新天地にて3
突風をまとった大粒の雨が、窓ガラスに、地面に――と激しく打ち付けられては弾けとんでいた。
「……洗濯物、また洗い直しだなぁ」
涼子が窓ガラス越しに、大雨降りしきる外の景色を眺めながら今朝外干しした洗濯物の心配をしていると――。
強い雨音に交じって、バタバタとした複数の慌ただしい足音が、涼子の後方を通り過ぎていった。
方角は彼女が先ほど、ビジネスマン風の優男を送っていった方向――つまり、校長室方面に向けてだ。
廊下を走り抜けていく輩に注意のひとつでもしようと、振り向いて彼女は声を上げる。
「廊下は走らないで下さ――」
しかし、涼子は思わず息を詰まらせた。
金髪、モヒカン、さらにはプロレスラーまたは銀行強盗御用達と言わんばかりの顔全体を覆いつくす黒地の布でできたかぶり物――。
長めの木刀に、ボコボコと所どころへこんだ使い古された金属バット。
そしてどこから調達してきたのかもわからないまっすぐに伸びた鉄パイプ――。
明らかに修央館の関係者とは思えない異様な身なりの男たちが、廊下を走って校長室の方へと駆けていくのだ。
彼らは、おそらく外からやってきたのだろう。
その通り過ぎたあとに沿って、水滴による轍が残されている。
彼らに少し遅れをとって、涼子の後ろ側から、もう一人廊下を駆けてきた。
「廊下は走らないでください」
そう言って今度こそはと、冷静に諭そうとする涼子。
しかし、彼女が注意した相手は、
「あれ? 田中さん? どうしてここに……?」
警備員詰所で待機中のはずの白髪交じりの先輩警備員の男。――田中であった。
急いでやってきたのだろう。
田中は、涼子に追いつくと、膝に手を当て前かがみになって息を切らせながら事情を説明する。
「変な連中が突然押し入ってきて……、この先は校長室!? それはまずいよね!」
田中は無線機を取り出し、他の警備員へと警察への通報の依頼をする。
そして、
「ここは危ないから、加藤さんは、みんなのところへ非難してなさい!」
そう言い残すと、田中は再びへんてこな走りで駆けだした。
奇妙な格好の男たちとそれを追う田中。
涼子はこの状況を、うまく呑み込むことができないでいた。
ただ、おかしな格好の男たちが、これから何かをやらかすであろう――そう不安めいたものを感じていた。
そして、彼女が感じていた不安めいた予感は的中する形となる。
侵入者たちは次々に校長室へと押し入っていく――。
ほぼ時を同じくして、謎の爆発音、そしてガラスがはじけるように割れる音。
少し遅れて、煙感知型の火災警報器のけたたましい警報音が校長室から聞こえてきた――。
直後、鈍い音がしたかと思えば、男たちに遅れをとって中へと入ったはずの田中が、廊下へとはみ出す形で仰向けに倒れてしまった。
仰向けに倒れた田中は、ヒタイから血を流し、白目をむいている。
あの中で一体何が起こっているのか――。
『加藤さん、加藤さん……聞こえますか? 現在、校長室に不審者が侵入したという連絡が入りました。くれぐれも単独では近づかないように――』
無線機から流れてくるやけに冷静な音声。
涼子もまた落ち着いた声音で、言葉を返す。
「田中さんがヒタイから血を流して、倒れてます」
『田中さん!? 田中さんがどうかしたのか!?』
「加藤、これより現場の確認および、田中さんの救援に向かいます。以上」
『ちょっと加藤さん!? 何を言っているんだい!? 危ないし、その必要はないよ!?』
涼子はこれ以上、無線からの音声に耳を傾けなかった。
制服に固定していた無線機を取り外すと、彼女は静かにそれを床に置いた。
瞳を閉じ、大きく息を吸い、吐き出しながら再び目を見開く――。
「よしっ!」
覚悟を決めて、彼女は校長室へと一歩、また一歩と歩み寄っていく。
校長室へと近づくにつれ、若い男たちが騒ぎ立てている音が耳に入ってくる。
「おいババア! あんま冗談ばっか言ってっと、今度はお前の頭をフルスイングすんぞ?」
「俺たちや、先輩たちの築いてきた伝統――そう簡単にぶち壊されて、たまるかよ!」
怒り狂った罵声に誘われるように、涼子は校長室へと足を踏み入れる。
校長室には、煙が薄く広がっており、さらには火薬臭のようなものが鼻腔に絡みついてくる。
校長室一面に広がっている真っ白な薄靄の向こう側には、互いに向かい合う若い衆と年配の男女がたたずんでいた。
壁際には、怯えて青い顔をしている年配の男性たちと、やけに落ち着きはらった赤ぶち眼鏡の女性が追いやられている。
その中には、双葉の父親である修央館の理事長の姿もあった。
そして、彼らと向かいあっているのは、涼子が校長室まで案内したビジネスマン風の男を筆頭に、各々に凶器を担いだ体格のいい暴漢たちだ。
どこからどう見ても、武器を担いだ若い男たちが、学校の経営陣や幹部を脅しているようにしか映らない。
「何やってるんですか!?」
涼子がそう叫ぶと、中にいた全員が、一斉に彼女の方に視線を集めてきた。
「なんだ、おめえはよ!? おめえもケーサツかぁ!?」
バットをかついだ金髪の男が、頭の悪そうな言動とともに、振り向きざまに睨みつけてくる。
「おや、あなたは……先ほどの警備員さん」
そう口にするのは、涼子が校長室まで案内したビジネスマン風の優男であった。
どうやら、この男と、周りのやたらと体格の良い侵入者たちとは仲間同士と見て間違いないようだ。
「校長室には近づくなと言ったのに。どうして来てしまったのかな?」
彼は、微笑みながら真っ黒な銃をこちらに向けてきた。
あれは偽物か、本物か――。
彼女はふと気づく。
ガラスとともに床下に落ちている――蜘蛛の巣状に亀裂の入った立派な額に入れられた男の写真。
そのすぐそばに転がっている――微かに煙を上げている金属製の小さな筒。
――それは、ハリウッド映画や任侠映画などでよく目にするものと酷似している。
実物を目にするのは彼女自身、はじめてであった。
しかしすぐにそれは確信へと変わる。
――おそらくあれは、薬莢というものだろう。
だとすれば、彼がこちらに向けてきた銃は本物である可能性が極めて高い。
先ほどから鼻腔をくすぐってやまない火薬臭の正体もおのずと見えてきた。
しかし同時に、嫌な汗が身体全体から滲んでくるのを感じずにはいられなかった。
一歩対応を間違えれば、この場にいる全員、怪我では済まないからだ。
それはそうと、頭から血を流して倒れている田中のことを思い出す。
しかし、銃口を向けられているこの状況では、とてもではないが田中の手当てなど、できるはずもない。
そこへ金髪のモヒカン男が銃口と、涼子との間に割って入ってだらしのない笑顔で言う。
「まあ、落ち着けや、タカシ。この女、怯えてるじゃねえか」
モヒカン男の一言で、タカシと呼ばれた優男は、一旦銃を下ろす。
「すまねえな、コイツは俺に任せてはくれねえかな? この女、控えめに言って……結構タイプなんだ」
「「は?」」
突然のカミングアウトに、モヒカン以外の暴漢たち三人が同時にツッコミを入れる。
「突然何言ってんだ、おめえ? 死ね」
「馬鹿じゃねえの? つか死ねよ」
男たちは口々に「死ね」と口にし、モヒカンを非難する。
しかし負けじとモヒカンも根拠なき自論を展開する。
「まぁ、いいじゃねえか! この女のことは俺に任せてよ! お前らはそこのジジババをさっさとぶっ殺せや! そっちの方がぜってぇ効率いいし!」
「いや、意味わからんちゃ。死ね」
モヒカン男の暴走に、先ほどまで紳士的な口調だった優男までがペースを乱されはじめた。
緊張しきっていた現場の空気が、おかしな方向へと和んでいく――。
――それを感じとると、涼子は彼らのやり取りなど一切を無視して、即座に床に膝をついては、
「田中さん、大丈夫ですか……?」
と、持っていたタオル生地のハンカチで、パックリと割れた田中の傷口を押さえ込んだ。
すると背後から、
「なあ、ねえちゃん?」
モヒカン男の声だ。
「俺と、その……セフレにでもならんか? そしたらあんただけは見逃してやるけどよ」
先ほどまでの威勢はどこへやら。
男らしさとは真逆の、モジモジとした情けない声音でモヒカンは続ける。
「なあ? どうよ? 俺、気づいとったんばい! あんた、俺のこと、一目見たときから好きやったやろ……?」
「「は?」」
またしても三人組は、モヒカンの暴走に抗議の音を投げつける。
しかし、モヒカンは周りの反応など気にもとめないで、自己主張を続けていく。
だが、背中越しの求愛を、涼子は顔色ひとつ変えることなくスルーしていく。
「なあなあなあ!? そうなんだろっ!? 俺にはわかるッ!! それに、あんた! 強い男とか好きやろ!? 俺、この中で一番つええし!」
そう言って、親指で自らを指し、胸を張るモヒカン。
目を血走らせた覆面が、指で作った拳銃を自らの側頭部へと当てつけ、
「タカシよぉ、理事長より先に、コイツの脳天ぶち抜かね?」
ジェスチャーを交えて訴える。
「そうだな、悪くない……先にこっちを始末するか。……コイツ、俺たちの中で一番バカだしな」
そう言って、本当に銃口をモヒカンに向けだすタカシ――ことビジネス系優男。
「ちょ、タカシ! 早まるなよッ! なぁ、ねえちゃん! 早く答えをくれよ! さもないと、俺……あんたのこと――」
己の求愛への返事を急かそうとするモヒカンは、そう何かを言いかけて、右手に持っていた金属バットを天へと向けて高々と振りかぶる。
だが、さきほどまで完全に無視していた涼子は、いよいよ立ち上がった。
そしてモヒカンたちの方を振り向くと、素早くモヒカンとの距離を詰めて、抱き着くように両手を男の腰回りへとまわした。
「へっ! どうよ? これが終わったら俺、この子とめちゃくちゃセッ――」
モヒカンは勝ち誇った顔で、ほかの三人に視線を投げかけた。が――
――肉を叩き”潰す”ような鈍い音とともに、その巨体は一瞬ふわりと浮き上がり、同時に「ぎゃおおぉぉぉぉっっす!!」と野太い断末魔が室内にこだました。
白目をむいて、《叫び》と題される芸術絵画のごとき表情――。
その得体のしれない恐怖と不安と絶望に震えた表情はやがて、無表情へと変わっていき、男は口から泡を吹き出しながらその場で両手に持っていた金属バットともども床へと崩れ落ちていく。
「え? マジでやったのかよッ!?」
金髪男は明らかに動揺したように、タカシを見やる。
だが優男のタカシは、銃を構えたまま微動だにせず、「いや、俺じゃない……」と否定するのみ。
そして、崩れゆく巨体の向こう側から、うつむき加減の女が姿をあらわす。
主を失った金属バットは、床を打ち鳴らすと、コロコロと女の元へと転がっていき――女は足下へと転がってきたバットをひょいと拾い上げ、一緒に顔を上げると、男たちを見渡しながら、
「バットは人を叩くための道具じゃない……そうでしょ?」
モヒカン男の持っていたバットを肩で担ぎ、小首をかしげて、八重歯をのぞかせながら、彼女はいかにも可愛らしく言ってのけた。
しかし次の瞬間には、戦闘の神である修羅を彷彿とさせるような――殺意でいっぱいに満たされた《満面の笑み》を、慎ましやかに男たちへと向けていた。
一歩対応を間違えれば、この場にいる全員、怪我では済まないだろう。
――彼女が危惧していたことが、いよいよ現実味を帯びはじめてきた。




