43.柏原家の実情
とある平日の昼休み、俺は1年5組の教室で食事をとっていた。
「自分の教室で食えよ」
「えー、じゃあなっちゃんが2組来る?」
「やだよ面倒くせぇ」
そう言葉を交わしたのは卯月と琴穂である。
5組に来た理由は他でもない。琴穂が「なっちゃんがぼっちで可哀想!」と言い出したので、週に1度だけ食事を共にする事になったのだ。
「けどさ〜、のもっちと堂上も薄情だよね〜。せっかく同じクラスなのに」
「いやぁ……夏美がこっち来んなオーラ出してるから……」
ちなみに、恵と野本と堂上も同席している。
堂上は食事中は一切喋らない主義らしく、淡々と食事を貪っていた。
教室と面子が変わった以外は、ごく普通の昼休みが過ぎていった。
野球部で集まっているだけに、話題も部活関連の話題が多くなる。
「そういえば、かっしーのお父さん来てたよっ!」
ふと、国修館戦の反省の中で、琴穂がそう言ってきた。
「その報告いるか? 一緒に暮らしてるなら知ってるだろ」
「夏は来てなかったから、ちょっと意外だったなーって!」
卯月のツッコミに、琴穂は無邪気に言葉を返していた。
恵がソワソワしてるのが非常に気になる。便所にでも行きたいのだろうか。
「夏は平日の試合が多かったからな。まあそれだけだよ」
ちなみに、今まで父が来なかった理由は、仕事が忙しかった上に、夏は平日の試合が多かったからである。
以上、良くも悪くもその程度の話でしかない。
「なるほどっ! じゃお母さんは――」
「琴ちゃん。それよりもさ、孝太さんの彼女の話が聞きたいな〜」
「ふむ……あの兄上が恋に落ちるとは、意外だな」
「堂上くんだけには言われたくないと思うよ……」
恵が唐突にぶっ込むと、話題は孝太さんの彼女へと移っていった。
余談だが、孝太さんは相変わらずシスコンである。彼女とも琴穂の魅力を語り合っているらしい。
※
その日の放課後、恵から「少しだけ話したい」とメールが来たので、練習前に1年3組の教室に立ち寄った。
「どうした? 昼休みも少し変だったけど」
「いやー……何と言うか、触れても良かったのかなって」
「何が」
「両親……というか家の事」
恵は珍しく控え目に言葉を返した。
なるほど、気を使ってくれていた訳か。恵らしからぬ下手糞な話題転換にも頷ける。
「まあ、楽しく話せる内容じゃないのは事実だな」
「そっか。じゃあ無理にとは言わないけど……ちょっと気になるかな」
恵は上目遣いで迫ってきた。
聞く気マンマンじゃねえか、という言葉は、今は心に留めておいた。
さて、我が家の実態だが――実のところ、現段階では特に何も無い。
過保護な母親に、放任主義の父親がブレーキを掛ける、ありがちなテンプレ両親だった。
妹と弟は二卵性双生児で中学2年生。この二人も俺との仲は悪くない。
基本的には放任主義の父だが、野球という一点に関してそうではない。
元々、俺に野球を薦めたのは父であり、本人も大学までプレーしていた。
そんな経緯もあって、父は応援に行ける地域への進学を望んでいて、本来は第一志望だった聖輝学院(福島県)への進学には反対された。
一方で、母は野球に全く興味がない。
むしろ野球を始めるのには反対していて、本当は勉強を頑張って欲しかったらしい。
勿論、寮生活な上に偏差値も低い聖輝学院への進学は大反対された。
第一志望こそ反対されたが、関越一高での生活は途中までは充実していた為、高校の時点では家族関係に乱れはなかった。
妹が両親に反抗的だったり、弟が二次元に恋をしたりはしたが、割と普通の家族だったと言えるだろう。
しかし――俺が怪我で野球を辞めた事で、柏原家は次第に崩壊していく事となった。
まず、俺が野球で失敗した事により、両親の夫婦仲が急激に悪化した。
野球に反対していた母からしたら「だから勉強させとけば良かった」という感じだったのだろう。
夫婦喧嘩は幾度となく繰り返され、大学に進学しても関係は改善しなかった。その末に、父は家庭を捨てて消えてしまった。
父親というブレーキを失った事により、母親の過保護に拍車が掛かるようになった。
色々ストレスを感じる場面は増えたが――中でも、父親のお陰で曖昧だった門限が、21歳になって復活したのには驚きを隠せなかった。
ただ、この時点で伊織(正史の妻)との交際は始まっていて、彼女は「デートとかゲーム内ですれば良くない?」というタイプだったので、まだ支障は少なかったと言えるだろう。
やがて就職すると、この過保護も大きく影響する事となった。
俺は一人暮らしをして、同棲して、結婚するというステップを踏むつもりだったが、実家に居て欲しい母はそれを認めなかった。
これについては何度も口論になった。連日そんな姿を見せられたからか、或は過干渉に疲れたのか、以前から反抗的だった妹も家出してしまった。
結局、この住まいを巡っての問題は、結婚の際に伊織が強く主張してくれて、一先ず実家を離れる事となった。
この点に関しては、伊織には本当に助けられたと思う。
結婚する気が無かった弟も「家の事は俺に任せて」と言ってくれて、犠牲は多いながらも一件落着かと思われた。
そして――トドメと言わんばかりに、弟は唐突に無職の引き籠もりになってしまった。
元々、休日はアニメやゲーム三昧の人間だったが、まさか社会人である事を放棄するとは思わなかった。
弟のニート化に加え、祖父母の介護を必要としていた事もあり、母は俺達に実家で暮らすよう要求するようになった。
伊織や会社の事は置いといて、柏原家に関する事情は以上の通りだ。
だから現状では全く問題ないが、楽しく話せる話題ではないし、家族への不信感も拭えなかった。
「……そっか、大変だったんだね。正直、思ってた以上に重かった」
全てを語り終わると、恵は控えめに言葉を溢した。
ちなみに、相沢に同じ話をしたら「ピタゴラスイッチみたいな家族だね」と言って爆笑していた。
何十回も死んでいると感性も狂うのだろうか。
「もっと家族を大事にしなよ、くらいは言われると思ったわ」
「ううん、言わないよ。私は家族みんな大好きだけど、凄く恵まれてたから言える事だと思うし」
恵はそう返すと「あ、ごめん。嫌味とかじゃないよ」と言葉を続けた。
どうでもいいけど、いつも得意気な恵がしおらしい姿は、少しだけ可愛らしい。
「恵は兄弟多いんだっけ。その辺どうなんだ?」
「上の3人は家出てるけど、みんな仲良しだよ〜。まあ瞳姉はおバカだし甘え過ぎだけど」
「あの恵そっくりのライターか。いい大学出てそうだけどな」
「うん、明神大学でてるよ。だから私は勉強に意味が無いと気付いて……」
「学生の本分から逃げるなよ」
そんな茶番をしていると、恵は何時ものように笑みを溢した。
「けど良かった。かっしーがプロ野球選手になるか、野球で大手企業に入れば、全て丸く収まるって事だよね」
「……どうだろうな」
彼女の言う通り、俺が無事プロ野球選手になれば、柏原家の歯車は狂わない。
ただ、俺は彼らの本質を知っている。父と妹は黙って逃げ出すし、母は子離れできないし、弟は口だけで無職になる。
親に感謝する、というのは当たり前の事である。
それは孝太さんも語っていたし、関越一高では「感謝」をスローガンにしていた時期もあった。
ここまで育ててくれて、今も尚サポートしてくれているのは、他でもない両親なのも分かっている。
今は好意的になれないけど、二周目の人生が上手くいって、両親に感謝できる日は来るのだろうか。
本来なら道を踏み外す妹や弟から、俺が兄で良かったと言われる日は来るのだろうか。
きっと来ると信じたい。その為にも――俺はやれる事をやっていこうと思う。
「あ、そろそろ練習いこっか。ごめんね、嫌なこと聞いて」
「ああ、貸しイチな。合宿中の琴穂の丸秘エピソードで手を打ってやるよ」
「急に足元見てきたね???」
恵は「また今度ね」と言葉を続けると、俺達は大山台戦に向けて最終調整に向かった。
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