ラフィの【誕生】3
※作者は本職の医師や緊急救命士ではありませんので、以下に書かれた文章に対し責任を持ちません。
※実際の救命活動及び医療行為は、専門の講習や教育を受けたうえで実施してください。
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俺が【二卵性双生児】と言い切ったのには理由がある。
なぜなら俺は……【胎内】で、もう一人の【同居人】と会わなかったからだ。
【一卵性双生児】なら【胎盤】を含めて同じ【内膜】の袋の中にいたはず……つまり、直接触れ合っているはず。
だが【二卵性双生児】は【胎盤】も含めて【内膜】も異としている……つまり、同じ子宮の中でも別の部屋にいるようなものだ。
ただ、ここでひとつ疑問が残る……いくら【二卵性】といっても、その存在に気づかないものだろうか。
……少なくとも、俺は気付かなかった。
何故だろうな……お互い、【胎動】していたはずなのに。
それは、あることを連想させる。
すなわちそれは……死産。
俺は降ってわいたその可能性に、思わず頭を振った。
「………頼むぜ、兄弟……いや、妹か?
せっかく縁があったんだ。
仲良くなれるかどうかは分からないが、せめて元気に生まれてくれよ……?」
俺は思わず呟いていた。
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「て……帝王切開なんて……」
その俺の目の前……愕然とした【勇者】が、メスを片手に【聖女】asお母ちゃんのお腹を眺めていた。
どうやら、思いきり躊躇しているようだった。
まあ確かに……【殺す】ために刃物をふるうことはあっても、【生かす】ために刃物をふるうなんて、【勇者】としては生涯初めての行為だろう。
まして相手は、嫁さんなわけだし。
その背中に、修道女as産婆さんズが声をかけていた。
「お……お待ちを!!
【勇者】さま……【聖女】リーンのお体に何をなさいますか!!??」
当然これは、日本語ではなかった。
一応理解はできるものの発音できない俺は、【勇者】に声をかける。
「おい【勇者】、聞いてみてくれ。 この世界に【帝王切開】はあるのかって」
「……もう一人、【ラフィ】が残っているんだ」
あ、くそ。 【勇者】は俺の言葉ではなく、修道院長の言葉に先に答えていた。
静かに言う【勇者】に………修道女as産婆さんズが息を飲んだ。
「もう一人………まさか!! 【聖女】リーンが、【畜生腹】なんて…ッ!!」
【畜生腹】……その言葉に、俺は大きくため息をついた。
あー、やっぱり出ますか、その単語……【獣腹】とも呼ばれるその言葉。
基本的に人間は一度に一人しか出産しないわけだが、獣は多産。
ゆえに、双子以上の妊娠のことを【畜生腹】とか【獣腹】とか言う訳である。
古来より、どのような文明圏でも双子以上の出産は忌み嫌われる場合が多い。
宗教や風習を除いても……嫌われる根拠は、ある。
なぜなら……古来より一〇人に一人は死ぬと言われる【出産】。
その確率を跳ね上げているのが……『双子以上の出産』だ。
母体にも胎児にも負荷が大きすぎ、【死産】であったり【産褥死】のリスクが、さらに高くなるのだ。
それ故に、【畜生腹】とか【獣腹】とかは嫌われるのだ。
まして……言い方は悪いが、『ポンポン生まれてポンポン死ぬ』のが近代以前の出産。
『子供はいくら死んでもいいが、母親が死んでは困る』のである。
特に古代においては、【政略結婚】が多用されていたわけだし、母親の死は、外交的にも困るのである。
つまり、それだけでも忌み嫌われる。
そこに風習とか文化とか宗教が絡んできたら……例えば、証拠隠滅の対象にされてしまうのである。
双子のどちらかを、『なかったこと』にされてしまったり。
思考がそこに至ったためか、あるいはそういう話に心当たりがあったためか、【勇者】がふたたび……すごい顔をして【殺気】を放ち始めた。
俺は思わず突っ込んでいた。
「そんなことで切れてんじゃねえよ、【勇者】ぁ。
そんなことはどうでもいいんだ。
いいから、【この世界】に【帝王切開】はあるのか!?」
「………。
おい、今ここで、【開腹手術】はできるか? その準備はあるか?」
怒りを何とか飲み込んで、という様子で【勇者】は修道女as産婆さんズに問いかける。
勇者は【帝王切開】と言わず、【開腹手術】と問いかけていた。
それってまさか……この世界の言葉に【帝王切開】って言葉がないせいか?
少なくとも、【勇者】は知らなかったようだった。
「か、【開腹手術】……?
ま、まさか!!
赤子を切って取り出すおつもりですか!!???」
案の定か……それは、凄まじいほどの拒否反応だった。
やはりこの世界に【帝王切開】というものは……言葉自体がないらしい。
というより、外科手術自体が珍しいのかもしれない。
なんでだよ……【帝王切開】は、古くは古代ローマやエジプトにもあったはずなのに。
とはいえ……なぜか、脳外科手術まであったはずのマヤ文明にはなかったそうだが。
その言葉に、【勇者】は幾分絶望したような表情で俺を見る。
それを確認して俺は……自分でもわかる様子で疲れた笑みを見せた。
「……最悪だな。 その道のプロがいりゃ、アシストしてもらえると思ったんだが。
もう俺とお前だけで何とかするしかねえ。
だが……俺はもうだめだ……眠い」
それだけ何とかいうと……俺の膝がベッドの上に落ちた。
「お、おい、まだ終わってないんだぞ!!」
そう言って【勇者】はうろたえて見せる。
それに苦笑して、俺は何とか意識が落ちるのをこらえながら応じた。
「俺には【人工呼吸】がある。
……お前が施術しろ。」
俺はぐしぐし目をこすりながら……【人工呼吸】を再開した。
と……ふいに俺の体が、誰かに抱えあげられた。
抱えあげられ……そのまま、場所を移動させられた。
「……代わるにゃ。
ここから喉の管に、ゆっくりと息を吹き込めばいいにゃ?」
いつの間にそこにいたのか、それは【猫耳族】ンマットさんの声だった。
俺は思わず視線を向ける。
そこにはケモナー大歓喜のモフモフ毛皮にケモノ耳……なんてものは全くない、人間と変わらぬ姿をした美少女の姿があった。
なお…その手に握られていたのは、まさしく猫耳カチューシャだった。
【猫耳族】って、そういうことかよ!?
驚く俺を尻目に……ンマットさんは猫耳カチューシャを横に置き、俺に代わって【人工呼吸】を始めていた。
俺の【人工呼吸】をどれだけしっかり見ていたのだろうか……新鮮な空気を吸ってからの、五秒に一回の呼気の注入、その繰り返し。
そして横目で俺をみて、優しく目を細める。
俺の背中を押そうとするかのような、目だけの優しい語りかけ……それに俺の決意は固まった。
「俺が……意識が続くまでは、指示する。
あとは【勇者】……お前が帝王切開するんだ」
俺のその言葉に、【勇者】はためらいながらも……ゆっくりと頷いていた。
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「その前に聞いておく。
その、【回復魔法】とやらは、【傷跡】も残さず回復させることはできるか?」
「………」
俺の問いかけにしばらく考えてから、【勇者】は無言で俺の目の前に自分の腕を差し出した。
それは……見るからに歴戦の戦士、という腕だった。
傷一つない滑らかな肌ではなかった……がそれは、言われれば解るというレベル。
ケロイド状の盛り上がった傷跡ではなく、あと数年もすれば消えて見えなくなる程度の浅い傷跡に見える。
「……一応言っておくと、これは解放骨折の跡。 あとこっちは……駆け出し時代にレッサードラゴンに食いちぎられそうになった跡。
……自分の骨は、何度も見たことはあるよ……そういうレベルのケガが絶えない仕事だからな。
でも……一応、ここまでは目立たなくなる。
これは【回復魔法】の特徴の一つでもあるな」
「あー……なるほど。
縫ったり包帯巻いたりすると……傷の直りは早いけど、跡は残るからな。
そういや、【湿潤療法】ってのがあるな」
「【湿潤療法】?」
「ああ。
ぼちぼちドラッグストアなんかにも流通しだした、最近の流行りだよ。
曰く……傷口を乾かさず、治るまでじゅくじゅくにしたままのほうが傷跡が目立たなくなるらしくってな。
そのために……医療用傷シートって言って、傷口を乾かさないためのシップみたいなやつがあるんだ。
まあその分、治りは少し遅くなるんだけどな。
……なるほど、じゃあ、【回復魔法】ってのは傷口が乾いたりかさぶたができる前に瞬時に傷を治癒しているということか。
そりゃ、傷跡も残りにくいだろうな………」
俺は、勇者の傷跡を眺めながら、妙に感心していた。
そしてそのまま、言葉を続ける。
「じゃあ迷うことはねえな。
一番確実な【十字開腹】だ……日本じゃ今や、【十字開腹】なんてしようものなら慰謝料モノらしいが」
「慰謝料モノ?」
「お腹にバッテンの傷跡が残るからな。 ……だから傷跡が少しでも目立たないよう、横切りが主流なんだ。
現代日本は、昔と違って肌を人目にさらす機会が多いからな。
……その横切りだってな、下着に隠れるよう、できるだけ下の位置を切らなきゃいけねえ」
「………なるほど」
「いいか……ここだ」
そう言って俺は……【聖女】のへその下、約五センチのあたりに指を置いた。
「ここが縦切りの下限。ここから下は……膀胱を傷つける恐れがある。
だから、ここから上を……できるだけ狭い範囲で切るんだ。
上限はへそ。
……別にそれより上でも構わないが、その場合はへそを避けて切るんだ。
理由はわかるな?
へそは【へその緒】の痕跡……つまり、その直下にあるのは太い動脈と静脈の束だ。
そんなもん切った日にゃ、即死だぞ?」
「………っ」
俺の説明に、【勇者】の体が、ぴくん、と揺れた。
そして……呼気が微かに震える。
………いかん、少し、脅かしすぎたか。
【勇者】は手にしたメスをブルブル振るわせながら、血走った目で切開予定の場所を睨んでいた。
いいから、落ち着け……そう言って俺が、その腕に手を置こうとした時だった。
その前に……ふいに誰かが俺の体に触れた。
【聖女】だった。
【聖女】が……蒼白な顔色のまま、俺の顔をじっと見ていた。
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思わず俺は、【聖女】に視線を向けていた。
【聖女】は……いつの間にか、痙攣が収まっていた。
「………………」
意識があるのかないのか、【聖女】は俺の顔をじっと眺めていた。
いや、きっとないのだろう……一応初対面ということになるのだが、その表情がこゆるぎもしない。
まるで、薄目を開けたまま深く眠っている……といった体であった。
逆に俺はどんな表情をしていたのだろうか。
生死をさまよう、俺の【母親】。
無論、【俺】という【自我】をもたらした【母親】とは似ても似つかないわけだが……まったく違う存在ではあるのだが。
言っては悪いが、【俺】が【母親】と聞いて思い出す存在とは違うのだが。
それでも俺は……【聖女】に死んでほしくなかった。
俺は思わず……指を一本立て、静かにつぶやいていた。
「お母さん……【ラフィ】が、もう一人……まだ生まれていないんだ……」
とっさに口をついたのは、そんな言葉だった。
もちろん、日本語だった。
いくら【早熟】とはいえ……まだそこまでうまくこの世界の言葉を口にできる自信はない。
だが。
俺の言葉に……【聖女】は大きく反応した。
「う……うううううーーーーーーーーーっっっ!!!」
待機室の内部に、もう一度【聖女】の苦悶の叫びが満ちた。
そして【聖女】は大きく体を仰け反らせる。
その叫びと挙動に……室内にいた全員の視線に緊張が走る。
その脳裏をよぎるのは【子癇】という言葉。
だが……しかし。
【聖女】の体に……痙攣は見られなかった。
「子癇……い、いや違う。これは………」
俺は大きく戸惑いながら……それでも確信していた。
俺は思わず叫んでいた。
「ラフィが……もう一人のラフィが、産まれるぞ!!」
俺の言葉は、室内に動揺をもたらした。
ンマットとソフィアさんは……花が咲いたような笑顔を見せた。
【勇者】は虚を突かれたように……うれしいのか戸惑っているのか、よくわからない表情を見せていた。
その一方で……修道女たちのうち何人かの表情は、【双子】の出産に、露骨に眉を顰める者もいた。
そして俺の表情はというと……冴えなかった。
はっきり言うと……もう一人のラフィの【生存】に、確信を持てなかったからだった。
俺の【出産】から、何分経った?
【聖女】の呼吸停止は、何分続いた?
そして俺は……【胎内】にいた間、なぜもう一人のラフィの【胎動】を感じなかった?
俺は心の中で、冷や汗を流しながら……その場にいた全員が、【聖女】の出産を見守った。
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意外にも早く、その数分後……俺の【弟】、ラフィは誕生した。
しかし、もう一人のラフィは……産声を上げなかった。