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 今日もつつがなく学校は終わり、放課後に突入した。私は帰りのHR中、契吾は今日も挨拶をした瞬間に教室を飛び出そうとするのだろうと思い、意気揚々と待ち構えていたのだが、HRが終わって、運動部がまず練習へと急いで向かい、そして担任が教室を出ていき、そろそろと帰宅部や文化部、あと、さほど練習に熱心でない運動部が教室を出ていく中で、数分経ち、契吾は遂に椅子に座りっぱなしだった。


「……契吾、どうしたの?」

「そりゃこっちの台詞だ。とっとと帰ったらどうだ」


 相変わらずぶっきらぼうな奴だ。


「いや、今日は一緒に帰ろうよ」

「…………」


 契吾はため息をついて、しばらく考えるように腕を組んだ。そして観念したのか、荷物を持って立ち上がった。


「かまわないが、お前、どの辺住んでんだよ」

「え、えと、(みさき)ノ(の)(さき)

「逆方向じゃねえか。お前を送ってってやる気はねえぞ、言っとくけど。そこまでしてやるつもりはねえからな」

「うん、別にいいよ。でもとりあえず道が変わるまで一緒に帰ろうよ。その方が友達っぽくない?」

「……ごっこ遊びしてるみたいだな、お前。友達ごっこ」


 私の言った何気ない一言が契吾の地雷を踏んだみたいだった。彼から感じるのは怒気というよりは、嫌悪だった。


「い、いや、そんなつもりはなくて」

「ああ。別に、怒ってるわけじゃない。アンタにどう思ったってわけでもないさ。何でもまずは形からって言うからな」


 契吾はそう言うと、歩き出した。彼に続いて、私と落ち武者も教室を出た。

 下駄箱に着くと、契吾は昨日のように、また頑として私より先に出ようとはしなかった。ただ、自分の下駄箱の前に佇むのみだった。私はもうそれについてはとやかく言わないことにした。


「じゃ、先に出てるからね」

「ああ、そうしてくれ。先に帰っててくれてもいいけどな」


 私は頷いて、自分のロッカーの前に足を運んだ。ここ最近続いている異臭が、やけに強い気がした。ロッカーを開けると、生ものの腐った臭いが私の嗅覚を襲った。驚いて、すぐに扉を大きな音を立てつつ閉めた。


「は? なんだ、これ」


 思わず声が漏れた。

 これが運勢最悪のなせる業なのだろうか?

 落ち武者が即座にロッカーに顔を突っ込んだ。顔を出して言った。「ごめん、真っ暗でなんも見えなかった」。だろうね。

 恐る恐る、もう一度ロッカーを開けた。立ち込めた臭いが、再度むわぁと塊になって私にかかった。目に染みた。魚や肉のあまりや骨といった不要になったものを数日平温で置いといたものがどさりと私の革靴にかぶせられていた。魚の瞳が私を覗いていた。もう一度私はロッカーを閉じた。誰かが故意にそれをやったということくらいはわかる。

 よくもここまで集めたものだ。私は感心した。よくもこのように汚いものを吐き気をこらえつつ私のロッカーにぶち込むといった作業をしようと思ったものだ。

 しかし革靴だけじゃない。もう一度扉を開く。そのロッカーの中には紙束……ノートや教科書のようなものも入っていた。顔をしかめ、片手で鼻を抑えつつもう片方の手の人差し指と親指でそれをつまみ、引き出して、簀子の上に落とす。それは、英語のノートと教科書だった。もっとも、ゲロのように汚い生ものとその汁に塗れ、さらに刃物でズタズタにされてはいたが。バタン、とロッカーを閉じる。

私は悟った。


こ、こいつのせいだったのか! 占いのせい、ましてや私のせいですらなく、謎の泥棒のせいで、私は百川に怒られたというのか! なんだ、私に何の落ち度もないんじゃないか、損した! ……じゃなくて。


「なにこれ」

「おい、どうしたんだよ、さっきからロッカーを開けたり閉めたり……」


 横から契吾が声をかけてきた。そんな彼を、落ち武者が「ねね、見て、ひどいんだよ、これ!」と手招きした。彼は近寄ってきて、すぐに落ちているテキストを発見した。


「これ、英語じゃねえか。どうしてこんなぐちゃぐちゃになってんだよ」

 私は首を横に振った。ポケットティッシュを取り出して、指をふき取った。

「契吾くん、ロッカーの中も見てよ」と、落ち武者。

「まさか」


 彼は何かを察した様子で「どけ」と言ってから私を押し退けると、私の名札がつけられたロッカーを開いた。中を確認すると、すぐに閉じて、言った。


「あんた、これまでにこういう風にされたことあんのか?」

「ないけど……」

「『けど』なんだよ」

「ないです」


 あぁ、こいつ結構言葉尻をとらえてくる!


「おい、ちょっとこれ見ろ」


 契吾は多少駆け足で自分のロッカーの前に戻ると、それを開けて、私に見せた。彼のロッカーの中も、同じようになっていた。

 つまり、ここ最近の異臭はおそらく、契吾のロッカーが原因だったのだ。


「くさっ……なに、これアンタの趣味? てことは私のもアンタがやったってこと?」

「んなわけあるか。悪いけど真面目に話してくれ」


 いや、マジメも真面目、大真面目なんだけど?


「そうは言っても容疑者がアンタしか思い浮かばないよ」


 と言う私に乗っかって落ち武者も、


「そうだよ、香音ちゃんの交友関係の狭さを舐めないでよね! 友達なんて、契吾君と万年だけなんだから!」


 と私を合法的に罵った。そう、彼女の言うとおりだった。実質一人である。それでもいないやつに比べたらましだが。


「となったら、その万年ってやつなんじゃねえの? ……と言いたいところだが、たぶん違うだろ。大体こういうことをするやつに友達をまず挙げるんじゃねえ。……アンタに昼絡んでた女が怪しいんじゃねえか? 俺の方も多分そうだ」

「え、それって……」


 有田さん?


「あぁ、やりそうだね」


 と落ち武者が首肯した。しかし私はいまいち納得できない……。


「私、有田さんにこんなことされる覚えはないけど? あんたとは違って」


 契吾が有田さんに、意識してかは知らないが、喧嘩を売っていたのはわかるけど、私は何もしてないと思うんだけど?


「絡まれたってことは何かしたんだろ」


 契吾はつまらなそうにそう言うと、リュックから大きめのビニール袋を取り出して、こっちに投げてよこした。

 中にはローファーが入っていた。ここ数日汚くなったローファーを履きたくがないために新品を買ったのか。


「今日はそれ履いて帰れ。空いた袋に靴入れりゃ持って帰れんだろ」

「え、いいの?」

「安物だけどな。ちゃんと返せよ」

「でもアンタはどうすんの」

「俺はスリッパでいい」


 そう言うと、契吾は汚れた靴を、また新しく取り出したビニールに入れた。そして、掃除用具入れから箒と塵取りを持ってきて、生ごみをロッカーから取り出し、濡れ雑巾で汚い汁や残りかすをふき取っていた。


「おい」

「え」

「あんたも早く靴出せよ」

「あ、ああ」


 言われたとおりにすると、契吾は私のロッカーも掃除しだした。


「靴は家でしっかり洗えよ。明日までに乾くかどうかはわからないけどな」

「ありがとう。何か、悪いね」


 私がそう言うと、契吾は、


「まあな、本当迷惑だぜ。次からは自分でやれよ。替えのローファーも買っておけばいい。そうすりゃ靴が濡れても平気だろうからな」


 と憎まれ口なのか何なのかよくわからないことを私に言った。

 顔もそこそこかっこいいし、ちょっと惚れそう……。ま、ありえないけど。

 その時の契吾は、いつも通り眉を顰めた、つまらなそうな顔をしていた。

 契吾の靴は勿論私の足のサイズに合ってなくて、ぶかぶかで、歩き辛い。

坂を上った先にある分かれ道で彼とは別れて、私は家に帰りついた。


「ただいま~」

「あれ、アンタなんか臭いね」

「友達がゲロ吐いたんだよ」

「ふーん」


 私は荷物を部屋に置いて、服とパンツを引っ張り出して、タオルと一緒に風呂場に放った。


「え、はやいね。まだ風呂沸かしてないけど?」

「あー、うん、自分で今から沸かすよ」


 そうは言ってもボタン一つだ。洗剤とスポンジで浴槽を磨き、泡を水で流して排水口に蓋をしボタンを押すとお湯張りが始まる。私はいったん部屋に戻って、母に気づかれないように靴の入った袋を風呂場に持ち込んで、すっぽんぽんになって、浴室に入り、そこで靴を洗った。……ううう、臭いよ、汚いよう。しかし最初にある程度お湯で流しておけば、汚いカスはほとんどが流れたし、普通に触ることもできた。


「ローファーって水洗い大丈夫なのかな?」と落ち武者が至極まっとうな疑問を呈した。

「知らない」

 まあ、一回くらい大丈夫だろう。洗剤は風呂場用のやつでいいや。

 スプレーを吹きかけて、ふろ場用のスポンジで外側をごしごし磨き、内側は手で。で、水で流して完成。髪と体を念入りに洗って流して浴槽に入って一丁上がり。ちなみに私は、身体の最初に洗う個所は頭派だ。って、どうでもいいか。


「なんか、香音ちゃんに今日絡まれたり、ああやっていじめみたいなことされる原因、あったかなぁ?」


 落ち武者の声は浴槽で響かない。彼女の声は空気を震わせることで私に伝達してるのではないからだと思う。


「んー」


 いじめ、いじめね。そうか、そりゃあ、ああいうのがいじめだよなぁ。あれのせいで私は百川に怒られるというとばっちりを食らったというわけだ。ううむ、思い出したらムカついてきたぞ。靴も汚されるし。

……しかし、あの手慣れた様子からして契吾はそれなりの期間ああいう仕打ちを受けていたということになるよな。……って、そりゃそうか。あの匂いがしてたのって一週間くらい前からだもんな。契吾があの傍若無人なふるまいをした翌日くらいからあのイジメが始まったと考えてもいいだろう。でも、どうして彼はああやって嵐が過ぎるのを待つというか、ただの受け身の姿勢でいたのだろうか? 彼なら仕返しくらいしてもおかしくなさそうなものだが……。

考えても仕方ないな。向かった先に起こったことがすべて。そういうことだ。

風呂を上がり、靴をしっかりタオルで拭いてドライヤーで乾かす。ある程度まで乾いたら玄関において自然乾燥をもくろむ。部屋に戻り、しばらくだらっとして、呼ばれるのでリビングに行き夕飯をとって、しばらく自室でだらっとする。眠くなってきたので少し早めの時間に眠ることにした。


「万年のことに関して何かあったのかもね?」


 と、落ち武者が私の横で言う。

確かに、あそこで挙がっていたのは万年の話題だ。彼女がもし本当に犯人なのだとしたら、その線は濃厚だと思う。だが。


「私と万年の関係を訊いていたけど、それがどうかしたのかな」

「重要なのは昨日見かけた、って言ってた方でしょ」

「え、よくそんな一言覚えてたね。……昨日見かけたって、一緒に帰ってるところを?」

「それしかないよね。万年のことだったら」

「ええ、だから何なんだろう?」


 私には理解できない。乙女の会話はどうにも複雑怪奇だ。バシバシ直接言い表してほしい。


「なんとなく私にはわかるけどなぁ」


 と落ち武者が勿体ぶるので、私は彼女に「さっさと言ってよ」とせがむ。

 すると彼女は何気ない様子で、


「万年のことが好きなんじゃん? で、嫉妬? してるんでしょ、香音ちゃんに」


 はああ?

 乙女の思考は複雑怪奇で、だから、落ち武者が何を言っているのかいまいちわからないのも当然と言えばそうだったが、これはひどい。ひょっとして私の方が頭がおかしいんじゃないのかと疑ってしまうほどだ。


「で、なんでいじめるのさ。てか、そもそも嫉妬? それが意味わかんないんだけど、もうちょっと説明してもらってもいい?」

「え、香音ちゃんってそんなにバカだったっけ?」


 どうやら私の頭がおかしかったらしい。なるほどね。

「いやだってさ、もし、仮によ? 有田さんが万年のことを好きで、その万年が私と一緒に帰ってる姿を目撃したとして、なんで嫉妬するのさ? 普通じゃん? 私と万年が一緒に帰ってるのなんてさ。家近いし、幼馴染なんだよ?」

「ふ、つう、だけど、男女で一緒に帰ってたら、それがデートしてるように、とか、恋人同士、のように見えても仕方ないんじゃない? それに、香音ちゃん、今日囲まれてるとこから抜け出して屋上行くとき手ぇ跳ね除けちゃったでしょ? あの態度のせいで、暴力振られたー! → じゃあアイツやっちまおうぜ、ってなってもおかしくはないんじゃない?」

「お、かしくない、かな~?」

「あるいは、彼女、もう万年と付き合ってるのかもね~」


 彼女の言った言葉はことごとく現実味のなく、私には理解しがたかったが、何にせよ、だ。考えても仕方のないことってある。それだけだ。それだけの話だ。三人集まって文殊菩薩の知恵を借りようともわからないことって世の中にはあるし、ましてや私たちは二人で、しかも高校生なのだ。

見えない場所や未来や、人の心は見通せない。当たり前のことだ。ならば、それはすべきことではない。無意味だ。

今私がやるべきことは、寝ることだ。瞼を閉じると、すぐに眠っているのか起きているのかわからない浮遊感が訪れた。


「おやすみ」


 どちらが言ったのかはよくわからなかった。



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