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8 痛恨のミス

 


 とある町に立ち寄ったときのことだ。

 スティナはダスクとミントの後ろについて、大通りを歩いていた。


「悪いね! どいた、どいた!」


 牛が大きな檻の車を引いていた。通行人は端に寄って道を譲る。つん、と悪臭が鼻を掠めた。


 ――あれは、もしかして……。


 自分と同じ年頃の少年少女、いや、もっと幼い子どもたちが檻に入れられていた。スティナが以前着ていたボロ布の服よりも粗末なものを纏い、鉄の首輪と腕輪を嵌められ、だらりと座り込んで虚ろな目をしていた。体に殴られたような跡が付いている子どももいる。


 凍りついたスティナを見て、ダスクが問う。


「奴隷を見るのは初めてか」


「は、はい……あの子たちは、どうして」


「罪を犯したか、借金のカタに売られたか。食うに困って自分から身売りした者もいるだろうな」


 ひどい地域では無差別な奴隷狩りに遭い、身を貶しめられる子どももいるという。

 スティナの知らないことばかりだった。


「ウルデンの町は……恵まれていたんですね」


 ほんの数日前の生活を思い出し、スティナは震えた。毎日腹をすかせ、惨めな思いをしてきたが、それでも何とか生きていられた。

 定期的に炊き出しが行われ、町の人々が雑用の仕事をくれ、残飯を恵んでくれた。廃墟に住みついても追い出されることもなかった。

 盗みや食料の奪い合いをすれば施しを受けられなかったので、子どもたちのほとんどが犯罪に手を染めずに済んでいた。


「ウルデンは、豊穣の眷属ユンルアーラを強く信仰していた。かの女神は子どもをこよなく愛し、虐待や性犯罪の類をひどく嫌う。それゆえに子どもを粗末に扱えば、大地の実りが乏しくなると言われている。ウルデンの民はその教えを律儀に守っていたのだな」


 ダスクは言う。元々この王国には子どもの奴隷はほとんどいなかった。かつてはどの町でも子どもを慈しみ、地域が一体となって守り育てていた。


「しかし、ここ数年、どれだけ子どもを大切にしても凶作が続き、農作物の収穫は減る一方だ。おまけに疫病まで流行する始末。ユンルアーラの信仰は薄れていき、子どもとて平気で売り買いされるようになった。皆、自分の暮らしで精一杯だからな。浮浪児に施しをやる余裕などなくなってしまった」


 ウルデンの領主も、年々増える浮浪児の扱いに困っていたらしい。

 不作に喘いでもなお、子どもたちを見殺しにはできず、さりとて養うこともできない。奴隷として売り払えば、ますます不作がひどくなったときに住民たちから責められてしまう。


 結果、慈善事業に力を入れるインプレット夫人を招き、労働力として引き取ってもらえないか交渉したのだという。

 もしもウルデンの領主が住民の意向を無視して奴隷商を招いていれば、スティナは今頃あの檻の中にいたかもしれない。


「神が人を見放したのか、はたまたマナの循環させる精霊に異変が起こったのか……原因は分からぬが、改善せぬ限りこれからは人間同士が食い合う時代になるだろうな。奴隷でも、値段がつくだけ今はまだマシだ」


 スティナには難しいことは分からない。

 ただ単純に、奴隷たちを目の当たりにして思ってしまった。

 自分じゃなくて良かった、ウルデンに生まれて良かった、ダスクに見出されて助かった、と。


 その瞬間、ものすごい自己嫌悪に襲われた。


 ――わたしは、自分のことしか考えてない……最低だよ。


 仮にも神を目指しているのに、こんな自己中心的な考えでいいのだろうか。しかし今の自分には奴隷たちを救う術はない。


 自分を弁護する気はないが、仕方がないとも思う。前世は平和な国でアイドルをして、今世では小さな田舎町で大人たちの温情によって生きていた。

 力も知恵も経験値もない、平凡な人間だ。

 どうして神の卵に推薦されたのか、さっぱり分からない。


 ――でも、そっか。神様の性格次第で、みんなの意識が変わるんだ。


 豊穣の眷属ユンルアーラ。大地に恵みを与える子ども好きの女神。

 最高神亡き今、彼女はどうなってしまったのだろう。不作の原因は彼女に違いないのに。

 今もまだ世界のどこかにいるのか、それとも消滅してしまったのか。どちらにせよ、新しい最高神が決まるまで不作が続き、人間の尊厳が失われ続けることは確かだった。


 ――神様になれば、何かを変えることができるのかな……?


 歌の力を鍛えて不作を解決できれば、あるいは。






 ウルデンを出発してから一週間が経った。

 道すがら人気のない畑を見つけては、歌うように命じられた。

 結果は変わらず。わずかに効果はあるものの、目覚ましい成長は見られない。


「歌う前よりはマナの循環が良くなっている。人助けだと思って歌え。それに、精霊に歌を捧げておけば、魔力を掠め取られることも減るだろう」


「はい、頑張ります!」


 奴隷を見てから意識が変わり、スティナは実験に積極的になった。『星空の靴でアンダンテ』以外の歌も、数曲歌ってみた。

 案の定、ダスクには「他の曲があるのならさっさと言え」と怒鳴られた。


 面白い発見があった。

 カグヤが作詞作曲をした曲ならば、『星空の靴でアンダンテ』以外でも植物は同じくらい成長する。

 しかしカグヤが携わっていない日本の曲を歌おうとすると、この世界の言語に置き換わらず、歌詞が合わなかった。上手く歌えない上に植物も成長しない。

 この世界独自の歌――吟遊詩人が伝え歩いている詩歌を教わって歌ってみたが、これも変化はなかった。


 どうやらカグヤの作った歌が精霊たちのお気に入りらしい。何となく誇らしい気分になった。

 ドッペルワンダーの歌に絞って何曲か歌ってみたが、結局今以上に効果のある曲は見つけられなかった。


 ――じゃあせめて、連続で歌えるように体力をつけよう!


 道がなだらかなときはボイストレーニングや腹筋をしたりしている。ダスクやミントと比べ、移動中はすることがないのだ。一人だけぼんやりしているのも申し訳がない。

 本当はランニングもしたいところだが、旅をしている間は難しそうだ。


 ダスクは、スティナの抱える秘密について深く追及してこなかった。無理強いすると逃げ出す可能性があると考えているのだろう。本格的な尋問はダスクの領地に到着してから行われるに違いない。


 ――あれ? ダスク様の領地? なんかおかしいような……。


 胸にざらりとした不安が広がった。


 スティナが首を傾げている間に次の町に到着した。

 いつも通り安い宿で一室取り、一息つくと、ダスクは何気なく宣言した。


「まだ市が開いているようだな。物資を買い込むぞ。これより南には大きな町はない。スティナも何か必要なものがあれば言っておけ。物によっては検討してやろう」


 背中に冷や汗が伝う。

 もしかしたら、大きな勘違いをしていたのかもしれない。

 スティナは自分の秘密を黙したいがゆえ、道中余計なことを喋らないように努めていた。本来なら聞いておくべき、些細な質問も口に出さなかった。

 それが仇になった。


「あの、ダスク様……わたしたちは、東の都に向かっているのではないのですか?」


 スティナは部屋から出ていこうとするダスクの袖口を掴み、引き止めた。不敬極まりないが、気にする余裕はなかった。

 ウルデンは東の都の東南にあった。

 都に向かっているのなら、南に進むはずがない。


 ダスクは不快そうに眉をひそめた。


「なぜ都に行かねばならぬのだ」


「だって、ウルデンの神官様は都から貴族様が来るって……だから」


「それはインプレット様のことだな。私とは途中で合流、いや、足止めされ、魔力鑑定に協力するように要請されたのだ。私が先乗りできていれば、あのレベル5の魔力持ちの少年を確保できたのだが……なんだ、スティナ。私を都の貴族だと思っていたのか?」


 思い出す。

 ミントは言っていた。ダスクは貧しい農村を拝領している、と。王国の東部で最も栄えている都の近くに、貧しい農村があるのは不自然ではないか。


 黙り込むスティナを見かねたのか、ダスクは荷物から地図を出して指を差した。

 東の都ヤドーヴィカよりもはるかに南、ウルデンよりも低緯度に位置する点。


「ここが、シェザード家が拝領している村、ムトンシェだ。現在地はここ。あと三日ほどで帰り着く距離だ」


「……!」


 まずい、と思った。都に近づくどころかだいぶ離れてしまっている。“神選びの遊戯”への参加表明の期限まであと二週間しかない。

 頭から血の気が失せていくのが分かる。自分の間抜けさが信じられず、倒れてしまいそうだった。

 ダスクとミントが、心なしか気遣うようにスティナを見た。


「ムトンシェは悪い場所ではないぞ。土地は痩せているが、周囲の自然は美しく壮観だ。今のところ魔物被害もない」


「はい。古くは王族の静養地だったため、立派なお城があります。著名な画家が描きに来るぐらいの佇まいですよ」


「その城の管理と維持が大変なのだがな。取り潰して石材にできたらどんなに――」


「ダスク様。今はムトンシェの良いところをスティナに伝えなければ。都に夢を見ていた少女に、田舎暮らしの良さを再認識させるのです」


「あ、ああ」


 スティナは地図を凝視したまま、拳を握りしめた。


 ――わたし、本当に馬鹿だ……!


 最初に脳裏に浮かんだのはハルの笑顔だった。指切りをして約束をした。自分自身にも誓った。

 絶対にもう一度会う、と。


 次に浮かんだのは奴隷の子どもたちの虚ろな瞳。

 彼らのようになりたくないと恐れながら、彼らのことを救いたいと願った。

 神になれば、神技を鍛えれば、平凡でちっぽけな自分にも何かできるのではないか。そんな思い上がりに似た感情を抱いていた。


 そして、目の前にいるダスクとミント。

 二人にはたくさんお世話になった。ダスクは怖いし、ミントはクールだが、心の優しい人だということは十分に分かった。

 彼らの役に立ちたい。力になりたい。恩を返すには、歌の力が必要だった。


 ――また、失っちゃう……そんなの嫌だよ。


 前世の最期に感じた深い喪失感を思い出し、スティナは震えた。

 もう迷っている時間すらない。


「ダスク様、ごめんなさい。わたし……どうしても都に……最高神様の像の前に行かなければいけないんです! 次の満月の日までに!」


 込み上げてくる涙を必死にこらえた。今泣いて同情を乞うのは間違っている。


「どういうことだ?」


「お話しします。全て」


 スティナは順を追って事情を説明した。


 ある日、時空の神に語りかけられ、前世の記憶を思い出したこと。

 最高神トーンツァルトが亡くなり、世界が滅亡の一途を辿っていること。

 自分が神の卵であり、次期最高神を決める“神選びの遊戯”に参加を決めたこと。

 参加するためには、次の満月の日までに、前最高神トーンツァルトの像の前で祈りを捧げなければならないこと。

 不参加の場合は、前世と遊戯に関わる記憶と技能を失ってしまうこと。


 ダスクとミントは途中から絶句していた。


「黙っていてごめんなさい。もっと早く、ううん、最初に話すべきでした……!」


 出会ったばかりのダスクとミントのことを信じられなかった。自分が相手を信じられないのに、どうして突拍子のない話を信じてらえるだろう。

 黙殺されるかもしれない、捨てられるかもしれない、利用されるかもしれない。

 そんな疑心がスティナにはあった。


 しばらくして、ダスクがこめかみを抑えて呻いた。


「前世に、“神選びの遊戯”だと? それに、最高神が死んだ……? 到底信じられぬ……」




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