっ!」

「いや俺が全面的に悪かった。色々と」

「いや……その……大変恥ずかしながら……かっしーはあんまり関係なかったと思います……はい……」

「お、おう」


 琴穂を家まで送る最中に、そう言葉を交わした。

 風呂上がりは元気だった彼女だが、またシュンと落ち込んでいる。

 不味いな、これは暫く引き摺るかもしれない。


「だ、だからっ、かっしーは悪くないよっ! そして……その……ごめんなさいっ……」


 琴穂はそう言って再び謝ってきた。

 少し俯きながらも、チラチラと上目遣いで様子を窺う姿は、可愛いけど痛ましい。

 このままだと謝罪の応酬になりそうだ。そう思った次の瞬間、俺はふと閃いた。


「琴穂、今日の事は忘れよう。もう謝るの禁止な」

「……っ!」


 その言葉は――かつて琴穂と謝罪の応酬になってしまった時、彼女に言われた台詞だった。

 当時、罪悪感から上手く喋れなかった俺は、この言葉に救われた。


「……ありがと。かっしーは優しいねっ」

「んな事ないよ。俺も悪かったしな」

「謝るの禁止じゃ……」

「あ……そうだったな……。この縛り地味に不便だな」

「あははっ」


 そんな感じで言葉を交わして、琴穂を家まで送っていった。

 しかし――今日の事は全て無になる訳か。俺は何の為に二人を犠牲にしたんだろう。

 すまん相沢、すまん恵。次会うときは菓子でも持っていこう。



 その後、家に戻ると、ちょうど妹の綾香も帰ってきた所だった。


「ただおかー。濡れ場あったん?」


 コイツの存在をすっかり忘れていた。

 そして思い出してしまった。盛大に布団を汚してしまった事を。


「すまん。布団めっちゃ汚したわ」

「ちょ……マジでやったん!? 詳しく!!」


 綾香はめちゃくちゃ食い付いてきた。

 それはある意味、というか文字通りの意味で濡れ場だったのは間違いない。

 ただ本当の事を話しても、誤解を貫き通しても、琴穂の名誉は傷付けられてしまうだろう。


「これやるから何も聞かないでくれ……」


 俺はそう言って千円札を一枚渡した。

 こうなったら、金で無かった事にするしかない。


「はぁー、このあと怒られるの私なんだけどなー」

「ああもう、クソが!!」

「へへっ、あざっすー」


 更に千円追加して、何とか口封じに成功した。

 合計四千円の出費。下心に従った代償は、高校生にとってあまりにも大きすぎた。

祝2000p突破!

いつも評価ありがとうございます!どちゃくそ励みになってます!

冬場は更新間隔が空いてしまったので、夏までには作中でも二度目の夏を迎えられたらな〜と考えています。


NEXT→4月9日(金)


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