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イベント

恋の季節にホトトギス啼く

作者: 日次立樹

2019年バレンタイン小説です。お楽しみください。

 この季節、女の子からは恋の香りがする。


 チョコレート売り場の甘い匂い、指先に染みついたココアの匂い。クッキーの焼ける香ばしい匂い。

 薄くピンクのリップクリームをひいたつややかな唇、薔薇やフリージアやブーケや石鹸の香りのミスト。

「女の子」はショーウィンドウに並んだ洋服を着たマネキンのように、どの子も可愛くて、キラキラしていた。

 生物学上は女である私は彼女たちと同じ生き物であるはずなのに、いつの間にか全く違う生き物になってしまったように感じる。

 彼女たちの纏うお菓子の匂いは、私にとってはまとわりつく甘さ。同じリップクリームを買ったはずなのに、べたつく唇は黒ずんだままで血色も悪そうだ。花の香りはどうにも人工的で苦手だし、石鹸の香りは私のなけなしの女の子らしさまではぎ取っていくようだ。


「――、でね……」

 お喋りなクラスメートの話をぼんやりと聞きながら、手の中の小さな包みを弄ぶ。

 糖分補給用によく買っている個包装のチョコレートは、先週から期間限定のハートの飛び交うパッケージになっている。可愛いとは思うけれど、それだけだ。

 たぶん私には、この状況を楽しむには決定的な何かが欠けているのだ。





「……と、いうわけなのですよ」

「ふーん」


 放課後お悩み相談室、in第二書道室。今日のおやつは学校の近くの商店街の中にある和菓子屋「香月堂」の梅松団子だ。


 私は文芸部に所属している。たった二人の文芸部員であるところの正岡悠斗先輩と二人、緑茶を啜りながらだらだらと雑談したり課題を片付けるのが、文芸部の活動内容だ。一応部誌らしき薄い冊子を月に一度出している。

 以前は部室が部室棟にあったのだけど、部員が規定の人数より少なくなったので移動になった。第二書道室は和室で汚すと面倒なので使いたがる部がいなくて空いていたらしいが、エアコンや電気ポットが使えるのでなかなかいいと思っている。


「『恋の香り』、か。みきちゃんもいうことが詩人らしくなったねぇ」


 正岡先輩がいつも眠たげな細目をほんの少し見開いて言った。それは褒めてるんですかね、先輩。お返しに長めの前髪をちょんまげにしてピンクのヘアゴムで括ってあげた。似合ってますよ。

『詩人』というのは、文芸部員のくせにそれらしい活動は全くせず、締め切り前に深夜テンションで2,3編の詩を書いて提出するだけの私に前部長がつけたあだ名だった。正直いうと一番楽な部活に入りたかっただけなので、私は今も『詩人』のままだ。

 一方、正岡先輩はその眠たげな容姿とは裏腹に、顧問のヤマ先(国語教師。海野千尋という名前で、海千山千、とかけているらしい)が絶賛する筆力と構成力、鋭い視点のミステリー小説を書いている。ヤマ先ほか国語科の教員が賞に応募するよう説得しても出すことはなく、昨年のエイプリルフールの企画に「実は現役作家のゴーストライターをしている」といったら部員全員が信じたとかいう逸話もあるのだったりする。


「どうなんですかねぇ」

 文芸部員らしくなった、ということなら、嬉しいかもしれない。だけど肝心の詩の方といえば『詩人(笑)』がお似合いの出来のままだ。

「そういう先輩は、「作家」にはならないんですか?」

 正岡先輩は、小説を書くことは好きなのだと思う。そうでなかったら、たった二人の部員で、出さなくてもいい部誌を真面目に続けたりはしないだろう。

 活動をしなければ部費は出ないが、もともと大金を使うような活動はしていない。そもそも私は一年生は部活動に入るように言われるので入っただけ。恵南高校は進学校で、大会などのない文化部は3年生は梅雨の頃には引退してしまうのが慣例になっているから、来年文芸部がなくなっても困らないのだ。


「うーん。締め切りとかテーマとか考えずに、好きなように書きたいし。それに今は、大作を書いてるんだ」

「大作?」

「できたら読んでもらうから」


 正岡先輩は書きあがった作品をいつも一番に私に読ませてくれる。去年は部誌が出来るとまず部員で回し読みをしていたから、そのなごりだろう。

 しかし、読んでもらう、という言い方がどこか引っ掛かった。こういう時、正岡先輩はいつも「読ませてあげる」というのだ。もしかしたら、先輩が自分のために描く作品ではなく、誰かに読んでもらうことを前提とした話、ということなのかもしれない。


「楽しみにしてます」

 うん、と正岡先輩はやはり眠そうな顔で言った。





 2月14日、紙袋一杯の義理チョコを用意する。それから、友人たちと交換する少しだけ手間をかけたカップケーキに、ヤマ先と正岡先輩用に作ったココアクッキーも忘れずに。


 朝から教室のあちこちで恋の駆け引きが行われていた。女の子同士のアイコンタクトや机に忍ばせる呼び出しの手紙。意中の相手へのほんの少し凝った包装のお菓子が紙袋から覗いている人もいる。

 女の子たちの甘い香りも今日がピークだ。チョコレートの香り、クッキーの香り。それから、いつもは石鹸の香りを纏っている子が花の香りを漂わせていたりする。鏡で何度も髪型をいじる女の子たち。


 適当にクラスメートに義理チョコを配り、昼休みには友チョコを交換。そして放課後になると、恋する女の子たちはいっせいに教室を出ていく。いつもは教室に残ってお喋りをしている子たちも、頬を薄く上気させ、紙袋を大事そうに抱えて駆けだしていった。教室には彼女たちの残り香が漂っている。その空気を、深く吸い込んで、吐き出す。


「やっぱり、私には甘すぎるなぁ」

 苦笑して、私も教室を後にした。




 第二書道室にはすでに正岡先輩がいた。今日は顔を出すと言っていたヤマ先は、まだ来ていないようだ。

「こんにちは、正岡先輩」

「こんにちは、みきちゃん」

 正岡先輩も来たばかりなのだろう、慣れた手つきでエアコンをつけ、電気ポットに水を入れて電源をオンにする。


「先輩、これどーぞ。クッキーです」

「わ、ありがとう。手作り?」


 水色の紙袋を渡すと、甘党の正岡先輩は破顔した。いつも眠そうな細目は、笑うとますます細くなる。でも、きゅっと吊り上がった唇のおかげで、喜んでくれているのがよくわかった。


「じゃあ俺も、どーぞ」

 黄緑色の紙袋には野原のようなプリントがしてあって、ところどころに青い小鳥が紛れ込んでいる。正岡先輩らしいチョイスだ。

「え、準備してたんですか?」

「言ったでしょ。大作書いてるって。帰ってから開けてね」


 以前言っていた「大作」がこれで、今ここで開けちゃいけないってことは、中身は手作りなんだろうか。楽しみだ。

 振ってみるとかさかさと音がする。中身は何だろうか。クッキーとかチョコレートとか?でも触った感じ、中身は結構大きめだ。


「後で感想聞かせてね」

「はい!」


 ガラ、と入り口の引き戸を開ける音がした。背の高い男性教師が入ってくる。ヤマ先だ。

「よう。早いな」

「こんにちは、先生。これどーぞ」

「おう。サンキュ。三木も女子だな。手作りか」


 話しているとちょうどお湯が沸いたので、3人分のお茶を入れる。

「ヤマ先、早すぎ」

 後ろで正岡先輩が何か言っていたようだけど、何のことだろうか?



 3人でお茶にする。ヤマ先はフィンガーチョコを3袋も持ってきた。太っ腹だ。見慣れた金銀の包装紙も、よく見るとハートが隠れていた。

「チョコレートだったらコーヒーとか紅茶のほうがよかったですかね?」

 いつもは和菓子だから緑茶ばかり飲んでいるが、部室にはインスタントのコーヒーや紅茶のティーバッグも備えてあった。

「何でもいいだろ」


 ヤマ先と二人、だらだらとお菓子をつまみながらおしゃべりする。正岡先輩は明日英語の小テストがあるとかで、会話には参加していない。さっきから単語帳をめくってぶつぶつとつぶやいている。


「さっき靴箱のほう回ってきたら告白の真っ最中に出くわしてめっちゃ気まずかったわ」

「あー、ですよねぇ」

 バレンタインだし、放課後だし。告白にはうってつけだ。校内には告白スポットなるものが複数あるが、靴箱もその一つと言える。呼び出しに応じてくれなさそうな意中の人を待ち伏せしやすいからだ。でも、同じ相手に告白する人に鉢合わせしやすいリスキーな場所でもある。ついでに、ヤマ先みたいに目撃されることを覚悟しなくてはならない。


三木(みつき)はそういうことはしないわけ?」

「うーん。私に恋は難しい気がします。バレンタインのたびに思うんですけど、あんなふうに『恋する乙女』って感じの自分は想像できないかなって」

「ふーん。恋じゃなくても、誰かと付き合ってみようとか思わない?」


 普段生徒の事情には突っ込まない(特にコイバナには)ヤマ先が珍しく話を掘り下げてくる。いったいどうした風の吹き回しだろうか。


「たとえば、それなりにモテそうな上級生から告白されて、うっかり付き合ってみるとか」

「うっかりですか」

「そう、うっかり」

 確かに、私はそういうところがあるかもしれない。好きな人でなくても、真剣に告白されたら、うっかり流されそうな気もする。



「で、付き合ってみたら恋に落ちてた、なんてこともあるかもよ」


 そういって、ヤマ先は意味ありげに笑った。






 いつもは帰宅するなりベッドにダイブするのだが、今日はそういうわけにはいかない。ぎゅうぎゅうの紙袋をそっと机のわきに置き、黄緑色のものを手に取る。

 袋は軽くテープでとめてあった。破かないように慎重にはぐ。


 一番に目に入った「HAPPY VALENTINE」のメッセージカードには小鳥のイラストが描かれていて、吹き出しの中に「みきちゃんへ」とひらがなで書いてある。正岡先輩の字は見るたびに思うのだが、整ったきれいな字だ。それでいてあまり角ばっていなくて、神経質な印象がしないのがいいと思う。

 紙袋の中をのぞくと、私が作ったのと同じような(ただし見た目の出来はこちらのほうがはるかに良い)カップケーキが一つと、かわいい女の子の形のアイシングクッキーが入っていた。


「えー、と」さっそくメッセージアプリを起動して、正岡先輩にチャットを送る。すごくかわいいクッキーで嬉しいです。カップケーキもおいしそう。食べたらまた感想送ります、と。


 さっそくカップケーキをいただこうと包装を剥いていると、ピロン、と電子音がメッセージの着信を告げる。正岡先輩からの返信のようだ。


『読んだ?』


 読んだって、何を?

 首をかしげてから、思い出す。そうだ、正岡先輩は確かこれを渡すときに、以前言っていた『大作』がこれだと言っていた。書いていた、と言ったのだから、どこかに何かしらのメッセージがあったのだろう。


 先ほどチェックしたメッセージカードを裏返してみるが、裏面は白紙だった。となると、袋のほうか。クッキーを取り出して中をのぞくが、何も書かれていない。

「あ、このクッキーうちの制服着てる」

 よく見ると髪をピンクのゴムで二つに分けてくくっている。もしかして私をモデルにしたクッキーなのだろうか。

「まめな人だなぁ……」

 感嘆しながら紙袋を逆さにして振ってみると、底の部分がやけに分厚い。中敷きの厚紙をはずすと、エメラルドグリーンの綺麗な封筒が出てきた。これのことだろう。


 そっと封を開けると、手書きの便箋が3枚。なんというか、これはまるで。

「ラブレター?」


 まさか、と思う。『大作』と言っていたのだし、あくまでこれは作品として読めばいいはずだ。しかし、読み進めていくうちに疑いは確信を帯びてくる。

 そもそも正岡先輩は私と同じように恋愛沙汰には興味の薄い人で、ラブレターもどきを渡すとか、そういうことはしない気がするのだ。


「・・・・・・」

 もしもこれが正岡先輩からのラブレターだとすると。感想を送れというのは、告白の返事をくれと、そういうことだと思っていいのだろうか?


『ヤマ先、早すぎ』

『例えば、それなりにモテそうな上級生から告白されて、うっかり付き合ってみるとか』


 部室で聞いた、正岡先輩とヤマ先の言葉をそれぞれ思い出す。なるほど。つまり、正岡先輩とヤマ先はグルだったのだ。正岡先輩は私にこれを渡すから遅れてくるようにヤマ先に頼んだのだろう。そしてヤマ先は正岡先輩の気持ちを知っていたので、私に相手がいるかどうかを確かめ、正岡先輩と付き合ってみればいいとさりげなくプッシュしてきたわけだ。


 またピロン、と電子音が鳴る。正岡先輩からだ。よくわからない緊張感に震える指先でメッセージを開く。


『返事はすぐじゃなくていいよ』


 感想ではなく返事、ときたか。これはつまり、本当にラブレターだと思っていいということなのだろう。紙袋を渡したとき、いつも眠たげな正岡先輩が嬉しげに笑ったのを思い出して。


「あー、」

 うっかり。

 うっかり、ときめいてしまった。




 顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。

 一度だけ使って引き出しにしまい込んでいた、ピンクのリップクリームを取り出す。そっと唇にそわせて、色をのせていく。

 鏡を覗き込むと、潤んだ目につややかな唇の恋する少女が私をじっと見返した。


補足いろいろ


作中に出てくる和菓子について。

創作です。梅松団子「梅(3月)を松(待つ)」ということで、2月のお菓子。2個の白玉をそれぞれ薄紅色と白色の餡に包んで梅のつぼみをかたどった和菓子になります。


タイトルのこと

恋の季節=バレンタイン

ホトトギス・・・正岡先輩。正岡子規の「子規」はホトトギスのことだそうです。


三木あんず 苗字は「みつき」ですが正岡は「みき」と呼んでいます。名前の由来は室生犀星の「あんずあまさうな ひとはねむさうな」という俳句からきていて、眠そうな顔の正岡先輩と対になっています。


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