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「名字で呼ぶな。あと、話しかけないでくれ」

 

 死にたい。


          *


 勇気を出してほとんど初対面の男子に話しかけてみたらあっさりと目も合わせずに拒絶され、私はショックのあまりふらふらと教室を出て、あてどもなく呆然と廊下を歩いていた。

 やはり私などが友達を作ろうというのは、それはそれは罪深く、身の程をわきまえていない行動だったのかもしれない。そう思わされたのは、関わりのない人間に対してあそこまで拒絶反応を示されるというのはどう考えても自分に責任があるからとしか思えないからだった。


「か、香音ちゃーん? もうチャイムなっちゃうよー?」


 そんな落ち武者の声で私ははっと正気を取り戻した。もう六月だっていうのに朝に吹く風は少し冷たかった。空は気持ちよく青く、小さな雲が一つぽつんと浮いているのみだった。

 私は屋上に来ていた。

 無意識のうちに飛び降り自殺志願者となっていたのかもしれなかった。もしくは、とにかく一人になりたかっただけなのかもしれなかった。

 もちろんこの時間に誰かがいようはずもない。私はふうと息をつき、落ち武者に言った。


「こんなところにたどり着く前に止めて欲しかったんだけど」

「いや、いやいや! 香音ちゃんが聞こえてなかっただけだって!」

「そうやって何でも人のせいにしてれば楽かもしれないけどね、言っとくけど人生ってそんなに甘くないよ?」

「それは香音ちゃんの方でしょ……でも今回ばっかりは人のせいにしてもいいと思うよ」

「は?」

「挨拶しただけで初めて話す相手がああも拒絶してくるんなら相手のせいじゃない? 流石にさ」

「そうかなぁ……?」


 私は先程の菫くん――名字は嫌だって言ってたな。えーと、契吾くんとの会話は、


『おはよう、菫くん!』

『名字で呼ぶな、あと、話しかけないでくれ!』


 成程。たった二、三言程度の会話だったが、私にはわかった。私の何がいけなかったのか。それは契吾くんの言葉の中にはっきりと言い表わされていた。そして今私はそれに気づくことができたのだ。

 突然の拒絶にパニックになってしまったが、冷静になれば私はやれる子である。

 始業のベルが鳴った。うちのクラスの担任はいつもベルが鳴ってから五分後くらいに教室にやってきてHR(ホームルーム)を始めるので、間に合わなかったからどうこうといったことはないが、今すぐ戻るに越したことはない。


「……教室行こう」

「そうだね――香音ちゃん、気を落とさないでね、クラスの人間は何も菫くん一人なわけじゃないし」


 心配そうに言う落ち武者に、私は自信満々の笑みを返した。


「でも、しばらくは隣の席なんだし、一番触れ合う可能性が高いわけだから、あの人が一番コスパ高いよ」

「え……、」


 香音ちゃんは特別美人じゃないけどブスでもない普通の顔だし運動も普通にできるし勉強も普通にやればできるし、これと言って特徴もとりえもないけど普通にやっていけば何事も普通になんとかなる普通にいい子だと私は思ってるけど抜けてるところも結構あってしかもなんだかんだガラスのハートだし、そういう自信満々な時にはなんだかお姉ちゃん、不安なんだけど……みたいなことを言っている落ち武者を背に、私は校舎に入った。

 まったく、誰がお姉ちゃんだ。

 落ち武者と私が離れられる距離は最大で五メートル程度。それ以上離れた場合、落ち武者が私に引き摺られるのだ。落ち武者は慌てて私に追いついてくる。

 私は時計を見た。現在、ベルが鳴ってから一分程度経っていた。私は駆け足に切り替えて廊下を行く。


          *


 本日、担任の城ケ崎先生は出張でお休みで、時間に厳しいうえに癇癪持ちの副担任の百川先生がHRに来られていたから、遅れた私はHR終了後に呼び出されてこっぴどく叱られた。たかが数分のことでそこまで怒らなくてもいいだろうと思った。そう愚痴ろうかと思ったら落ち武者に先に言われてしまった。少し面白かった。自分の席に戻ると、契吾くんは相変わらず眠っていた。先程のリベンジをしてやりたいとも思ったけれど、眠っているところを起こすのも悪いと思い、やめた。それが休み時間ごとに続き、昼休みに至るまでの午前中、ついに私は契吾君にアプローチすることはかなわなかった。諦めない私は落ち武者に目をやって、四時間目に使用した国語のノートの端に『今日はすみれくんを追いかける』と書いて見せつけた。落ち武者が神妙な面持ちでこくりと頷いたので、四時間目終了後に契吾くんがビニール袋を持って立ち上がったのを見計らって私もカバンから弁当を取り出し、彼の足取りを、気づかれないようにして追いかけた。何でもないことなのに、探偵にでもなったような気分だ。

 私は少々興奮していた。それは落ち武者も同じことのようで、ときどき私と顔を見合わせては笑っていた。私が何もないところを見てにやりと笑う様子は周囲から見てとてもおかしかったことだろうが、それを気にしている余裕は、私にはなかった。

 彼が向かった先は、私が雨の降っていない昼休みにいつも昼食をとる屋上だった。彼はいつもここで食べているなんてことはないはずだった。何故なら、いつも私がここへ一番に来てここを独り占めしているからだ。この屋上は生徒たちが普段授業を受けている教室からは遠い場所に存在しており、しかもその道順もわかりづらく、誰も時間をかけてわざわざここまで昼飯を食べに来ようなどと思うことはないのだ。

彼が外に出て扉を閉めたのを見計らい、物陰に隠れていた私は階段の前に躍り出た。

 どうしよう。行くべきか行かないべきか。しかしこの機会を逃してしまえば、また無視され続けるのみ。多少事を荒立ててもいいのは、こういった二人きりの機会だけだ。したがって、攻めるしかない。アタック、アタック、アタックだ。


「香音ちゃん、ファイト!」


 私は彼女に、にやりと笑って応じると、階段を一歩ずつ、踏みしめるようにして上った。

 そして扉の前に着いた瞬間、バッ! と、とんでもない勢いで扉が自動的に開いた。否、自動なんかじゃなかった。

 私の目の前には人がいた。契吾くんだった。

 彼に別段驚いてる様子はなかった。要するに、私の尾行はバレバレだったのだ。


「あんたらストーカーかよ」


 契吾くんはしかめっ面でそう私に言ってのけた。彼の表情のレパートリーはしかめっ面か寝ぼけた顔しかないのかもしれないと今気づいた。


「わ、私もここでご飯食べてもいい?」


 私は少々どもりながらもそう発音した。


「別に。俺の土地じゃないからな」


 そう言うと、契吾くんは扉から離れ、レジ袋を片手に屋上の柵のもとに座り込んだ。私はそれを許可と受け取って、彼の正面あたりに座った。パンを齧っていた彼は私の方を見て、心底いやそうな顔をした。


「……別にわざわざ俺の目の前で食う必要ねえだろ」

「え、えっと、話さない?」

「俺と話さなくってもしゃべる相手くらいいるだろ。そっちにしとけよ」

「い、いや、それがちょっとねー……」


 契吾くんは、「そうかい」と肩をすくめて、食事に没頭し始めた。

 なんだか信用していないような態度だけど?


「け、契吾くんはいつもここで?」


 そう訊くと、彼はほとんど睨むようにして私に視線を向けた。


「それはあんたが一番わかってることだろ。俺は今日、アンタらがこっちに来なさそうだからここで食べようと思ってたっていうのに……一人になるには絶好の場所って感じだからな、ここは」

「え、いつも私がここで食べてるって知ってたの?」

「ああ……俺がここで食べようと思ったらいつもいるからな」


 へえ、契吾くんも一人きりになりたくてここを見つけたのに、いつも私がここにいたせいでそれは叶わなかったってわけか……。


「契吾くんはさ」


 と私が言いかけたところ、契吾くんは右手を差し出し、制した。


「ちょっと待てよ、俺、朝からアンタに関わるなって言わなかったか? なんで当然のように話しかけてんだよ。しかも名前呼びって、慣れ慣れすぎやしねえか?」


 あんたがしろって言ったんだろ。あれ、これでいけると思ったのにな……。なら、


「けけ、契吾」

「おい何いきなり呼び捨てしてんだよ」

「し、し親友っぽいでしょ」

「はあ? 親友?」


 なんか口が回るわ回る、まるでよくない方向に回っていく。あぁ、なんで親友とか言っちゃったんだ……? いや、意味の方向としては間違っちゃいないんだけど、ちょっと通り過ぎちゃってる感……。


「そう、私、親友が欲しいんだよ。心が通い合った信じあえる友達? ソウルフレンド? SF? 少し不思議? みたいな」


 と、私はもう何が何だかわからず話し続ける。テンションに口が動かされる。ああ、落ち武者が哀れなものを見る眼で私を見ている。


「親友って何? 友達すらいないくせに……」


 やかましいわ。

 私は心の中で落ち武者のツッコミに対し毒づいた。しかし次の瞬間の衝撃で、小さな憎しみはぱっと消し飛んだ。

 契吾がハッと息をのんだ。瞼がピクリと動いた。喉が鳴った。パンを握りしめた。

 その一瞬だけでであったが、彼は様子がおかしかった。私はそれを見逃さなかった。

 

 契吾は今明らかに、落ち武者の言葉に反応していた。


 私は呆然と契吾のことを見つめてしまった。契吾は何もなかったような態度をとりつつ、言う。


「悪いが本当に心が通い合ったり信じあえるやつなんてのはいないと思うぜ」


 彼は手に持ったパンをバクバクと急いで食べると、立ち上がり、校舎内に入っていった。駆け足だった。慌てて何かから逃げているかのようだった。


「どうしたんだろうね? あの人……」


 落ち武者にはまだよくわかっていないらしかった。

とりあえず私は、彼女にこの事実を黙っておくことにした。もう少し確証を得たかった。

「まあいいけど」と彼女は吐き捨てて、


「とにかく、やっぱりあの人はダメだよ。無理とかじゃなく、ダメ。さっきの聞いたでしょ?」


 うん。彼は過去にいろんなことがあって人間不信になっているのかもしれない。確かに、そういう人の心を開くのは難しいのだろうと思う。そんなふうに私は考えたのだけれど、落ち武者の捉え方はまるで違っていた。


「あの人、重度の中二病だよ。ああいうのをかっこいいと思ってやってんのかもしれない。香音ちゃんが面食いだってことは百も承知だけど、ああいう人に関わっちゃだめだよ。悪影響受けちゃうし大体あのくらいの顔の人なら百人に十五人はいるんだからね。あのぐらいならほかにも全然いるから次を探そうね」


 私はそれをボケのように捉え、一瞬呆れたのだけど、彼女はどうやら本気で言っているようであったし、よく考えてみると彼女の方が正しくて、私の方が間違っている可能性だって大いにあり得るのかもしれなかった。

 しかし二つのどちらであろうとも私はどうでもよくて、彼へのアプローチを続ける気満々だった。一度やろうと決めたことを中途半端に終わらせるのがつらい……のもあったけど、私自身が横着な性格をしているというのが大きかった。     

今からまた誰かに話しかけるのは面倒だ。

その点、契吾と会話することに関してはある程度こなれてきた自分がいた。


「亜音」

「うん?」

「私、友達は顔で選ばないから」

「こら、そういうことは本当に友達ができてから言うんだよ」


 彼女の言う通りだった。

 しかしなんだか釈然としない。

 いまだに私は、自分が本当に万年以外の友達を一人とて持っていないのだということを、心の底では認め切れていないのかもしれなかった。

 やり場のない思いから私は天を仰いだ。朝よりも濃く、鮮やかな青色で、雲の量も増えた空模様。照り付ける日光は眩しすぎて、熱かった。直接見るには辛すぎた。そういう時期にすでに突入しているらしいということを確認した私は、明日からは屋内で食べようと決意した。


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