新天地にて4
モヒカン男がノックアウトされてからは、早かった――。
修羅と化した涼子は、小柄なことを利用して即座に相手の死角へと回り込み――そこから繰り出されていくのは、一撃必殺の《後ろ回し蹴り》。
自分よりも体格の優れた男たちを次々に倒していき、残りの三人を半殺しにするまでにかかった時間は、わずかに10秒ほど。
まさに圧巻の一言であった。
もちろん、その場に居合わせた者たちは、彼女の華奢な見た目にそぐわない戦闘力の高さに言葉を失っていた。
――ただ、一人。暴漢たちの前でも表情ひとつ変えていなかった年配の女を除いて、であるが。
***
――翌朝。
交通の要ともなる大きな幹線道路は、北へ南へと出勤で行きかう車であふれかえっていた。
その車たちの波に交じって、街を走り抜けていく一台の黒い高級車――。
その運転席に座るのは、頭をオールバックで固めた年老いた地黒の男性ドライバーだ。
そして、後部座席には白地に花柄のジャケットを羽織った――赤ぶちの眼鏡がトレードマークの年配の女。
控えめなラジオ音声と、行き交う車の騒音をバックミュージックに、彼女は熱心に地方新聞を読みふけっていた。
――そんな中、ラジオから昨日の修央館での出来事が、ニュースとして流れ出す。
そのニュースを耳にした年配のベテラン運転手は、ふと思い出したように、後部座席の女に話題を振る。
「――しかし、理事長先生。昨日は大変だったみたいですね。視察先の修央館高校で、暴漢どもの襲撃に遭遇なさるとは――」
理事長と呼ばれた女は、「そうね」とだけ返し、広げていた新聞を折りたたむ。
そして女は、車窓越しに、流れ行く街の景色を見送りながら、
「でもね、滝沢。これは一種のツケ……だったのかもしれないわ――」
そう言って、一つため息をつき、また続ける。
「――だって彼ら、全員がウチの高校のOBだったというじゃない?」
巻き込まれた当事者だというのに、女はどこか他人事のように言ってのけた。
伝え聞いた以上の情報は持たない――そう言わんばかりの物言いである。
しかし、それも仕方ないことだった。
理事長である女と、彼女が運営する学校のOBだという彼ら――暴漢の男たち。
その間に、直接的な面識などないのだから。
そのことに関しては、ドライバーの男も重々承知していたので、特に彼が疑問を抱くようなこともない。
だが、そうは言っても、女も責任を感じていないわけではないようで――。
女はちょっとだけ虚しさをにじませながら言う。
「滝沢。あなたもよく知っているとは思うのだけれど、『次世代を担うコンピューター社会に貢献できる個性豊かな人材の育成』――これは、コンピューティング情報学院高校、専門学校がともに掲げる共通の教育理念でもあります。……ですが、実際にはどうですか? そういった人員の育成の場とはならず、昨日のような社会的に問題のあるОB――いわゆる、ならず者の輩出の方に実績があるときたものです。特に、高校の方はね……」
そう言って、女はやつれた表情で、ため息をついた。
バックミラーの隅に映る、年相応に、すっかりと小さくなってしまった彼女の姿。
その姿に、男は、やるせない気持ちを抑えきれないでいた。
そのためだろう。
自然と理事長の女を擁護する言葉が、意識せずとも口をついて出てくるのだ。
「ですが理事長先生? しっかりとした人間に育つか、ならず者になってしまうのかは、それは本人たちの問題では?」
「――もちろん、半分はそうでしょうね」
またもや理事長の女はため息をつき、「……でも」と弱々しい声音で切り返す。
「半分は、彼らを教育・更生できなかった私たちの問題でもあるのよ。特に、悪しき伝統と言うべきか、放っておいても新入生の多かった父の代は、儲け優先主義だったせいもあって、”自由主義・放任主義”を盾にして、教育には熱心ではなかったものね。……その結果が、荒れに荒れた教育現場に、教職員の相次ぐ離職。そして、新入生の定員割れ問題ですよ」
「――なるほど。ですが、定員割れは、おおむね少子化の影響も少なからずあると思うのですが?」
「でも、それだけじゃないでしょう? 当校が魅力に乏しいのが原因でしょう? いいえ、魅力どころか、荒れに荒れた校内の風紀は、新入生たちを歓迎しているものとは思えないもの――」
「だから、理事長先生は改革に乗り出そうと――」
「ええ、経営者として当然のことです。ですが、その矢先に」
「――昨日のアレですね……」
そう言って運転手の男は苦笑いを浮かべ、理事長の女は、またしても深いため息をつくのだった。
「ああ、嫌ね。本当、頭が痛いわ……」
彼女は、車窓に肘をついて頭をかかえながら、遠くに見える丘の上に立つ――白黒模様の鉄筋コンクリートの建物を、うつろな表情でじっと見据えた。
そして、ぼそっと囁くようにぼいやいた。
「修央館とウチ……同じ私学だというのに、何が違うというのよ……」
「いっそのこと、ウチも警備員さん、雇ってみては?」
ボヤキに対して、男が冗談っぽく提案すると、女はいかにも機嫌が悪そうに、バックミラー越しに男をひと睨みする。
「雇った教師ですらことごとく辞めていく現環境で、安月給の雇われ警備員が逃げ出さないわけないでしょ! 自分で言うのも、なんだけど……あそこは魔境よ! 21世紀も四半世紀に差し掛かろうというのに、未だに20世紀の空気から抜け出さない、魔境なのよ……」
女はそう自虐気味に吐き捨て、再び新聞の記事に目を落とす――。
学校が近づくにつれ、普段から女は口数を減らしていく。
そしてこの日も、送迎車は、当該する丘を登りはじめた。
女の言った――魔境へと続く道だ。
案の定、女は無言である。
そして、丘を登りきった先――《コンピューティング情報学院高等学校》と書かれたプレートが取り付けられた門を潜り抜けると、ますます女の顔色が悪くなっていく――というのが、普段のルーチンである、はずだった。
きっと今日も、同じく顔色を悪くしているのだろうと、あえて男は確認までは行わない。
男は普段通りに門を潜り抜け、職員用の駐車場へと高級車を滑らせていく。
「到着しましたよ、理事長先生」
男は、到着を告げる。
普段であれば、とても嫌そうな表情で「ああ、嫌ね。かったるいわぁ」とでも言いながら、彼女は重い腰を上げ、降車していくはずなのだが、――――この日だけは違った。
彼女の声はせず、新聞の擦れる音だけが聞こえてくる。
いつもと違う様子を不審に思い、バックミラーへと視線を送ると、女は口をあんぐりと開け、目を大きく見開いて、急病か何かと心配になるほどに、全身を震わせていた。
そして、バックミラー越しに彼女と目が合うと、
「――いえ、滝沢……ッ!」
女は年甲斐もなく、興奮を押し殺したかのような震えた声音で言葉を続けたのだ。
「もしかしたら、立て直せるかもしれないわ。……私たちの、学園を――!」
「――――はい? 理事長先生? 今、なんと……?」
男は、わけもわからず、首を傾げながら後部座席へと振り向くしかできなかった。
「フフフ……。これよ、これこれ……!」
そこには、うつむきながら全身を震わせる理事長の姿があるのみ。
やはりその姿を見て不審に思った男は、彼女の視線の先――地方新聞の社会欄をのぞき込む。
そこには、『お手柄! 美人警備員!』という小さな見出しとともに、若さとルックス以外には取り立てて取り柄がないように見える、華奢な女性警備員の立ち姿が載っていた。
「実は、一年生を担当している英語教師に、欠員が出たばかりなのよね……」
「はぁ……?」
思わず気のない返事をしてしまった男。
理事長の女が、何を企んでいるのか、男には理解できそうもなかったからだ。
しかし、理解の追いつかない彼に追い打ちをかけるかのごとく、彼女は続けていく。
「ねえ、滝沢。知ってる?」
「何がですか?」
「実はね、教壇に立つのに、教員免許なんか、必要ないのよ?」
「え? でもそれって、違法じゃ……」
男の言葉など耳には入っていないようだった。
理事長の女は、新聞を勢いよくたたみながら柏手を打つと、年甲斐もなく大声で叫んだ。
「決めたわ! 出来レースでも、なんでもいいじゃないッ!」
「えっ!? 出来レース!?」
「英語教員の臨時募集――かけましょうッ!」
女はそう叫ぶと、やはり年甲斐もなく勢いに任せて後部座席のドアを開け放ち、これまた勢いよく黒塗りの高級車から飛び出していった。
ドライバーの男は、理事長の開け放ったドアを閉めるべく、後部座席側へと回り込む。
そしてふと、彼女が車内に残していった新聞の存在に気が付いた。
先ほどまで彼女が座っていた位置に腰を下ろし、彼女の呼んでいた記事に目を通す。
そして、なぜ彼女がそのような発想に至ったのかを知ることになる。
「夢は、教壇に立つこと――ねぇ」
しかし同時に、男はちょっとだけ写真に映る女性警備員に同情を寄せつつ、壁一面に張り巡らされた芸術作品を見上げた。
白地の鉄筋コンクリートの壁一面に描かれた――本来そこに存在するはずのない――落書きたち。
これらを見渡しながら、この道35年のベテランドライバーは、これまでに学園を去っていった教職員たちの――希望に満ち溢れた表情と、絶望に打ちひしがれた二つの表情を、思い返していくのだった。




