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7 旅のひととき

 

 なんとか町に辿り着き、スティナは人目をはばからずにその場に崩れ落ちた。ダスクやミントと違い、ほとんど何もしていないのだが、緊張と獣車酔いでヘロヘロになっていた。


「今日はここまでだな。私も疲れた」


 ダスクも少し顔色が悪かった。門近くの獣車小屋に金を払い、弓角鹿と車を預けて整備を頼む。


「申し訳ありません。ご無理をさせてしまいました」


「いい。アレ(・・)が出ないなら、どうにかなるものだ。……いつまでへばっている。行くぞ」


 ミントが手を引いてくれたので、スティナはなんとかダスクについていくことができた。

 初めての別の町で興味深かった。ウルデンと町の大きさはさほど変わらないようだが、行き交う人は比べ物にならないほど多い。

 ざわめきに耳を立てる。


「まだ捕まってないのか、クッキール大監獄の脱獄囚たち。また懸賞金が上がってる」

「各地で盗賊団結成したりして派手に略奪してるって話だ」

「王国騎士団が重い腰を上げたっていうから、捕まるのも時間の問題でしょう」

「騎士様にゃ、魔物も何とかしてもらいたいがね」

「ビージリア地方はひどいことになっているらしいわね」

「恐ろしい……こりゃ行商を控えた方がよさそうだ」


 飛び交う噂は物騒なものばかりで、スティナはミントの手をぎゅっと握りしめた。


 まだ太陽の位置は高かったが、宿屋に直行することになった。

 ダスクは上級魔法使いの証である徽章を外し、シェザード家の名前を隠して、二等の二人部屋をとった。スティナとミントは同じベッドで寝ろとのことだ。

 貴族と平民、男と女が同じ部屋で大丈夫なのだろうか、といろいろな心配をしたスティナだが、ダスクもミントも何とも思っていないようだったので、口に出すのはやめておいた。


「私は夕食までしばし休息を取る。ミント、スティナを可能な限り綺麗にしておけ」


「承知いたしました」


 くさい、汚い、とはっきり断言されて公衆の風呂屋を指さされたのはひどく傷ついたが、入浴させてくれるありがたみの方が勝った。ダスクの基準で考えれば、水浴びしかしていない自分は確かにくさくて汚いに違いない。


「わたし、お風呂屋さんに行くの初めてです。嬉しい……」


「その前に着替えを買いましょう」


「え? いいんですか?」


「はい。我が主に付き従うのです。その姿ではあまりにも不相応です」


 閉店間際の古着屋に駆け込み、ミントがスティナのために服と靴を見繕ってくれた。今まで来ていたボロ布の服と比べ、格段に生地が良い。防寒着や皮の靴も丈夫なものを選んでくれた。


「ミントさん、ありがとうございます!」


「お礼はダスク様に」


 そして、念願のお風呂である。

 まず雨のようにお湯が天井から降り注ぐ部屋があった。


「ここで頭と体をよく洗ってから、湯船へ行くように」


「はい!」


 ミントから渡された石鹸を宝石のように大事に扱い、スティナは念入りに全身を洗った。前世の記憶を思い出してから、お風呂に入れないのが一番辛かった。

 汚れや脂がすっきりと流れ落ち、血色の悪かった肌もくすんでいた金髪もほんの少しだけ艶を得た。それだけでスティナは嬉しくてたまらなかった。


 湯船には浄化と循環の魔法がかけられていた。さらさらとした綺麗な湯に感動する。


「生き返る……生き直してる……」


 体だけではなく心まで浄化されていくようで、自然と涙が溢れた。


「あなた、やはり少し変わっていますね」


 いつの間にかミントが一緒に湯船に浸かっていた。

 長い髪を纏め上げ、手拭いで頭に巻きつけていたので気づかなかった。

 細いうなじや、鍛え上げられたしなやかな肢体に思わず釘付けになる。白い肌に浮かぶ薄い傷たちさえも美しく見えた。


「そういう視線はマナー違反です」


「す、すみません」


 しかし注意したミントがはっとしたようにスティナの顔を凝視した。今まで重たい前髪で隠れていたので、はっきりと目が合うのは初めてかもしれない。

 ミントに頬を両手で挟まれ、いろいろな角度からねっとりと観察される。


「あの……?」


「前髪を切った方がいいと思います。後でダスク様に相談しましょう」


「はぁ」


 時間帯のせいか客はまばらで、水音しか聞こえない。黙っているのが気まずいほどだった。


「ミントさんは、おいくつなんですか?」


「十九歳です。それが何か?」


「いえ、あの……ミントさんやダスク様のことをよく知って、仲良くしたいと思って……ダメでしたか?」


 ミントは鋭い印象の瞳をふっと和らげた。


「いいえ。聞きたいことがあるのなら、可能な限りお答えしましょう」


 言葉はそっけなかったものの、ミントからダスクの話が聞けた。


 ダスクは貧しい農村を拝領しており、民を飢えさせないため必死に働いていること。

 妻の実家に援助を受けていて頭が上がらないこと。

 六歳の息子がいて厳しいふりをして大層可愛がっていること。

 ミントは十年前に行き倒れていたところをダスクに拾われ、以来、忠誠を誓っていること。


「ダスク様は、心から尊敬できる方です……」


 実感のこもった温かい声音だった。目を伏せたミントの横顔は妙に色っぽかった。桃色に染まった頬は長風呂のせいだろうか。


「そろそろ上がりますよ」


「あ、はい」


 何か気づいてはいけないことに気づきかけたが、心にそっと蓋をした。とりあえずミントさんは綺麗で可愛い人だな、とスティナは一人で頷いた。






 宿屋の食堂でダスクと合流した。

 薄汚いから小奇麗になったスティナを見て、ダスクが目を丸くする。ミントが「つけてみて下さい」というので、彼女のヘアピンを借りて前髪をくるくる巻いて留めてみた。

 ダスクはスティナの血色の良くなった顔をまじまじと眺め、ため息を吐いた。


「こんな世になっても、精霊の趣味は変わらぬのだな」


「? どういう意味ですか?」


「精霊はお前のような顔を好み、贔屓するという意味だ」


 ミントが小声で付け足した。


「可愛いということです」


「えっ」


 可愛い。なんて甘美な響きだろう。スティナになってからの十年、容姿を誉められたことは全くなかった。


「魔法使いとして使い物にならなくとも、高く売れそうだな。良いものを拾った」


 しかしダスクが言い放った一言で、浮かれた気分は台無しになった。


「ダスク様! 冗談ですよね?」


「……売られたくなければ、分かるな? 我が家に役立たずを養う余裕はないぞ」


 冗談ではない眼差しに、湯冷めしてしまいそうだった。


「髪を整えた方が良いと思うのですが」


「それは帰ってからマリーにやらせる。旅の間は顔を出さない方が良かろう。だが、少し太らせてやるか。スティナ、遠慮なく食べるがいい。今だけかもしれぬぞ」


 怒るべきか、悲しむべきか、そもそも売られる可能性を考えてなかったことを反省すべきか。スティナは黙り込んでいたが、テーブルに料理が並び始めてからはどうでもよくなった。


「ダスク様、ありがとうございます。服も食べ物も……いただきます!」


 ダスクとミントの呆れたような、憐れむような視線も気にならない。


「簡単な女に育ちそうだな。逃げ出す心配はなさそうだ」


「はい。しかし食べ物に釣られて誘拐されないように、よく見張っておくことにします」


 具だくさんの野菜スープに、鶏肉のステーキ。スティナの人生で間違いなく一番のご馳走だった。いや、前世から数えても、こんなにも美味しい食事は初めてかもしれない。

 一通り食べ終えた後、スティナは幸せな気分で尋ねた。


「そう言えば、この町では子どもを集めて魔力鑑定をしないんですか?」


 ダスクが普通の魔力持ちの子どもを探さないのか、気になっていた。


「この町では、魔力持ちは狩り尽くされている。浮浪児もほとんどいないだろうな」


「え、そうなんですか?」


 ウルデンはどれだけ田舎で、ひどい町だったのだろう、と考えかけたスティナだが、ダスクはその思考を先読みしたかのように首を横に振った。


「ウルデンのような町は希少だったのだ。とても、惜しい」


 淡々としていながらも、わずかに悔やむような響きの声だった。深く尋ねることは躊躇われた。


「とにかく、一度お前を領地に連れ帰る。ウルデンよりも治安の悪い町を通ることになる。必ず私とミントのどちらかと行動しろ」


「はい、分かりました!」


 初めて町を出て、身を清め、お腹いっぱいになったスティナは、その日はぐっすり眠った。






 翌日、一行は草原を進んでいた。のどかな風景が続く。

 多少遠回りしてでも、魔物が活発化している森の街道を避けることにしたらしい。


 ――ハルたちは別の道なのかな?


 昨日の町にインプレット夫人が立ち寄った様子はなかった。屈強な護衛団に任せて、魔物を恐れず進んでいるのかもしれない。

 大きな街道とは違い、整備されていないあぜ道が多く、振動で舌を噛みそうだった。黙って揺れに耐える時間が続く。

 昼頃、少し道を外れ、人気のない畑の前で獣車が停止した。


「さて、スティナ。そろそろお前の能力を検証させてもらうとしよう。……歌え」


「ここで、ですか?」


 ダスクは地上に降り立ち、作物に触れる。葉はだらりと下を向き、トウモロコシのような実は今にも干からびてしまいそうだ。


「失敗したとしても、これ以上悪くなることもあるまい。畑を甦らせろ。精霊に力を与え、マナを活性化させるのだ」


「……分かりました。やってみます!」


 畑の前に立ち、スティナはお腹に手を当てた。

 スティナに拒否権はなく、やらない理由はない。自分に本当に不思議な力があるのか試したかった。

 少し恥ずかしいけど、と興味津々な様子のダスクとミントから視線を外し、スティナは息を吸い込んだ。


 ……『星空の靴でアンダンテ』のフルコーラスを歌い終えた。

 結果は可もなく不可もなく。

 畑の作物はわずかに元気を取り戻した。葉は心なしか瑞々しさを取り戻し、実もほんの少しだけ成長したように思える。

 しかし歌い終わった後、ダスクは眉間に皺を寄せていた。


「本気でやっているのだろうな?」


「もちろんです。真剣に歌いました」


 しっかりとご飯を食べさせてもらっているせいか、ハルを見送るときよりも声は安定していた。音程も取れていたはず。

 きっと精霊は心的な何かに反応するのだろうと思い、感情も込めてみた。畑に恵みをお与えください、とそれこそゲームに出てくる聖女のようなことを真面目に考えていた。


 ――でも、前はもっとブワァーってなってたような……


 ハルを見送った丘は、土が見えないほど青々とした草が生えていた。それに比べると畑の変化は微々たるものだ。

 もしかして、もう飽きられてしまったのだろうか。アイドルの寿命の短さを思い出し、スティナは戦慄した。このまま効果が減っていけば、売られるかもしれない。


「十分すごいと思います。わずか数分でこれだけの効果が出たのです。継続的に歌を聞かせれば、あるいは」


 ミントの絶妙なフォローにスティナは感激した。お風呂とベッドを共にしたこともあって、スティナはミントに簡単に懐いていた。


「まぁ、そうだな。……では、ミント。次はお前が歌ってみろ。同じ曲を」


「な!?」


 目を見開く女性陣に、ダスクは顎で指示を出した。


「その奇天烈な曲の方にこそ、不思議な力があるのかもしれぬ。一応試しておきたい」


「い、いえ、私には、歌えません……」


「少しでいい。精霊が反応するかどうか確かめられればいいのだ」


「ですが……」


 ミントは身を縮めて俯いてしまった。頬が熟れた桃のように赤い。その恥らう姿はものすごく可愛いらしく、同性のスティナは見惚れていたが、ダスクは早くやれと急かすばかりだった。


「――――」


 やがて、か細い声が聞こえた。ミントがサビの部分を頼りなさげに歌っている。


 ――カグヤちゃん! 異世界の人がカグヤちゃんの作った曲を歌ってるよ!


 興奮するスティナに対し、ダスクは気配を探るように虚空を見渡していた。


「……特に気配は感じられぬな。やはりスティナが歌わねば意味がないのか? これも領地に帰ってから細かく実験しよう」


 ミントはほっとしたように息を吐いた。スティナが微笑ましげな表情をしていたのが見つかり、少しだけ睨まれた。


「ダスク様は歌わないんですか?」


「下らぬことを聞くな」


 一蹴だった。


 ――歌の実験か。他にも持ち歌はあるんだけど……。


 十四歳でデビューしてから、殺されるまで三年。

 ステラのソロ曲は少ないが、ドッペルワンダーとしての楽曲は五十曲近い。

 もしかしたら曲によって効果が違うかもしれない。もっと精霊が喜ぶ歌があるかもしれない。別の曲なら新鮮な効果が得られるかもしれない。


 ――でも、ダスク様に言ったら、全曲試せって言われそう……。


 歌いたい気持ちはあるが、体力的にきつい。

 後ろめたさを覚えつつも、ダスクに売られそうにならない限り、他の曲についてはしばらく秘密にしておくことにした。




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