10.ありふれた日常
気付けば4月も下旬を迎えていた。
紺色のブレザーをキッチリ着こなしていた1年生達も、この頃になると着崩す生徒が目立つようになった。
男子生徒の多くはネクタイを緩め、Yシャツは第二ボタンまで開けて、ズボンを腰で穿いている。
女子生徒はブレザー自体を着てこない。上はYシャツにカーディガンが主流で、紺色か灰色で選べるスカートは、かなり短く調整する生徒が目立つようになった。
「かっしー、もう帰るの?」
放課後、俺にそう聞いてきた金城も、その例外ではない。
今日は白のカーディガンだった。彼女は日によって上の色を変えるけど、どの姿も似合っている。
「ああ。月曜は練習が休みだからね」
「そっか! じゃ、またね!」
「おう。部活頑張れよ」
金城が背を向けると、下半身に視線を移す。
例外でないのは紺色のスカートも同じだ。だいぶ際どく調整されていて、こう……無意識に視線を奪われてしまう。
俺も男だから仕方がない。ただ一つ言える事は、好きな子の制服姿は最高だという事だ。
さすがに三週間も経つと、金城はすっかり女子生徒の和に入っていた。
人見知りで俺を頼る姿も可愛かったが、無邪気で元気な彼女が一番だ。
最近は、バスケ部の苗場春香と行動する事が多くなり、俺と喋る時間は少し減った。それでも、中学の頃よりは遥かに前進している。
ありがとう恵、さようなら関越一高の皆。俺にもう未練はない。たぶん。
※
野球部は基本的に月曜が休みで、必要に応じてミーティングが行われる。
火曜日から練習が再開され、再び野球漬けの日々が始まった。
富士谷高校にはナイター設備があるが、夜間練習は行わない。これは日没が早い冬場に活用されるらしい。
「俺は日付が変わるまで練習しても全く問題ないんだがな」
「一人でやってろ」
堂上の発言を流しながら、俺はブルペンで投げ込んでいた。
サイドスローの生命線は、右打者の内角と左打者の外角だ。練習ではベースの右打席側に向かって徹底的に投げ込む。
捕手は近藤と2年生の島井さん。島井さんは所謂10番目の選手だが、バッテリー含め全部守ることができるらしい。
「あ、つぎ俺が投げてもいいかな」
そう言って入ってきたのは、孝太さんだった。
「投げられるんですか?」
「少しならね」
孝太さんはブルペンに入ると、近藤とキャッチボールを始める。やがて肩が出来上がると近藤を座らせた。
左のスリークォーターで、少し出所も見辛いような気がする。直球は俺達よりも速く、140キロ以上は出ているだろう。
「相変わらずいい球ですね」
「そうかな。次、変化球いくね」
初球はチェンジアップ。ストレートと同じフォームから、ブレーキの掛かった球が放たれる。
続いてツーシーム。シンカー方向に深く沈む。この時代に、この球を打てる高校生はそう多くない。
三球目はスライダー。手元で大きく斜めに曲がる。これも左打者は打てそうにないな。
次は……と思ったら、そこで投げるのを止めた。
「肘……痛いんですね」
「うん、少しだけね。今日はこのへんにしとくよ」
孝太さんはそう言って、野手陣のティーバッティングに混ざっていった。
俺や恵が転生できたのに、彼が同じ人生を歩むことになったのは残念でならない。
怪我さえ回避すれば、今頃はドラフト候補の筈なのに。
※
練習が終わるのは18時半頃。
それから片付けと整備を始めて、19時過ぎくらいに解散となる。
「かっしーとお兄ちゃんだ!」
「お、金城か。おつかれ」
偶然にも、バスケ部と解散の時間が重なった。
サテン生地の練習着に身を包んだ金城は、制服とは違った爽やかな魅力がある。
「もう終わり? 3人で帰ろっ!」
「ああ、いいよ」
「あっ……ごめん、俺ちょっと用事あるから、二人で帰ってて」
孝太さんは、何かを察したかのようにそう言った。
「えー……じゃあ着替えてくるから、かっしー待っててね!」
「おうよ」
金城が更衣室に姿を消すと、孝太さんは小さく息を吐いた。
「……仲悪いんですか?」
「いやー、一緒に風呂入るくらいには仲良いよ」
羨ましいな畜生。
「じゃ、なんでです?」
「そりゃあ俺も空気くらいは読めるからね……」
孝太さんはそう言って、俺から目線を逸らした。
気付かれているのか、妹さんに惚れてるって。
「いや、けど気使わなくていいですよ」
「そうはいかないって。それに俺にもお誘いが……ほら来た」
孝太さんは苦笑いを浮かべると、その先で女子生徒が手招きしていた。
確か……女子バスケ部の主将の新野さんだ。
噂だと孝太さんの事を好きらしいけど、この口振りだと本人も気付いているのだろうか。
「俺は余計な介入はしないから。ま、頑張れよ」
孝太さんはそう言って去っていった。
金城と二人で帰宅か……何だか夢のようだな。かつてないくらいドキドキする。
そう思った時、今度は恵が此方に来た。
「かっしーおつ! あ、邪魔者はすぐ消えるから安心してね」
「別にいいけど、何か用か?」
「うん。正史の琴ちゃんの事で、ひとつだけ教えとこうかなって」
なんだろう。
来週に彼氏できるよ、とかだったら俺はもう立ち直れないぞ。
もう一度死んで再転生に賭けるまである。
「私と琴ちゃんって、正史では2年生で知り合うんだけど……琴ちゃんは帰宅部だったの」
「なに……? 辞めたって事か?」
「わかんない。かっしーが来た事で、バスケを続けたって可能性もあるからね」
だとしたら結婚待ったなしだな。
ただ何かが原因で辞めてるとしたら、何らかの手を打つ必要がある。
未来を知ってる以上、好きな子の挫折を黙って見過ごす訳にはいかないな。
「日常は打算で動いて欲しくないけど……琴ちゃんは私の友達でもあるからさ。気にかけてみて」
「わかった」
そう言葉を交わして、恵は去っていった。
どうでもいいけど、後ろ姿が妙に可愛いかった。
▼金城 琴穂(富士谷)
149cm44kg バスケ部 1年生
本性では内気で臆病だが、無邪気に振る舞おうとする健気な女の子。
2つ上の兄には非常になついているが、心の何処かで自立したいとも考えている。
髪色は暗めの茶髪、髪型は肩に付かないくらいのボブカット。
▼金城 孝太(富士谷)
180cm78kg 左投左打 外野手/(投手) 3年生
強豪・東山大菅尾から転校してきた2つ上の先輩。
故障歴こそあるが、強肩強打で足も速く、瀬川監督からの評価は非常に高い。
転校に関する規定により1年間公式戦に出れず、部員不足で練習試合も少なかった中で、高校通算15本塁打を記録している。
性格は温厚。主将という事もあり、しっかり者を演じているが、本性では重度のシスコン。