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深淵で笑う君に、祝福の花束を  作者: 沙羅咲
第1章
2/2

2. バケモノの涙



時刻は午後7時25分。


郁斗は学園敷地内に位置する学生寮の一室でベッドに横たわり、天井をぼーっと見つめていた。


(あれはなんだったんだ……)


頭の中を支配するのは、依然として残るあの少女の姿だ。


濃紫色の美しい瞳と目があった瞬間、自分の身体中に言葉にも表せない衝撃が走ったのだ。


(まさか、一目惚れ…なのか?いやいや、そんな乙女チックなメルヘン脳なんて元から持ってねぇだろ!!どこの漫画の主人公だよ!!)


浮かび上がった「一目惚れ」の文字をかき消すように、頭をブンブンと振る。


(そんな恋愛要素の含んだものじゃなくて……見つかってはいけない奴に見つかったような…どちらかというと動揺に近いような……)


ピタリとあう表現が見つからない。


(それに、帰りはシカトされたような感じだったしな)


そう思い、郁斗は始業式が終わった時のことを反芻し始めた。





。。。。。



始業式が閉式し、例の如くSクラスが先に退場していったとき、郁斗は無意識のうちにあの美少女の姿を目で追っていた。


「いた……」


入場時と同じように、3トップの後ろを気配を消すように静かに歩く少女を見つける。


しかし、今回はその少女とは一度も目が合わなかった。


というより、郁斗にはその少女がわざと合わせないようにしている気がした。


途中から不自然な態度になった郁斗に、隆之介は心配そうにしていたが、「何でもない」という一言を素直に受け取って(もしくは何かを察して)それ以上の詮索はしなかった。


Sクラス生が講堂から退場した後、一般生徒たちはそれぞれのクラスへと戻ることになっている。


郁斗はC、隆之介はBへとそれぞれ向かい、SHR(ショートホームルーム)を行なって放課となった。


「ねぇ、あの人…朝の…」


「このクラスだったんだ」


「誰か話しかけに行けよ」


「いやよ、急にキレられたりしたら怖いわ」



ルックスや雰囲気から恐れられているのか、郁斗に隆之介以外に話しかけてくれる友人は、残念ながらいなかった。


クラスに友人ができないことは編入生にとって問題かも知れないが、郁斗にとってはいつも通りのことで、慣れている。


そんなことよりも、郁斗の脳内を支配していたのは、やはりあの紫の少女だった。


。。。。。




「あぁーー!!気持ち悪りぃな!!」


訳の分からない感情に自分が支配されている気がして、言葉にできない灰色のモヤモヤが胸に広がっていく。


「…散歩にでも行くか」


部屋の中にいては気分転換もできやしない。


外の空気を吸うためにも、散歩は適切だろう。


郁斗はそのモヤモヤを振り払うようにベッドから身を起こし、上着を一枚手にとって部屋を出た。






四月といっても、日が落ちる夜はまだ肌寒い。


上着を持ってきて正解だったと考えながら、郁斗は静寂に包まれた学園の敷地内を歩く。


目的地はないため、校舎の周りをぐるりと回るルートを進む。


「満月か…」


上を見上げると、黄金に輝く丸い月が深黒の夜空に浮かんでいた。


街灯が少ないのに夜道が明るいのは、月光のおかげだろう。


冷たい夜の空気を目一杯に吸い込み、吐く。


誰もいない、自然の音しか感じない雰囲気。


これが不気味で苦手だという人もいるだろうが、郁斗はこの空気が嫌いではなかった。


ふと、夜の暗さに慣れた瞳が鈍く光る“何か”を捉える。


「…?なんだ、あれ…」


雑木林の入り口付近を、まるで人魂のようにゆっくりと浮遊する“何か”。


赤やオレンジ、黄色を混ぜたような色合いの球体の物体は、郁斗に近づき周りを飛んでいる。


触れようとして手を伸ばすが、触れる直前でその物体は避けてしまう。


しばらく郁斗の周りを浮遊すると、再び雑木林の中へと入っていった。


(まるで俺を呼んでるかのような動きだったな…)


正体不明の怪しいものだ。


本来ならば関わらない方が身のためだということは、郁斗自身も理解している。


しかし郁斗は頭で考えるよりも先に、足が雑木林の方へと向いていて、歩き始めていた。






雑木林の中は月の光が木に遮られてしまい、薄暗い。


5メートルほど前をふわふわ、浮き沈みを空中で繰り返しながら進む赤い球体を頼りに、郁斗は歩いていた。


木々の間から差し込むわずかな月明かりと、球体の鈍い光だけが、郁斗の行く道を示す手がかりだ。


(どこまでいくんだよ…)


後ろを振り返ってみても校舎や建物はもう見えず、あるのは木々だけだ。


かなり深い場所まで入ってきてしまったことがよく分かる。


(…帰れなくなったりしてな)


笑えない話だ。


編入1日目にして行方不明の学生なんて、恥ずかしすぎる。


(どうすっかなぁ…)


引き返すか考え始めた、そのときだった。



「うぅぅぅぅ……」



郁斗の背後で、低い動物の呻き声のような音が聞こえる。


背中に冷や汗が流れる感覚があった。


嫌な予感とは案外わかりやすいものだ。


バッと振り返ると、そこにいたのは…


「!?」


口から見えるのは鋭い牙。


白目の部分が赤く染まり、それとは対照に血が通っていないような、青白い肌。


野生動物のように四つん這いでこちらを睨んで唸っている。


しかし、その生物は()を着ていた。


()()を持っており、()は短かった。


おそらく()だろう。


その正体は、まぎれもなく“人”だった。


「ウソ…だろ…」


その異形な人は四つん這いのまま、まるで獲物を仕留めるかのように、ゆっくりと郁斗に近づいてくる。


狂犬病にかかった野良犬のように、口からは唾液が垂れ流しながら。


対する郁斗は、その場から動けずにいた。


恐怖心、嫌悪感、緊張感、絶望感。


なんとも言えない感情が頭の中を占めている。


ただ、自分が今危機的状況にいることだけはわかった。


腰を抜かさなかったことは、この場における僥倖だろうか。


(なんなんだよ…こいつ…)


明らかに異常だ。


その生物はどんどん近くなっていき、郁斗との距離は10mほどになった。


そこでその異形の生物は、ピタリと歩みを止めた。


(……?)


助かった、と思ったのは一瞬だった。


(違う……)


郁斗は本能的に、相手が戦闘態勢に入ったことを感じとった。


“威嚇”から“攻撃”への変化だ。


(クソ…身体が動かねぇ!!)


いつ襲われるかはわからない。


だが、それまでの時間はそう長くないだろうということは、混乱した頭で考えられる最大の思考だった。




。。。。。



-Side of Shizuki-



「満月、か…」


木々の隙間から月光がさす、薄暗い雑木林。


フードを深く被った少女は夜空を見上げてポツリと呟く。


暗い夜空に浮かぶ丸い月は煌々と美しく輝き、周りの星々の輝きすら奪ってしまっているように感じた。


月は嫌いだ。


月を見ると嫌なことを思い出す。


それに、月を美しいと思ったことがない。


昔の文人は愛する人に「月が綺麗ですね」と思いを綴ったそうだ。


意味がわからなかった。


(私はきっと、日本人としての感性がないのだろうな)


「紫月」


自由に漂わせていた思考は、背後から聞こえた自分の名前を呼ぶ声によって現実に引き戻された。


振り返った少女ーー紫月の近くには、同じくフードを深く被った男子がいた。


「どうした、流泉。皆ならもう寮に帰ったぞ」


「…うん。……浮遊球が一つなくて」


流泉と呼ばれた男子は、よく透き通った声をしていた。


「浮遊球?さっき杏華たちが回収していなかったか?」


「…ん。でも数えてみたら、一つ足りなかった」


「…ちゃんと確認してなかったのか、あいつら」


浮遊球は紫月たちにとって大事な“訓練道具”だ。


小さい割に値段が高い。


一つくらい…と思いかけたが、年中赤字だなんだと頭を抱えている女性の姿を思い出し、考えを改める。


「私も少し探してみる」


「…うん。ありがとう」


紫月は木の枝のなかでも太い部分に飛び上がり、枝伝いに颯爽と闇をかけていく。


その姿はまるで古代の忍者のようだ。


(浮遊球はそんなに遠くには行かないはずだが…)


鈍く光る球だから、この薄暗い雑木林では見つけやすいだろう。


だが、なかなか見つからない。


「おかしいな…」


もう少し奥を探してみようと考えた直後だった。


ドゴォォォン…


「!?」


地鳴りのような、爆発音のような音があたりにこだまする。


丁度、紫月が向かおうとしていた方向だ。


さらに、少し冷たい風にのって、強烈な臭いが漂ってくる。


「この臭いは……まさか」


間違いない。


奴らの臭いだ。


(なぜこんな場所に…それに、なぜ気づかなかったんだ…?)


さまざまな疑問が脳内に浮かんだが、それは後だ。


紫月は懐から薄紫色の紙を取り出し、ふぅっと息を吹きかける。


すると、手にあったその紙は意思を持ったかのように動きだし、その方向へと飛んでいった。


(足止めにしかならないだろうが…)


既に見えなくなった紙を追うように、フードの少女は闇へと紛れていった。



。。。。。



ーSide of Ikutoー



攻撃の態勢に入った人の形をしたバケモノは、郁斗が予想した通り、すぐに襲いかかってきた。


「ゔゔがぁぁっ!!」


「っ!!」


郁斗の頭目掛けて飛びかかってきた生物は、もはや人間の動きを凌駕していた。


地上から5mほど上から振り上げられた鋭い爪を、間一髪で避け、そのバケモノはその勢いのまま大木に激突する。


ドゴォォン!!


砂埃が舞い、ミシミシと嫌な音を立てながら、大木がスローモーションのように倒れていく。


「………ッ!!」


言葉が出ないとはまさにこの事だろう。


手、と呼べるかは分からないが、その先にはえた肉食獣のような鋭い爪は、かすっただけでも肉が裂けてしまうのは予想がつく。


砂埃の向こう側で、ゆらりと影が動いたのがわかった。


(また…くる!!)


本当なら一目散にでも逃げ出したいのだが、この状況でバケモノに背を向けられるほどの足の速さを、郁斗は持ち合わせていない。


木々の影から怪しく光る目に睨みつけられ、郁斗は人生で初めて“死”を予感した。


バケモノが再びこちらに向かって走りかけてきた、その時だった。


ヒュッ……ボンッ!!


郁斗とバケモノの間に何かが飛んできて、バケモノの鼻先でそれは爆発した。


「グギャッ!」


「!!」


バケモノは後ろに飛ばされ、両手で目の辺りを押さえて呻き回る。


「なんだ……?」


何が起こったのか全くわからなかったが、郁斗にとってこれは最大のチャンスだ。


立ち上がり、とにかく逃げようと走り出そうとした。


しかし、その足は三歩もしないうちに止まる。


「うぅぅ…うあぁぁがぁ…うっ…」


郁斗に聞こえたのは、泣き声だった。


ゆっくり振り返る。


視界に入ったのは、押さえた手のあたりからボロボロと涙を流す、バケモノの姿だった。


「な……」


人が地面に座って泣くような姿。


こうしてみると、本当に人が泣いているかのようだ。


郁斗は逃げることも忘れて茫然としてしまった。


それが、自らの命の危機を招いてしまうとも知らずに。


「うぅ……っぐぁぁぁぁぁぁああ!!」


泣き声から咆哮のような叫びをあげ、バケモノは油断していた郁斗に向かって飛びかかる。


「しまっ……」


今度こそ、避けきれない!


明確な殺意から逃げることもできず、ただただ、目をつぶって体を固くすることしか、郁斗にはできなかった。


ドッ……ザシュッ!!


鈍い音が聞こえた瞬間、身体中の力が抜け、自分が地面に倒れた感覚を知る。


(あぁ……俺、死ぬのか)


痛みはなかった。


走馬灯のようなものも見ていない。


だが、とにかく身体が重くなり、自分のもののようではなくなった。


(これが、死ぬってことなのか)


ぼんやりとそう思い、わずかに動かすことのできたまぶたを持ち上げると、そこには誰かがいた。


後ろ姿が月明かりに照らされ、艶のある長い黒い髪がキラキラと光る。


「誰…だ…」


呟くような小さな声しか出なかった。


それでもその少女には聞こえたようで、ゆっくりと振り返る。


薄紫色の瞳、驚くほど整った顔立ち、白い肌。


そこにいたのは、始業式でみた、あの美少女だった。


「な……んで…」


そこで、郁斗の意識は途絶えた。







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