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 友達友達言ってるけど友達って何? どこからどこまでを友達っていうの? 正確な定義を聞いてみたいんですけど? 

 そんな言葉も実際に口には出さないから誰も答えちゃくれなかった。愛するわが妹でさえ、私の表情から読み取ることは叶わない。

 七時間目の授業中、私は何もかもが面倒になっていた。嫌になっていた。この授業が終わった後下校するのも億劫だし、かと言って学校にいたくもなかった。家に帰りついて自分の部屋に入って布団にもぐりこもうものならば一生そこから出てこられるような気がしなかった。

 相変わらずの睡眠、睡眠、睡眠。

 菫契吾は授業中に眠っていても先生に注意されないし、休み時間中にも寝ているのでフリかもしれないと思いつつ話しかけることはできなかった。しかも私が六時間目の授業でつい居眠りをしてしまうと、きっちりと注意を受けた。隣のこいつも眠っているというのに! 私が説教を食らっている最中だけは要領よく身を起こして板書なんてしてやがる。


「機嫌直しなよ、香音ちゃん~」


 私は別に不機嫌などではなかった。次の作戦を練っていたのだ。確かに、それを実行に移すことを考えて自然不機嫌そうな顔にはなっていたのかもしれないが。何せ、私は運動が苦手なのだ。この度の作戦は多少激しい運動を伴う。そのことについて気に病んでいただけだ。断じて不機嫌なんてことはない。

 私は落ち武者を睨んでから、身振り手振りで私がノートに書いたメモを見るよう指示した。落ち武者はそれを読んで、渋々であるが、納得したようだった。

 HR(ホームルーム)が終わると、契吾は私が話しかける間もなく鞄を背負い、教室を飛び出そうとする。部活の練習に向かう野球部よりもスピーディーだった。しかし私はそれに負けていなかった。いや、むしろ、彼を上回っていた。

 誰よりもドアに近い私は契吾が外に出るよりも先に鞄を持ってドアを開けて廊下に出て、すぐにドアを閉めた。これが、ほんの一瞬であるが時間稼ぎになるはずだった。そして私は下駄箱へ走った。私の持てる全速力で駆け抜けた。途中で教師とすれ違い注意されるなんてこともなかった。むしろ契吾の方は教師による足止めを食らったらしい。「菫ェ!」という体育教師の野太い声が後ろから私の耳に届いてきていた。私は無事に契吾よりも早く下駄箱へたどり着いた。その頃には私はまともに息ができる状態ではなくなっていたので、無事と言えるかは怪しいものだったが……。激しく肩で息をしながら、ロッカーに手をついた。ロッカーは金属製で、灰色だ。

 どこからか異臭が漂ってきた。魚を腐らせたようなにおい。このところいつもこうだった。相当に足の臭いやつもいるものなんだなと思っていた。

 あとから来た優しい野球部員やサッカー部員のクラスメイトが大いに疲れている私を見て、「大丈夫?」と笑みを含みつつ心配の言葉をかけてくれる。死ね。

 こっちだって別に遊びでやっているわけじゃない。目的に向かって真剣にやっていることなのだ。馬鹿にするな。とか、被害妄想も甚だしいか。


「ちょ、ちょっと、香音ちゃん? 人に向かってそんなに眼光をぎらつかせちゃダメでしょ?」

「大丈夫だって。どうせこっちなんか見てない……」


 私は小さく呟く。私は今のところ、クラスの誰ともかかわりを持てていない透明人間にも等しい存在なのだ。ほら、彼らは私を二度見ることはなく部室へ猛ダッシュ。

 私はスリッパを下駄箱に入れてローファーに履き替えた。そして少しそのままそこに立っていると、契吾が階段を下りてくるのが見えた。彼は私がここにいることを認識して、苦いものでも食ったような顔をした。そんな表情のままこちらへやってきて、自分のロッカーの前で立ち止まった。そして、こちらを見ずに素っ気なく言う。


「何やってんだよ、ぼけーっと突っ立って……正直、間抜けだぜ。早く帰ったらどうだ」


 それは、彼なりの優しさなのかもしれなかった。言葉に棘があるように感じるのは私がしつこいからとかじゃなくて先程先生に注意されたからなのだ、多分。


「何、って、アンタを待ってたんだよ」

「はあ?」


 そう言って泡を食った顔をする契吾は相当に表情豊かなのだと今気づいた。彼はやっとこっちを向いてくれた。


「今日、一緒に帰ろうよ。てか、遊ばない?」


 私は不敵な表情を浮かべていたはずだが、視界に入った落ち武者はそんな私を見て、なぜだか呆れ顔をしていた。


「遊ばねえよ。先に帰ってろ」


 契吾は明らかに苛立ち始めていた。さっきからやたらと私を先に帰らせようとするのには何か理由があるように思えてきた。

契吾はロッカーを開こうともせず、下駄箱の前に立ち尽くして私と喋っていた。ほかの生徒たちも続々と現れていた。私たちはそんな彼らにとって、明らかに邪魔になっている。 


「……分かった、じゃ、とりあえず先に出ておくから」


 そう言って私は校舎を出て、下足室の扉の前で待った。


「香音ちゃん、なんかしつこすぎて気味悪がられてると思うんだけど」


 私は肩をすくめてみせた。落ち武者はますます呆れたようで、やれやれといった風に首を振った。他人から見れば私はひとりで海外ドラマのリアクションをしている頭のおかしい日本人という風に映るんだろうなぁとか思った。

 何分か経って、契吾は外に出てきた。いつもの不機嫌そうな面だった。彼は私を一瞥して顔をしかめて、すぐにその場を立ち去ろうと歩を速めた。どうにも契吾は考えていることが表情に出やすいみたいだ。私はそんな彼を疲れた体にムチ打ちつつ追いかけ、彼の肩に手を置いてその場にとどめた。


「待って、待ってよ」

「あんた先に帰るんじゃなかったのかよ」

「そんなこと言ってないよ。一緒に帰ろうって言ったじゃん」


 契吾は納得がいかないようで、嘆息して、自分の肩から私の手を払い、また歩き出した。


「じゃあな」

「ああ、もう」


 私は融通の利かない契吾に少しムカついてきていた。この作戦はもう少し後に使うはずのものだったのだが、仕方ない。

 私は契吾から距離をとられすぎないよう必死に早足で歩きつつ、後ろからふよふよと浮かんでそんな私の苦労も知らない落ち武者に見えるように右手を挙げた。それは、さっき授業中にメモ書きで伝えておいた合図だった。落ち武者は訳が分からないながらもきっとそれに従うはずだった。

落ち武者は私の後ろから契吾の目の前に移動した。それだけで彼の動きは少し滞っており落ち武者が勘の鋭ければそれがどういうことを意味するのかに気づけたはずだが生憎、彼女は少し抜けていた。だからダメ押しで私はもう一つ指示を出しておいたのだ。次に落ち武者は契吾の首に向かって手刀を放つ――――


「うおおおっ」


と契吾は大きな声で驚き、顔の前を腕で庇い、上半身を大きくのけぞらせ、数歩、後ろに下がった。彼から離れまいとして追いかけていた私は必然、彼の背中に頭を思い切りぶつけた。脳が少し揺れ、くらくら混迷する感覚を味わった。

 しかし、これで決まりだった。

 周囲から見れば彼はただの変な人にも見えただろうが、私にはわかっていた。何故ならそれは、私も変な人だからだ。

「え、え、え、え~~~~っ‼」


 その次の瞬間、落ち武者は甲高い声を上げて空高くへ飛び跳ねた。上限五メートルの見えない壁に頭をぶつけて痛そうにしていた。これでおあいこだなと思った。落ち武者は自らの頭をさすりながらも大興奮の様子で契吾の顔をのぞいたり、彼の目の前でおーいと手を振ってみたり、彼の周囲をぐるぐると回ってみたりしている。契吾は迷惑そうな面持ちをしているが落ち武者がそれを気にしている様子はなかった。彼は心底うざそうに嘆息し、私にこう提案してきた。その瞳にはそれが不本意であるとの意が存分に込められていた。


「どっか二人きりになれるところを探すぞ」


 なに、その提案。エロい……。

 私はにやつきながらそれに同意した。

「いや、三人きりだよ!」と落ち武者。

 いろいろと本来予定していたのとは食い違ったけども、とりあえず思い通り!

 私はルンルン気分でさあどこへ行こうという感じだったのだけれども、そこで誰かに後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには万年がいた。

 そっか、今日ってテニス部、休みだったっけ……。

 万年は童顔で身長も相変わらずそんなに高くなくて細身で、でも運動神経にはなかなか目を見張るものがあり、中学から続けているテニスは特に上手で、今度の高総体でも良い結果を残すはずだった。お調子者で明るい彼は勿論、今でもクラスの人気者で、通りがかった時に教室のにぎわっている中心地にいるのはたいてい彼だ。彼と幼馴染だったからこそ私にも友達の友達くらいのものはできたのだし、彼と幼馴染だったからこそ私はまともでいられたのかもしれない。


「やっぱり香音じゃねーか、なんか久しぶりって感じだな! たはは。今日俺部活休みだからさ、久々に一緒に帰ろーぜ……って、お? 誰だよその人。友達?」


 と、くりくりとした目を更に少し見開いて首をかしげ、契吾に視線を向ける万年……。

 ど、どうしよう。私は焦って契吾に目を向けると、契吾は息をついて、目を瞑って、


「明日でいい。じゃーな」


 と言い、駐輪場へ向かっていった。少しほっとした。とりあえず明日に話せるらしい。落ち武者は「えー!」と嘆いて不満そうだが、とりあえずこれでいい。

「もともとアンタ的にはこっちが目的だったんじゃないの……?」と私が小さく呟くと、落ち武者はしょんぼりしながら「そうだけど……」と名残惜しそうに契吾を見ていた。契吾は一瞬こっちを見て、自転車にまたがり漕ぎ出すとすぐに見えなくなった。


「なんか言った?」


 と万年が尋ねてきた。


「いや、ううん、なんでもない」


 至近距離でも聞こえないほどの小さな声であろうと、私たちは発声してしまえば互いに聞き取ることができる。どうしようもない時……なんて多分ないけど、そんなときにはこうして怪しまれず会話する。

 ひとまず私たちは歩き出した。

「や、てかごめんな~」と、突然謝る万年。

今度は私が訊く番だった。


「え? 何が?」

「いや、さっきの人、なんか香音に用事あったんだろ?」


 そういうことね。


「まあね。でもあの人も明日でいいって言ってたし、私的にもこっちの方が重要だから」

「お、言ってくれるね、口がお上手だね、にくいねにくいね~!」

「あははは!」

「そういえばさ、お前らのクラス、なんかやべー奴がいるんだろ?」

「やべー奴?」


 奴ってだけ言われても何にもわからないけど。


「ああ。席替えの時に新しい自分の席に前の人が使ってた教科書があったからってそれ全部手で払っちゃう、みたいな」


 それ契吾じゃない? と思ったけど別に言わないことにした。


「注意したけど聞かなくて、睨みもすごいから不良みたいでちょっとおっかないってさ。ミチヨが愚痴ってたぜー?」

「へぇ……」


 確かにあの時の契吾は、有田さんたちサイドにも問題があったけれども、流石に乱暴だったし態度もぶっきらぼうすぎた。それを他から見咎められるのは仕方がないことだったし、実際私もあそこで有田さんに無視のようなことをされてさえいなければ契吾が百パーセント悪いのだと判断していたかもしれない……っていうか、今聞き慣れない名前が耳に入ったんだけど。


「ミチヨって?」

「ああ、あれ、同じクラスだろ? しかも二年連続」

「あぇ?」

「有田だよ。有田(ありた)()()()

「え、ああ、有田さん。そんな名前だったんだ……」

「はは、ひでえな。二年も同じクラスなのに名前も覚えてないって」


 仰る通りだった。でもどうせ相手だって私の名前を憶えてなんかないだろうと開き直ってみた。落ち武者が、「私は知ってたよ」とどや顔で自慢してきた。ふーん、なんかどうでもいい。


「って、え、万年って有田さんと仲良かったっけ?」

「そりゃ、まぁ、な。そうだろ。去年同じクラスだったし、テニス部だし」

「あ、そうなんだ」


 『去年同じクラスだった』という理由で仲がいいというのには釈然としかねるけど、同じ部活だったらそうか、仲良くもなるかもしんないな。うーむ。

 そこからは普段通りにたわいない話をした。それなりに久しぶりだから普段通りというのもちょっと変だけど、とにかく普段通りに。それは私も万年も特別意識せず肩に力も入れずに行えることだった。私たちが幼馴染であるからこその行動だった。


「やっぱ、久々だけど香音と喋ってるとなんか安心するわ! ぶっちゃけ、野郎どもと喋ってる時くらい気を遣わなくて済むもんな! 気ぃ抜いたらうっかり下ネタぶっこんじまいそうになるくらいだぜ、て、女子にそれは流石にまずいか、あははは!」

「そうだよ。気を付けてよね、ただでさえ高校生っていうのは感受性豊かなんだから……ま、私は今更下ネタの一つや二つ、どうってことないけどさ」

「それもそうだな、でも一応気を付けるかな! ははは」

 

 マックに立ち寄ってハンバーガーとシェイクを二人分注文、フライドポテトを一つ頼んで二人で分け合って、食べながら、明るく漫画の話、いやだねーと笑ってふざけながら進路の話、万年は部活の話、イトウくんが筋トレさぼってコーチに怒られた話とか、本当にどうでもいい話、どんな話でも喋ってれば楽しかった。可笑しかった。落ち武者も笑っていた。彼女は私たちを見てほのぼのとしているようだった。それを見て、私はこれでいいんだと思った。これでいい。落ち武者が言うのだから、万年とこうしていられる頻度をできるだけ増やせるように頑張らなきゃな、と思った。そうすれば彼女は喜ぶ。幼馴染同士でわざわざ頑張るの? 頑張らなきゃいけないような関係性なの、幼馴染って? みたいな考えを捨てるのだ。よし、意を新たにして頑張ろう。頑張ろう……。

 冷めたポテトはまずい! とか言いつつも笑いながら全部平らげると私たちは店を出て、少し歩いてから別れた。


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