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 今年は万年とは同じクラスじゃなかったけど、慣れてしまえばどうってことはないな、と考える高二の五月末。私は菓子パンをほお張ったりコーヒー牛乳を飲んだりしていた。春の陽気はとても気持ちがよく、空は晴れ、ほどほどに雲がぷかぷかと浮かんでいる本日の天気は屋上で昼食をとるには絶好の日和といえた。私はいつも一人で昼食をとることにしていた。雨が降ってなければ屋上で、降っていれば屋上前の階段で。

「強がらなくたっていいのに。本当は寂しいんでしょ?」と、落ち武者。

 すぐに万年のことを言ってるのだと分かった。

「さ、寂しくなんかないやい」

「ふふ、何その口調。やいって」

 中学まではよく遊んだりしていた亀和(かめわ)(まん)(ねん)は私の幼馴染だ。名前を馬鹿にされることもあったがその明るい性格からいじめられることもなく、たまにいじられる程度のことで済んでいる。私とは幼稚園の頃からの付き合い――いわゆる腐れ縁というやつで、中学校までは仲良く遊んでいたし、親同士の付き合いもある。私が宙に向かって話しかけているという頭のおかしい行動をとった時にもそのおおらかさ、というかちょっとぼけた態度で流してくれるというような優しさが彼に存在していたからこそ、私と彼の仲はここまで続いてきたのだろうと思う。

「でも最近彼、つれないよねえ、部活が忙しいっていうのもあるかもしれないけど……」

「けど?」

「好きな女の子ができたとか?」

「ははは!」

 私はそのあまりに突飛な発想に対して笑い飛ばすしかできなかった。いや、万年に好きな娘ができたということがあり得ないとかそういうんじゃなくて……

「だからって、なんで私につれないっていう風になるのさ? 因果関係なくない?」

「大いにあるでしょ」

「ないない」

 確かに私も、最近万年とは妙に疎遠気味だなという気もするが、落ち武者の言っていることはいまいち理解できない。

 私は紙パックを畳み、パンの袋をくしゃくしゃに丸めてから立ち上がる。

「教室戻ろう。授業の準備しないと」

「あー、逃げようとしてるけど、そうやってても何も生まれないんだからね」

 落ち武者は私にどうしてほしいのだろう。もっと万年と喋れとでもいうのだろうか。しかし、今まで呼吸をするように自然にかかわってきた相手に今更自発的に関わることなどできるだろうか……?

「っていうかまだ早くない? もうちょっと屋上にいようよ」

「次移動教室だから急がないと。……っていうか、みんなの前であんまり私に話しかけないでね。何にもないのに反応しちゃったりして、私、変な子みたいに思われちゃうから」

「あーん、辛辣。酷いよ、香音ちゃん酷いー。って、今更だけど」

 無視して校舎内に入る。どうにもカルシウムが足りていないのかもしれない。落ち武者の言葉はいちいち腹に据えかねる。教室に入ってゴミを捨て、自分の席に着き、スマホを取り出してソシャゲのアプリを開く。

「あー! 授業の準備もまだしてないし、っていうか、次の時間移動教室でもなんでもないじゃん! 嘘つき!」

 無視無視。


          *


 私が(きり)(さく)香音(かのん)で、隣にふよふよと浮いているのが落ち武者。きりさきさん、きりざきさん、のどちらかによく間違われるけど御生憎様、私は(きり)(さく)だ。先祖代々から伝わっている苗字なのだ、読み方を間違えるようなことは許されない。名前の由来は観音様みたいに優しい子に育ってほしいからとのこと。なんのこっちゃ。

落ち武者の本当の名前は亜音(あのん)だ。昔、私と一緒に語感を似ているものを考えた。『音』という字も入っている。しかし三谷監督の映画を小さいころに観に行って以来、例のあだ名で呼んでいるのだ。基本的には、心の中で。あまり実際に呼ぶとすねるので、声に出すときには一緒に考えた名前で呼ぶ。偶にあだ名で呼ぶと怒るから面白い。

彼女は私が物心のついた時には既に隣にいて、私と同レベルにモノを話していた。幽霊とかそういう怖いものじゃなかった。透けていなかった。ただ触れないだけだった。ずっと明確にそばにいるから、彼女は私の中で、当たり前の存在だった。落ち武者は私以外の人間には視認できないから、幼き頃の私が落ち武者(その頃はまだ呼び名もなかったが)とおしゃべりしているところを見た母親は、もしかすると私は頭がおかしいのでは、と相当に心配していたらしい。今となっては、

「小さいころのあんたは想像力豊かだったのに、どうして今はこうなのかしら」

 とか昔のことを引き合いに出され、けなされる始末。喉元過ぎれば熱さを忘れるということわざは、人の性質を的確に言い表している。

 幼稚園でも(他人から見れば)奇行を繰り返していた私はいじめの対象となっていたし、幼き日の私も落ち武者も空気を読んだり受け流したりとかそういう技を知らない純真な子供だったから、毎日のように私を馬鹿にする男の子とも女の子とも、罵り合いたたき合い引っ掴みあい殴り合いけり合い引っ掻き合いの喧嘩を繰り広げていた。部屋の端っこで絵本を落ち武者に読み聞かせ合いっこしている生傷だらけの私に友達は当然のようにいなかったし、先生は私のほうにきて面倒を見てくれたけど、私はそもそも独りぼっちじゃなかったからどうでもよかった。

それが変わったのは年長さんになってからのことだった。その時期にうちの幼稚園に転入してきた亀和万年くんは場を収めるプロのようなもので、怒れる私のことを宥め、間接的に落ち武者のことも宥めた。そのときの万年くんのイメージは面白くって優しくて頼れるかっこいい子で、故事になぞらえて名前を馬鹿にされた時も怒らずにふざけて相手を笑かすおおらかな子でもあった。毎度毎度私よりも背のちっちゃい子に助けられることで次第に自分のことが酷くつまらないように思えて、もういちいち怒らないようにしようかな、と決心しつつあったところへの、

「かのんちゃん、もうみんなの前で私と話すの、やめよ」

 という私よりも一歩先に大人になっていたらしい落ち武者の一言によって、私の不思議ちゃんは終結した。幼稚園児の脳みそはそんなにいろいろなことを記憶できないので、仲の悪かった友達もけろりとして様子の変わった私と一緒に遊び、必然、万年とも一緒に遊んでいた。楽しかった。

 このとき、私だけでなく落ち武者も万年くんに大いに惹かれていたのだと思う。事実、部屋では向かい合いベッドで横になって、彼の話ばかりをしていた。私は何となく、「万年と結婚したい」と言った。負けじと落ち武者も、「私だって」と言う。しかしそれはその後小学校六年間同じクラスで毎日のように遊び、家を行き来し親同士の関係もある万年の面倒を見、あいつと姉弟のように過ごしてきた私と、そもそも身体(からだ)がない落ち武者とでは不可能なことになっていたし、そもそも私にそんな気が消え失せていた。どちらの親も「二人は将来結婚する」という冗談を楽しそうに抜かしていたけれど姉弟は結婚しない。

 所詮自意識の確立していない園児の戯言だったのだ。

 しかし、落ち武者の方はそうでもなかったのかもしれない。

 落ち武者はお調子者キャラを確立していた万年に彼女ができないことに明らかに安心していたし、先程の屋上での言動だって、妙に不安そうだったのだ。万年と一緒にいなくて寂しいのは落ち武者だってそうだったはずなのだ。

 あーあ、落ち武者に身体があったらなあ、と私は思う。

 私と亜音は本当に姉妹のようなものだけれど、私は彼女がどこから来たのかわからない。彼女は私に似て可哀そうなおっぱいをしているけど、脚は長いしスタイルは抜群だし何より目鼻立ちがくっきりした美人なのだ。私とは似ても似つかない。『もう一人の私』と呼ぶには彼女は美人過ぎた。そんな彼女に本当に身体があったら万年なんてきっとイチコロだ。だがどうにも、彼女に身体はない。

 ある時、それを口に出したことがある。

「亜音に身体があったらいいのにね」

 その時は大喧嘩になった。落ち武者は思いのほか短気だった。お互いに触れないから口汚い罵り合い。落ち武者は幽霊の癖してポルターガイスト現象を引き起こすこともできなかったから、私とただ悪口を言い合うのみ。その日の夜、彼女は私の背中に寄り添いながら泣いていた。時々しゃっくりも聞こえた。

 落ち武者は身体が欲しくて欲しくて堪らなかったのだ。泣いているときには、万年に直接慰めて欲しかったのだ、多分。

 しっかりした形というものが欲しかったのだ。

 他の誰にも見えずに私だけに見え、誰にも触ることのできない落ち武者。

 彼女は確実に、この世に存在している。しかし彼女が自分を私の脳内妹と思っていても仕方がないことなのだ。状況がそうさせているのだ。身体がないと、……。

 身体なんてあげるのに。

 そう言ったらまた喧嘩になるだろうと思う。しかし私にだって身体は必要だから、それは無理なことだった。いくら万年と付き合いたいとか結婚したいと思わないにしたって、私は万年に対し家族愛のようなものを抱いているし、万年とは一緒にいたいのだ。それに亜音と喧嘩はしたくない。往々にして、姉妹(きょうだい)は仲良しが一番というものだ。

 しかし、それでも私などよりも彼女こそが身体を持つにふさわしいのにという思いは、ふと気づけば私の心の片隅に浮かび上がってくる。

 

「そうだ、いっそのこと、今から行ってみようよ」

 どこに……? と思うけど、訊ねはしなかった。落ち武者の言葉にぴくりとも反応せず、私はスマホをいじり続ける。今はソシャゲのイベント期間中だ。同じステージを何度も何度もクリアするという作業を無限に行い続ける……。私は今七十八回目のステージクリアに挑んでいるところだ。同じパーティに属しているメンバーたちと比べて格付けしてみれば、中の下といったところか。上位メンバーが私の十倍ものポイントを稼いでいるので到底私がこのパーティに貢献できているとは思えず、上位メンバーの頑張りの恩恵を受けるのみの私は、ただのヒモでしかないのだった。

 私は無事に七十八回目のステージクリアをやり遂げたが、続けて七十九回目に挑むようなことはしなかった。落ち武者は徹底的に私の邪魔をするつもりなのだ。私にしか聞こえない大声を上げつつ私にしか見えない手でスマホの画面を隠そうとするのだ。他人からの邪魔というストレスの中でまでこのクソゲーを続けようとは思わなかったので、スマホをカバンにしまい、落ち武者の話を聞いてやるとの無言のアピールをする。

「万年のところ行こうよ」

「…………」

「何をそんなに気兼ねしてるのさ、あいつと香音ちゃんは気の置けない仲だったでしょ」

 まるで今は違うみたいな言い草だけど?

「…………」

 ま、いいけどね。

 そこまで言うのならあんたの言うとおりにしてやるよ。

あいつと私の間に遠慮なんてない。姉弟(きょうだい)みたいなもんなんだから。昼休みに友人のもとを訪ねるなんてこと、誰だって普通にするだろう。気兼ねなんざしていない。

 私が椅子を引いて立ち上がると、落ち武者は大いに喜んだ。私はそんな彼女に得意そうな面を見せた。よし行くぞ、二つ隣の教室に乗り込むぞ。万年のクラスメイト達には奇異の視線を浴びせられるかもしれないけどまあいいさ、特に理由もないけど遊びに行っちゃうぞ、そこに万年がいるから行くのだ、だって幼馴染ってそういうものだろう? 大いに自己暗示でやる気を高める。落ち武者の「よーし、行け行け!」という応援に後押しされて教室を後ろのドアから出るぞう。


「ごめーん、みんな、朝に席替えのくじ引いてもらったやろ? 昼休み中にもう席動かそうでー」


 そうだった!

 残念!

 学級委員の言うことは絶対なのだ。「いいじゃん、ちょっとくらいー」という落ち武者の言葉なんかよりも数千倍優先度が高いのだ。改めて私は席について、背面黒板に書かれた自分の席位置を見る。まだクラス全員の顔を覚えきれていない私には隣の人間の名前を見てもいまいちピンとこないが、位置だけを鑑みると、そこはなかなか良いポジションだといえた。

壁際でしかも後ろの方。帰りのあいさつをしたらすぐに退出できる、すぐに帰れる。

 私は部活には所属しないことにしているし、万年以外とは放課後に遊ぶこともない。姉として妹を優先基準の主に置いた行動をとっているつもりである。私が他人と遊んでいたってその間手持無沙汰な落ち武者には面白くあるまい。それならば自分の部屋にこもってゲームでもしていた方がましだった。私はできるだけ早くひとりにならなければならなかった。

 教科書とカバンを持って席を移動する。机の中に教科書を詰め込みすぎていたので、持ち運ぶのに少々手間がかかりそうだったが、いちいち行き来したくないのですべて一度に抱えて持っていくことにした。


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