62.もう一つの決着
一塁側スタンドでは、瀬川恵がサヨナラの瞬間を見届けていた。
「よしっ!」
私はガッツポーズすると、隣にいる津上くんは小さく息を吐く。
「恵さんって、もっとキャーキャー言うタイプだと思ってましたけど、意外と落ち着いてますね」
「いつもはもっと騒ぐよ。けど今回は大事な賭けがあったからね」
津上くんの問い掛けに、私はそう言葉を返した。
富士谷はどのーえの完投で勝利した。つまり、津上くんとの賭けには勝ったという事になる。
「はい、誓約書と願書」
「マジで書くんすかこれ。そんな事しなくても逃げませんって」
「いいから」
私はそう言って書類を押し付けた。
口約束だけでは不安なので、書面上にも残して貰う。
「ま、俺も男なんで約束は守りますよ。元々、三高を倒した高校に行くつもりでしたしね」
「ふふっ、信じるよ。けどこれは書いてね」
「ウィッス」
津上くんは誓約書を書くと、私はそれを受け取った。
所詮は中学生と高校生の飯事。それでも、書かないよりはマシだと思う。
「あと一つ言いますけど、俺は哲人さんみたいな宇宙人じゃなくて、普通の世代ナンバーワンっすからね」
「謙虚な感じ装ってるけど、しれっとナンバーワン自称したね……」
「まあ事実なんで。だから練習環境はもっと良くしといてください。じゃないと下界の民に追いつかれちゃうんで」
「津上くんは天界人か何かなのかな??」
津上くんの要望に、私はツッコミを入れて誤魔化した。
都立にとって練習環境の整備は鬼門である。私立とは違い、資金もなければ勝手に改修も出来ない。
こればっかりは、私の立ち回りではどうにもできなかった。
「じゃ、今日は帰ります。最後におっぱい触ってもいいっすか?」
「いい訳ないでしょ……何言ってるの……」
そんな感じで津上くんとは解散した。
その直後、私はある人物をメッセージで呼び出した。
「お、いたいた〜! どしたん?」
そう言って現れたのは瀬川瞳。
瀬川家の次女であり、普段は瞳姉と呼んでいる。
「津上くんの退路を絶ちたいんだけど、何かないかな〜?」
「ふむふむ……進路の事をネット記事にするとか、他校の関係者に「津上は富士谷で確定」って吹き込むとか。私に出来るのはそれくらいかなぁ」
瞳姉を呼んだ目的は、津上くんの退路を絶ってもらう為だった。
彼を信用してない訳じゃないけど、できれば富士谷に行かざるを得ない状況を作りたい。
「じゃあそれでお願い」
「いや……姉使い荒ない??」
「え〜! 可愛い妹の為にやってよ〜! どうせ暇じゃん!」
「暇じゃないですぅ〜。これから未来の彼氏とラブラブするんですぅ〜」
「未来の彼氏……」
その愛は一方通行なのでは、とは言わなかった。
「けど瞳姉さ」
「なに」
「泥酔して帰ってくる度に何かやらかすじゃん?」
「うっ……」
「いつも大変なんだけどなぁ〜。この前とか、寝てる私の顔に――」
「あーはいはい分かりました! やればいいんでしょやれば!!」
そんな感じで瞳姉との交渉も成立した。
ちなみに、この人の酒癖は小金井市最悪クラスである。
犯した悪行は数知れない。まあ、被害者は殆ど私と両親だけど。
何はともあれ、一個下世代の最強内野手を手中に収めた。
あとは津上くんを歓迎できるよう、練習環境を改善したいけど――。
「お金はどうしようもないなぁ……」
2000円しか入ってない財布を見て、私は小さく息を吐くのだった。
※
一方、柏原竜也を含む選手達は、既にベンチから撤収していた。
「試合前はごめんな。ウチのバカが騒いで」
そう言って声を掛けてきたのは、関越一高の遊撃手――渋川だった。
他にも、黒人系ハーフの大越と、マネージャーの棚橋も来ている。
周平と土村の姿はない。負けたからだろうか。
「ああ。こっちこそ悪いな。卑怯なマネして」
「あー、サイン盗みか。二塁ランナーから打者に指示されたならまだしも、監督のブロックサインを盗まれたんじゃ、俺達は何も文句言えねえよ」
渋川は淡々とそう答える。
インチキ野球について、何か言われるかと思ったが、渋川はそこまで気にしていない様子だった。
「しゅ……松岡は?」
「アイツは小細工が嫌いだからなー。また口論になっても嫌だし置いてきたわ」
「そうか……」
その返答に、俺は少しだけ落胆してしまった。
周平には確実に嫌われたな。けど、これで良かったのかもしれない。
再び親友になる事はないし、今の俺は富士谷の選手なのだから。
「まー4点差じゃどのみち負けだわ」
「柏原くんのホームラン……かっこよかった……負けちゃったけど……少し嬉しかったな……ふふっ……」
「カシのアーチも凄かったが、ゴリのスローインもグレイトだったネ」
「お、おう」
そんな感じで、関越一高の面々と言葉を交わした。
例えチームは違っても、同じ東京球児という事は変わらない。
本来よりは遠い関係になったが、こうして会話が出来ただけでも良かったと思う。
「あ、最後にいいかな」
別れ際、渋川はそう言葉を溢した。
「ん、何?」
「なんであんな的確にサイン盗めたんだ?」
「ああ、それは……」
渋川はそう問い掛けると、俺は言葉に詰まってしまった。
正史では関越一高の選手だったから、なんて言える訳がない。
そして思い出してしまった。相手にも転生者が居る事を。
目の前にいる渋川も候補の一人だ。この質問も、俺に対しての牽制という可能性も考えられる。
「まあいいや。んじゃ失礼」
「柏原くん……またね……琴穂ちゃんによろしく……」
「グッバイ!」
関越一高の選手達は、別れの言葉を残して去っていった。
古巣との宿命の対決。試合には勝利したが、一つ宿題を残す事となった。
NEXT→4月5日(月)
更新ペースは、取り敢えず2日に1回のペースを目指して頑張ります……!