ラフィの【魂】
赤ん坊の泣き声は、よく猫の鳴き声にたとえられる。
また、猫の鳴き声もまた、赤ん坊にたとえられる。
その双方に共通しているのは、【周波数が高い】ということ。
俗説ではあるが、子供や女性の声がなぜ成人男性より高いのかといえば、叫び声を【遠くまで響かせる】ためだそうだ。
一般的に、低周波の音より高周波の音のほうが伝播力が強い。
つまり……救難の言葉や悲鳴をより遠くまで響かせるために周波数が高くなった分、音質が似てしまうのだ。 猫の鳴き声も、子供の泣き声も。
……まあ、生まれたばかりの赤ちゃんがバスやバリトンの渋~い声で『おぎゃあ……おぎゃあ……』なんて歌ってても怖いだけだしな。
ということで……俺はこの世に生まれ落ちて、第一声を【この世界】に響かせていた。
「い゛た゛か゛っ゛た゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛…゛…゛い゛た゛か゛っ゛た゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!」
それは促音や三点リーダーにまで濁点を付けるという斬新な産声。
それが、この世に生まれた俺が初めて発した言葉となった。
ここ数時間頭痛に見舞われていた俺が頭痛から解放され……その安堵から俺は泣きわめいていた。
そこから後は……ギャン泣きだった。
普通、赤ちゃんの泣き声はもうちょっとか細いはずだが……どうやら俺は新生児にしては呼吸器官が発達しているようだった。
ここで豆知識……赤ちゃんが子宮内でするおしっこには、『肺の発達を促進する物質』が含まれているらしい。
つまり俺は……子宮の中でおしっこをしまくっていたということになる。
……お母ちゃん、ごめんなさい。 おかげでこんなに元気な産声を上げることができましたてへぺろ。
「リ、リーン! もう産まれたの!?」
さすがのソフィアさんも驚き、慌てて引き返してきたようだった。
それはすなわち、勇者asお父ちゃんも。
「ぅぇぁはうぇっ!!??」
状況をつかみかねたのか、唐突な第一子誕生に驚いたのか、勇者asお父ちゃんから意味のない音が口からこぼれる。
かつて【魔王】を討伐したという【勇者】はしかし、今はただの新米パパだった。
俺はギャン泣きしながら……【勇者】の顔を【視た】。
新生児の目は未発達で、一歳ぐらいまでは視力〇.二~〇.三以下だという。
一歳前後に歩き始めるようになって、初めて一.〇を超えるそうだ。
しかし。
俺は勇者が【視えて】いた。 そして、ソフィアさんも【視えて】いた。
視力でいうなら……どう考えたって一.〇はある。
……スキル【早熟】の影響だろうか。
俺はすでに一歳から二歳の視力を備えていたのだ。
その視界の中で……【勇者】は何かに打ちのめされたように立ち尽くしていた。
と……その時。
部屋の中に、修道服を着た集団が、慌てて飛び込んできた。
「せ、せ、聖女リーン!!
か、か、かように、こ、こ、このような速やかなるご出産!!
ま、ま、ま、まさに神の御加護としか言いようがありませんわっ!!」
ぽっちゃり小太りの中年女性。 この声は……胎内でも聞いた、修道院長の声だった。
言葉とは裏腹に少し慌てていたのは……彼女たちも想定外の短い出産だったからだろう。
まぁなぁ……陣痛が始まって三時間というのは、十分に早いと言えよう。
人によっては足掛け二日かかる場合もあるのだし。
大スポンサー【勇者】の嫁の出産に修道院長(産婆)が立ち会っていなかったという事態に、修道院長は少々慌てている様子だった。
そして彼女たちは産婆の仕事にとりかかった。
新生児を取り上げ、へその緒を切り、産湯(さんゆ。うぶゆは出産後三日目以降を指す。ただし地方によりかなり違う)を使わせ、胎盤などの後産を処理をして、新生児に初乳を飲ませるまでが産婆の仕事だ。
その間、俺は……つねにギャン泣きだった。
それは、先に述べた解放感もそうだが……ほかにも理由があった。
それは……キモチイイからだった。
ギャンギャン泣くということ……それは、途方もない爽快感があった。
泣けば泣くほど……キモチイイのだ。
なるほど……本来、『泣く』という行為にはストレス解消の効果があるといわれている。
大人だって、悲しいことがあると『泣く』ことがあるのだが……それは脳内に蓄積した【悲しい】というストレスを洗い流すためであるのだ。
いわんや赤ん坊をや。
泣くということがキモチイイことであるのに、赤ん坊にそれが止められるわけもない……それが許される立場でもあるしな。
だから俺は、そのままギャン泣きし続けていた。
「あらあら……元気な子ですこと。」
遅刻を取り繕おうとでもしているのだろうか、ことさら媚びるように言う修道院長。
いつの間にかへその緒を結んで切られ、布切れで俺は包まれていた。
そして抱きかかえられて……俺は母親より先に、父親に差し出されていた。
普通は母親が先だと思うのだが……この辺は、【この世界】の、そういう【文化】なのかもしれない。
そして修道院長は、俺を父親に紹介していた。
「【勇 者】 さ ま 、 御 覧 に な っ て く だ さ い 。
元 気 な 女 の 子 で す よ !!」
『元気な女の子』、俺を指し示すのであろうその言葉に………俺は一瞬、思考が停止していた。
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その時。
俺の泣き声は、一瞬で停止していた。
泣き声どころか……一瞬、呼吸まで止まっていた。
それは当然であるだろう。
目の前の男から……明確な殺意を向けられては。
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それは……【勇者】だった。
【勇者】と呼ばれる男。
【勇者】という【職務】を全うした男。
【勇者】という【職務】を全うすることができた男。
人類を滅ぼすことができるものが【魔王】であり、それを滅ぼすものが【勇者】。
【魔王】と呼ばれる存在を倒すことが【本分】であり、そしてその【本分】を全うできた男。
それが、俺の目の前にいた。
それも……『今から【魔王】を滅ぼそうとするかのように』。
そして……『俺が【魔王】であるかのように』【勇者】は俺を睨めつけていた。
「貴様は……何者だ……?」
それが、【勇者】が第一子の俺に向かって放った言葉だった。
【魔王】を倒す実力を持った男が……【魔王】を目の前にしているかのような口調で。
「貴様【も】……【転生者】だな!!
だとすれば……俺の子供はどこへ行った!?
俺のラフィの【魂】を……どこにやった!?」
俺の目の前にいたのは……西洋人風に【転生】し、優しそうな、割とシュッとしたイケメンの男。
その男が今……人型の殺意の塊として、そこに立っていた。