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7

 黙々と板書をとっている契吾の机の上に、私は何回か折りたたんだメモ用紙をぽいと投げ入れた。契吾はびくっと首を動かし、私の方を睨んで、邪魔をするな、と口パクで言った。

 私は契吾に、その紙をちょいちょいと指さすことで、読め、と指示した。紙には『昼休みに屋上で』と書かれている。彼は紙を開いて文字を確認すると、何度か頷き、ぐしゃりと握りつぶしてポケットに突っ込んで、板書を再開した。よしよし。

 先生が問題の解説をしている最中にベルが鳴り、次第に廊下がざわつき始めた。しかしキリも悪いので先生は授業を続行する。そんな彼に私は苛々し始めていた。この後に予定があるというのと、お腹が空いたというのが大きかった。それから二分ほどして問題の解説が終了して、HR委員が号令をかけ、昼休みが始まった。

 教室がざわめきだす。契吾は教科書類を机に入れてレジ袋を持って立ち上がった。私も弁当箱の入っている鞄を取り出して、席を立ち教室を出ていこうとするけれども、それはどこからか聞こえてきた声によって遮られた。


「キリサキさ~ん」

「え……」


 声の主は有田さんだった。彼女は取り巻きの女の子二人と一緒にいるが、いつもの男たちは何故か見当たらなかった。有田さんが私に手を振って、「ちょっとこっち来て~」とよく響く声で言う。


「ね、香音ちゃん、急がないと……」


 そ、そうだけど! でも、ちょっと彼女って名前の読み方の訂正をするのもはばかられるくらい面倒くさいし、ここは言うことを聞いておかないと……。


「な、何?」


 近づいてそう言うと、有田さんたち三人は立ち上がり、私は窓際へと追い込まれた。


「ちょ~っと話があるんだけど。いいよね?」


 有田さんは私の正面に立って、そう言った。両脇には取り巻きの二人。囲まれている形になって、いかにも威圧感たっぷり……。

 有田さんは長く伸ばした髪の毛をくるくると指に絡めていじりながら、言う。


「昨日見かけたんだけどさ~、どういうつもり? 大体亀和くんとアンタってどういう関係なわけ? 去年から思ってたんだけど~」


 ?

 いまいち質問の意図が良く理解できないんだけど……。


「む、昔からの友達だよ」

「へえ。昔って、いつからの?」

「幼稚園」


 なぜ私は尋問されているのだろう。ああ、早く屋上に行きたい、ご飯食べたい! 


「幼馴染ってやつね~。うん、キリサキさん、アンタさぁ、」


 有田さんが何かを言おうとしたところに、ドアの方から声がした。


「おい、早くしろよ」


 あまり大きな声だったので、目の前の三人は思わずそっちを振り向いて様子をうかがっていた。姿は見えないけど声で判別するに、契吾のようだった。契吾はこっちにずかずかと近づいてきて、言う。


「昼休みは無限にあるわけじゃねえんだ、早く来い」


 屋上で待ち合わせ、だと思って彼を待たせてしまいそうで少し申し訳なかったのだが、彼はストーキングしていない私が気になって戻ってきたらしい。


「おい、先行ってるからな」


 そう言って契吾は本当に行ってしまった。最初からそうしてくれてよかったのに。今回は助かったけど……。

 私ははっとして、目の前の三人に謝った。


「ごめん、先約があるからまた今度」


 有田さんと取り巻きの間から私はそこを抜け、「ちょっと待ちなよ」とか言いつつ取り巻きに手首をつかまれたけど、それを無理やり振り払い、急いで教室を出て屋上に向かった。私は特に後ろを振り向くことはしなかった。

「大丈夫、追いかけてきてないよ」と、落ち武者。


「二度と関わり合いになりたくないもんだね。ああいう怖い人とはさ」


 しかし、彼女の話が一体何を本題としていたのかについては少し気になるな……彼女が万年と同じ部活に所属してるってことは昨日聞いていたけども、その万年が一体どうしたというのだろう? 


「ま、いっか」


 考えてもしょうがないことって世の中にはあるし、そういうことを考えてる奴って大抵前には進めないのだ。例外は哲学者くらいのものだろう。私はとにかく、ここ数年で一番重要であるところの、今から屋上にて行われる契吾との対談についてだけ考えていればいいのだ。今だけは、ほかの何もいらない。

 契吾は外には出ないで、扉の前の階段に腰かけていた。何もせず、隣に置かれたビニール袋に手を付けようとするでもなく、ただ座っていた。私を待ってくれていたのかもしれなかった。ガラスから射す光がそこらを舞う埃を照らしていた。逆光で彼の顔部分や服が薄暗く影になっていて、写真にでも収めてしまいたいくらい様になっていたが、私はそうせず彼の隣に座った。


「屋上には出ないの?」

「今日は暑いからな。別にいいだろ、どこでも、他人に聞かれさえしなきゃ……アンタ、さっきのやつらに付いて来られてねえだろうな」

「あ、うん、たぶん大丈夫」


 ここに着くまでに落ち武者には限界まで私から離れてもらって物陰の後ろまで見させたから、間違いはない、はず……。


「そうか」


 契吾は袋からコンビニおにぎりを取り出した。具はツナマヨだった。彼はビニールを剥がしながら、


「食いながら話そう」と言った。私はそれに同意した。


 パリッ、という音とともに契吾はおにぎりを咀嚼した。口いっぱいに頬張って、やけに美味しそうに食べるものだと思った。見とれていると、彼は私の方を向いた。


「食べないのか?」

「あ、うん、食べる食べる……」


 箱を包んでいた布を取り去って、弁当の蓋を開けると、白米、梅干し、ミートボール、ソーセージ、玉子焼き、レタス、……うげ、ミニトマト。トマトが嫌いだと知っているくせに性懲りもなくトマトを弁当に入れてくるのだ、私の母は。理由を聞くと、赤色が欲しかったから、だと。そんなの梅干しで事足りるっていうのに。仕方がないので最初にトマトを口に放り込んで、まずは飴玉のようにころころと口の中で転がす。しばらくそうして、覚悟が決まったので私はトマトを噛み潰した。ぷちゅ、と音を立てつつ酸っぱい液体が口の中に広がり、土臭さが鼻の奥に到達した。嘔吐感から、喉の奥が広がった。顔を歪ませつつなんとかそれを飲み込んで、直後に、カフェオレを体に流し込んだ。この口の中に残る、思い出しただけで吐きそうになってしまう『トマト感』を、今すぐどうにかしなければならなかった。


「ぶは、はぁ、はぁ、……まず」

「相変わらずだね、香音ちゃん」


 うるさい。そう思いつつ落ち武者を睨んだ。お前にはわかるまい、身体が拒否しているのに無理やり異物を詰め込むことの辛さなんて。

 ふと気が付くと、契吾が興味深そうにこちらを見ていた。


「な、なに」

「トマト苦手なのか?」

「え? うん」

「そうか……」


 契吾はそれだけ言っておにぎりに再び向き直って、


「俺もだ」


 とつまらなそうにおにぎりをまた一口。少しだけ笑ったような気がした。


「トマトは好き嫌いが分かれるから、友達にそう言ったら『え~? 信じられない! あんなに美味しいのに!』とか言われるんだよね、信じられない話だけど」

「ああ、そうなんだよな。どうしてあんな食べ物を食べられるのかなんて理解できないがトマトが好物ってやつも一定数存在するっていうのが事実で――って、そんなことどうでもいい」


 私はトマトに活路を見出した。現在私と契吾の間に存在する数少ない共通点をうまく活かして会話していかなくてはならない。そう思いその話題を続行したのだが、そんな私の決意も虚しく会話は打ち切られた。私は仕方なく黙々とミートボールとレタスを処理することに徹した。


 落ち武者はずっと黙っていた。今回は私に一任することにしたのかもしれない。

 契吾は新たに炒飯おにぎりを袋から取り出して、ビニールを剥がそうとするも、思いのほか苦戦するようで、米粒がぼろぼろとこぼれていた。やっとすべてのビニールを剥がすことに成功すると、契吾は口を大きくあんぐりと開けて二口ほどでそれを食べてしまって、緑茶をのんだ。ペットボトルから口をはなすと、レタスをもしゃもしゃと食べていた私に、「おい」と声をかけた。彼の瞳はまっすぐと私に向いていた。彼は目を細めてはいたが、睨んでいるという感じではなかった。


「あんたがどういうつもりかは分からないが、昨日からどうしてつきまとってくるんだ?」


 本当につきまとってるってみなされてる……。レタスを飲み込み、言う。


「そりゃ、友達が欲しいから? だよ」

「友達ねえ……ま、何でも構わないけど、俺に関わるなよな。もう何べんも言ってることだぜ」

「いや、私からすれば契吾の方がどういうつもりなのかわかんないんだけど。何でそこまで突き放すわけ?」

「いろいろあんだよ、人には。詮索すんな」


 おや、逆鱗ゾーン。一気に彼の表情が不機嫌になった気がする。

 しかし私はここで諦めるわけにはいかなかったし、ここである程度の決着をつけなければならなかった。友達とは言わないまでも、彼に滞りなく話しかけることのできるくらいの関係には、なっておきたかった。今では彼は、私の隣の席で少し関わったことのあるから効率よく友達になれそう、というだけの人間ではなく、落ち武者が見える人間でもあるのだ。絶対に諦めてはならなかった。


「わかった。それはもう訊かないけど、でも、別にいいじゃん? 契吾だって、友達の一人や二人いた方がいいって。勉強とか教え合えるし、宿題忘れても見せられるし」

「あんたと一緒にするな。俺は一人でもその辺うまくやれてんだから」


 契吾は野菜ジュースの紙パックを取り出し、ほとんど一瞬でそれを飲み干し、握りつぶしてレジ袋に入れた。


「っていうかそれがあんたの目的か。は、友達だなんてよく言うもんだぜ。友達ってのはそういう打算的なもんなのか?」


 契吾は息を吐いた。相も変わらず、彼はつまらなそうだった。


「ち、違うよ。今のはメリットを挙げただけ……そういう打算的な部分もあるけど、友達っていうのは、基本的にこう、一緒にいて楽しいもののことを言うはずだよ。きっと。すばらしいんだよ。絆で結ばれてるんだよ」

「友達がいないアンタがそれを言うのか。いや、友達がいないからこその幻想か」

「い、いるよ!」


 契吾は私を疑っていた。


「いたら、わざわざ俺なんかと友達になろうだなんて、思わないだろう――ああでも、思い出した。昨日のやつか……て、男かよ」

「幼馴染だよ。昔からの仲なんだから、性別なんて関係ない。家族みたいなもん」

「…………」


 彼は私の発した言葉に思うところのあるようだったが、特に何も言わなかった。家族みたいなものだって言うなら、友達じゃないんじゃないか、とか言いたいのかもしれなかった。

 少し間をおいて、会話を続行した。


「あんた、俺なんかよりもまず女の友達を作った方がいいんじゃねえの。ほら、さっきいたやつとかどうだよ」

「いや、あの人は怖いから」それに、顔がタイプじゃないし、と心の中で呟く。


 もちろんそれは、目の前の彼に聞こえるはずもない。


「怖い?」

「……? うん、怖いでしょ」

「ああ……でも、よく考えたらあいつはやめといたほうがいいな、うん」


 彼は一人で頷くと、袋から菓子パンを取り出した。


「あいつこそ、打算的な友達ってやつを沢山抱えてる感じがするからな。あいつと友達になったりしたらあの取り巻きみたいにいいように扱われるかもな」


 契吾は、「まあいいけど」と言うと、私に人差し指を向けた。ええい、指をさすな、指を。


「あんたに話したいことはそれだけじゃない。単刀直入に聞かせてもらうが……」


 契吾は、私に向けた指の角度を斜め上に動かした。


「そこにいるのはなんだ?」


 契吾が指をさした先には落ち武者が浮いている。落ち武者は、話題がようやく自分に移ったことが嬉しくてたまらないらしく、にやにや笑っている。


「あんた、この幽霊に憑りつかれてんのか?」


「幽霊じゃないよ!」



 突然落ち武者は叫んだ。先程までのにこやかな様子から一転、髪が天を衝くといった感じで怒り狂う。落ち武者に対して幽霊扱いをしてはならない。常識である。


「うおっ、」


 契吾は目を見開きびくんと肩を跳ねさせ、腕でガードする姿勢をとって、震える声で言った。


「おお、お、おい、そいつ、俺のこと呪ったりしないだろうな」


 ……情けなっ。先程までの不遜な態度はいったいどこへ行ったのか、彼は完全に落ち武者におびえていた。


「しないしない。この子は私たちに触れないんだから。……亜音、幽霊扱いされるのも仕方ないって話したでしょ? つまらないことで怒ってビビらせてちゃ逃げられるだけだよ」

「で、でも、私は人間だよ。生きてるもん」落ち武者はそこだけは譲れないといった様子だった。


 以前、まだ小さかった頃に、「亜音って幽霊なの?」と尋ねたことがあった。彼女はその頃にはまだよくわかっていなかったようで否定とも肯定ともとれぬ返答をしたが、時が経つにつれて、彼女の、自分が人間であるということに対するこだわりは強まってゆき、いつしか幽霊扱いするとキレるようになった……。

実際のところその幽霊扱いが間違っているのかというと、それはよくわからない。生霊とかそういう言葉もあることだし、彼女が該当するカテゴリはどこかしらにありそうだけど、それをわざわざ探すことはしていない。落ち武者は人間なのだ。彼女をこのあだ名で呼ぶと怒ることにも、彼女のその意識が存分に関わっていると思われる。


「偶然、身体がなかっただけ。化け物扱いしないで」


 私と落ち武者は同じ母体から産み落とされる中で、同じ魂が二つに裂け、片方だけ身体を持ち得て、もう片方はそうじゃなかった、それだけなのだ、たぶん。世界のどこかでは私たちと同じような現象が起こっている人もどこかにはいる、珍しいが、なくはないようなことなのだ。落ち武者は身体がないだけの人間で、私の双子の妹。いいじゃないか、それで……。

 でもそういう彼女に対する理解はずっと一緒にいる私だからできることであって、契吾に私と同じようにしろと言ったところで、それは無理な話だった。

 どうやら落ち武者が自分に無害らしいと知った契吾は、


「いや、幽霊だろ」


 と自分の主張を決して譲ろうとはしない。彼は実は頑固らしい。


「だから違うって!」と落ち武者がいくら否定しても、彼は聞く耳を持たない。

「いや、どう考えても幽霊だろう」

「違う!」

「じゃあ逆に幽霊じゃないってんなら何だってんだよ。答えてみろよ、ほら」

「人間だよ! 私は生きてるんだから」

「体がなかったら生きてるって言えねえだろ」

「死んだことがないんだから生きてるんだって!」

「いや、生物学的に『生きてる』ってのは――――」

 

 それどころか二人で口論になりかけていた。いつの間にか、打ち解けている……。

 なんだか楽しそうだ。

 二人とも、ムキになっちゃって――生き生きしている。

 仲間外れにされたようでなんだか寂しいが、これで弁当を食うことに集中できようものだ。

 弁当箱をカバンにしまっているときに、彼らはまだ口喧嘩をしていた。しかしそれは言うこともなくなり自分の感情をぶつけあうためだけの稚拙な言葉をぶつけあうだけの幼稚なものだった。張り合う彼らをほほえましく思いつつも、ずっとそうさせているわけにもいかないし、私は二人の会話に割り込むことにした。


「亜音、契吾、お楽しみのところ悪いんだけど、そろそろ時間だよ」

「ああ、」


 契吾はよほど夢中になっていたのか私の言葉に反射的に頷いて、腕時計を確認し、「そうだな」と言った。


「別に楽しんでなんかないよ、香音ちゃん」

「はいはい」

「ああ! 信じてない! 信じてないときの顔だ、それ! にやつくなー!」

「はいはい」


 私は怒れる落ち武者の言うことを流して、契吾に向き直った。


「――ってことだから、これからもよろしくね」

「はあ? なんでだよ」


 契吾は流石に首を傾げた。そりゃそうか。


「この子と、これからも仲良くしてほしいんだよね。もちろん私とも」

「だから、何度言えばいいのかわからないが……」


 出かけた彼の言葉を、右手を突き出すことで遮って、私は言った。


「おっと、その選択は、それでいいのかな?」

「……は?」


「あんたには亜音のことがある程度はっきり見えてるようだけど、例えば授業中に、目の前にずっと立たれてたり騒ぎ立てられたり、そういうことをされたらどう思う?」

「……脅してんのか」


 契吾は忌々しそうに舌打ちをした。あまり授業を真面目に聞いている感じでもないから意外に感じるが、授業中の安眠を阻害されるというのは彼にとっては重要案件だろう。

 そんな彼に、私は肩をすくめて見せた。


「別に? まぁ、あんたがここで一言肯定してくれるだけで私はそういうことをさせはしないだろうけどね。大丈夫、私たち、仲良くやっていけるよ」

「…………………………………」


 彼は長いこと黙り続けた。その間彼は眉をしかめ、歯を強く噛み合わせながら、自分の手元を眺めていた。ぽき、ぽき、と指関節を鳴らしていた。指が太くなるからやめた方がいいんだけど、なんて思いつつ私は次に彼が何か言うのをただ待った。

 契吾は目を瞑り、ふう、と息を吐くと、「わかったよ」と言った。人間関係の煩わしさを避けるよりも安眠を阻害されるのを避ける方が優先されたらしい。

 しめしめ、上手くいった。


「ただし、あんまりうぜえことはするなよな」


 私は彼に親愛を込めて、にこりと笑って見せた。


「了解、私は霧咲香音で、こっちが亜音。よろしくね?」

「気持ち悪いからやめろ」


 ばっさり。

気持ち悪い……? 

落ち武者を見ると、彼女は困ったように愛想笑いをした。おい、はっきりと言え。


「他人と関わらず、表情を使うこともしてこなかった奴が自然に作り笑いなんかできるわけねえんだ」

「あ、うん」


 成程正論っぽい。しかし彼にはあまり言われたくなかった。

 彼がビニール袋を持って立ち上がり、階段を降り始める。私も立ち上がると、ちょうど予鈴が鳴った。


「急いだほうがいいね」と落ち武者が言う。

「次何だっけ?」


 と私が訊くと、

「英語。百川」と契吾が答えた。

「ああ、始まった時に準備がちゃんとできてないと怒られるかも……予習やってたっけ……」

「あんたは怒られ慣れてるだろ。朝だって怒られてたし」

「慣れてたって怒られるのは嫌だよ。ストレス溜まるんだから」

「大丈夫。いざとなったら私が隣の席の人のを教えてあげるから」

 落ち武者が笑った。

「亜音ナイス」

「止めろ」


 私たちは、よーいどん、で走り出した。契吾は足が速い。私は一気に距離をはなされた。

 授業開始二分前に教室に何とか辿り着き、急いで授業の準備を始めるも、英語の教科書とノートがどこにも見当たらなかった。机にもカバンにもロッカーにもない。

 しまった、忘れちゃったか。やはり運勢最悪。いや、ただの注意不足なんだけど……どこかではきっと関係してるはず。

 しかしこの時間じゃあ、他のクラスに借りに行くこともできやしない。と言ってもその相手は万年くらいしかいないのだけれども。知らない人に声をかけるのは流石に憚られた。

 仕方ないので、ベルが鳴った丁度に先生が教室に入ってきたところに行って、頭を下げた。先生は「お前は何をしに来たんだ」とごもっともすぎてもはや聞く気にもならないことを言ったけども、珍しくそんなに怒りはしなかった。私の迅速な判断が功を奏したようだった。不幸中の幸い。今朝の神頼みが効いてきたか……? 

席に戻ると契吾が馬鹿を見る眼つきで私のことを見ていた。私はそれに少し腹が立ってきたけれども、昼休みに彼と友達になれたということを考えると、私の運ってそんなに悪くないな、と思えた。マイナスもあるが、プラスである程度打ち消されている。運勢最悪と診断されて実際に運の悪いことが起こっている中で、望み通りの良いことも怒っている私は実は運がいいんじゃない? 

私はフハハと笑った。


「こら、霧咲。何笑っとるんだ、お前反省の欠片もないな! 授業終わったら職員室に来い!」


 ……おいおい。


「ばっかだねぇ、香音ちゃん」


 落ち武者が私を嘲笑した。私は頭を抱えた。

 くそ、これもあれも全部朝に観た星座占いのせいだ。あんなもののせいで良いにせよ悪いにせよ自分の意志が引っ張られてしまうのだ。運勢の結果が最悪だと、何となく今日は悪いことが起きるような気がして、心に不安がつきまとってしまい、やることなすことに影響が出るのだ。プラシーボ効果ってやつかな。運勢を占ってるんじゃなくて、占った結果、運勢が確定してしまうのだ。それは悪いことが起こったら占いのせいにして心の盾にできるという良い面も持ってはいるけど、でもやっぱり占いに自分の行動が引っ張られてしまうというのは悪いことだし、そもそも占いなんてくだらないものだから、占いを言い訳にするなんて情けないことなのだ。こうして恥をかいたことも占いのせいにしてしまう自分に嫌気がさす。

 占いなんて見ない方がいい。これが世界の真理だ。

 もう早起きしても占いなんて見ないぞ。そう私は心に誓った。


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